アンシエンラント創世記 2話
―――――未知の力―――――
1章.登る旅路
獲物を手にした髑髏が、多数迫って来た事を鑑みるに、突如現れた娘がこの地底に、長い間封じられていた、というのは本当だったのだろう。
自身がもう少し、彼女の言う事を信じていれば、戦い方は変えられた筈である。
甘かった、という後悔と慚愧の念を、打ち払う様に頭を振り、歩き出す。
とりあえず、目指すのは水源だ。
この女、一体何時からどの位、閉じ込められていたのかは知らんが、兎に角、1度洗わなくては臭くて敵わん。
先頭を歩くハザは顔を顰め、鼻につく臭いを思い出す。
地底の洞と比べ、整ってはいるが、その時よりは遥かに道幅が狭い為、娘も少し距離を縮め、歩いている。
風向きによっては、饐えた臭いが鼻腔を擽る――早く洗わねば、たまったものでは無い。
歩いてゆくと、見覚えのある三叉路に出た。
下に向かい通り掛かった際、この三叉路に付けた印を元に、来た道を引き返す順路を辿り、地表を目指す。
途中、幾つかの分かれ道を迷い無く通り過ぎ、やがて出くわした十字路を、印の付けた方へと進む。
そして進めば、通路は徐々