絵描きの手助けした時の話。
仕事に慣れ、毎日をそれなりに充実して過ごしていた時。
日々の業務に追われる自分に、一本の電話が舞い込んだ。
我が恩師の知り合いが、困っているので協力して欲しいという。
恩師からそう聞き、電話を替わり、話を聞いてみる。
恩師の知り合いは絵描きをしており、弟子をとっていた。
その弟子は絵の巧さを傘に増長しており、出版社とモメて取引停止処分と出入り禁止処分を受ける。
絵の師匠が言うには、干されたのが身に染みたのか、猛省し常識に外れた行いはしなくなったという。
このまま才能を埋もれさせるには惜しいから、自分にも復帰を手伝って欲しい、と云うのが今回の依頼のようだった。
そこで早速絵の師匠は、弟子が出禁になった出版社から仕事を受け、弟子に作品を作らせ自身の作と言って提出。
問題は、そこだった。
このまま通して、最後になって実は弟子の作品である事を明かし、復帰をお願いするという方式らしい。
その手伝いに何故か、恩師が自分に白羽の矢を立てた、という事だ。
やり方は自分に一任するから、うまい事やって欲しいと告げられ、電話を切られる。
コレ、簡単に言ってくれたけど、実はかなりヤバい案件じゃねえか。
隠蔽する方針だとどうやっても、絵の師匠は詐欺か詐称罪、自分と弟子はその幇助になってしまう。
ちょっと調べるだけでも、偽名使用の件等で弁護士に相談する情報がずらりと並ぶ。
世の中そういう事をやってしまう人は、自分の想像よりも遥かに多いのかもしれない。
しかも、絵の師匠と弟子の絵を見比べるに、一目で見てわかるレベルでタッチが全く似ていないのだ。
師は重厚で古風な絵柄、弟子は軽快で今風な絵柄。
これは社にバレてても全然不思議じゃないな。
少し考えて、変に隠す方法を考えるのは止める事にする。
回りくどいが、皆が安全な方法を採る事にしたのだ。
担当者が物分かりが良い人物である事を祈ろう。
そう思い、出版社に電話する。
受付に自分の会社と氏名、用件を伝え、担当者に代わって貰う。
明るく落ち着いた口調の男性が電話に出てくれた。
手短な挨拶の後、絵の師匠が提出したものは弟子の作である事を、詫びを交えつつかいつまんで伝え、返事を待つ。
担当者はあまり驚かなかった。
絵の師匠と何度か取引したことがあり、作風が突然変わったので、一応訝しんではいたらしい。
実は、と自分の手伝いの話をしても一笑に付し、現在受け持っているプロジェクトは、普段絵の師匠が絶対受けないであろう類の案件であった事も語ってくれた。
突然、系統の違う依頼を快く受け、普段と違い過ぎるタッチのイラストを持ってくる。
何と言うか、やっぱりバレていたのか。
こちらの話を詳しく伺いたい、という事になったので、最初から全てを伝える。
僥倖だったのは、自分の想像以上に担当者が物分かりが良く、弟子の才能を惜しんでくれていた。
そして、こちらが正直に申し出たので好感を得、話を聞いてくれる気になった様子。
自分は話し終え、絵の師匠が持ってくる作品を、何食わぬ顔で受け取るよう頼み込む。
案件が完遂した後、弟子の復帰を申し出てくるはずなので、そちらで更生が確認できれば復帰させて欲しい、とも。
弟子が更生したという情報には驚いていたが、今案件の作品が問題無く、最後まで提出されれば、復帰を考えても良い。
絵の師匠の企みを知った担当者は、朗らかに笑いそう約束してくれた。
後は連絡を入れれば話は終わりか。
担当者との軽い世間話の後、絵の師匠に連絡を入れた。
担当者には訝しまれていた事と、うまく伝えておいたので今案件が完遂後、弟子の復帰を認めてくれる話が纏まった事を告げる。
このまま提出を続けても問題無く受け取ってくれる事を説明すると、絵の師匠は、そうかと言って満足そうに電話を切った。
これで頼まれた任務は終わったのだろう。
自分は通常の業務へと戻った。
それから暫くして。
絵の師匠から突然電話がかかってくる。
慌てて電話に出、話を聞くと、あまりにも順調に事が進んでいるので不安になった、との話だった。
自分達はマズい事をしているのではないだろうか、と伝えてくる絵の師匠に、十分すぎる程ヤバい橋を渡っている所だと伝える。
下手をすると詐欺か詐称の罪で弟子や自分諸共訴えられる話でもあると。
ただ、これはもう出版社の担当者も了承済みで、トラブルなく案件が完遂できれば、弟子の出禁が解除される筈なので。
その時改めて弟子を連れて行き、出版社に詫びれば済む話なのだと言い、説得した。
何なら、もう一度担当者に掛け合って、次回提出の際弟子の話を振って貰っても良い。
そこまで言うと絵の師匠は安心したのか、非礼を詫び、礼を言ってくる。
今日は提出日で早速担当者に会うという事だったので、電話を切る事にした。
再度出版社の担当者に電話。
驚いて用件を聞き返す担当者に事情を話すと、爆笑される。
絵の師匠も全然変わらんなあ、と。
どうも担当者と旧友らしく、長い間つるんでいるという話が伺えた。
自分は仕事の場で腹を割って話すのが難しければ、一杯飲みに行く事を提案する。
流石に今日は急な話で無理かもしれないが、仕事帰りに都合を合わせて軽く、程度なら近い内に可能な筈だと。
その時に弟子の更生具合などを話題にすれば良い。
担当者は久しぶりにそういう事をするのも良いと言い、前向きに検討してくれたようだった。
電話を終え、暫くすると絵の師匠から再び電話があった。
どうにも不安になり、こちらに電話をかけてきたという話。
出版社には先程連絡を入れたので、話は通っているという旨を伝え、安心するように促す。
担当者が旧友と言う話も伺ったので、長い付き合いならそれを信じてはどうか、と言うと。
旧友だから全部バレている気がしてならない、とも。
必要なのは話し合いの機会だろうと感じた自分は、仕事の場で話がし難ければ、飲みに誘えば快く受けてくれるであろう事を告げる。
それでもまだ勇気が出ない事を告げられ、今日は提出日では無かったのかと問う。
時刻はもう夕刻。
時計を見たのか、提出に遅れそうな事を思い出した絵の師匠は、慌てて電話を切った。
後で聞いた話では、この日提出する筈の作品を忘れて行ったらしい。
直接応対した事柄はこれが全て。
事はうまく運び、問題無く納品を終え、弟子は出版社お抱えのイラストレーターとして復帰。
これで自分の任務は完了、恩師も成果にご満悦の様子が伺えた。
後は余談になる。
事が済んでからある日の事。
再び絵の師匠から電話がかかって来た。
用件を聞くと、弟子が自分とどうしても話をしたいと言うので、電話を代わって欲しいと言う。
恩師は話をしておけと言うので、代わる。
更生したという予想に反し、生意気で居丈高な口調が受話器に届く。
これは師に似たのだろうか。
弟子が言うには、自分が手助けした全貌を知りたいようだった。
それと、師が詫びたり礼を言う所を今迄見た事が無い為、それをさせた人物に興味を持ったという。
その日の電話の内容をこっそり伺っていたのか。
理由は理解したので、この間までの業務内容をかいつまんで説明する。
絵の師匠の行いはそのままだと詐欺詐称罪及び納品物の料金の変換、企画に穴が開いた分の損害賠償がのしかかっていたかもしれないと。
踏み間違えば2人(と自分)共に奈落へ真っ逆さまの綱渡りをしていた事。
絵の師匠も出版社も担当者も、弟子の能力や才幹を認めていた事。
出版社に事情を説明し、皆で協力し合い、復帰の道作りを行った事。
自分はこんな好機は、恐らく2度と無い、と告げた。
すると、何故危ない橋を渡ってまで、見ず知らずの他人の手助けをしたのか。
と、弟子は問うて来たが、その質問の答えは決まっている。
自分は今回はそれが最優先の業務であった事と。
個人的な事を言わせて貰えば、全てのイラストを愛しているからだ、と伝えた。
すると弟子は涙声で鼻を啜りながら、有難う御座いました、と言う。
先程までの居丈高な口調ではない。
何度も何度も礼を言う弟子の声はいつしか号泣となり、慌ててなだめに入った。
しかし極度の興奮状態にあるのか、こちらの話を聞き入れる状態ではなくなった様子が伺える。
仕方なく絵の師匠に代わって貰うと、こちらもまた涙声であった。
背後でわあわあと、電話口の外に漏れ出る程、大きく泣く声を聴きながら別れを告げ、電話を切る。
恐らくイラストレーターという職に就ける人間は、芸術的なものに触れる時間が長い為、感受性が高く、涙脆いのだろう。
まさか師弟2人とも、涙脆い性格とは思わなかったが。
師弟だからイラストのタッチは違っても、感性が近いのかもしれないが、もしかすると、これが貰い泣き、という奴なのかもしれない。
電話口から聞こえた泣き声と、異様な雰囲気に何事かと問う恩師。
対話の内容を話し、唐突に泣かれた原因が分からない事を伝えると、お前は自分の言った事の意味をもう少し理解しろと怒られてしまった。
この件の顛末で話せる内容は、これで全部だ。
一応、一言断っておくと、毎回こんな仕事ばかりこなしてきた訳じゃあない。
皆が才能を惜しみ、当事者が必死になって更生したからこそ、上手くいった話だと思う。
一歩間違えればどうなっていたかな。
今回はこんなところか。
珍しい業務に関わった時の事を、忘れない内に書き残しておく。
役に立つかは知らないが、また何かを思い出した時に。
君の明日に、笑顔が灯るなら。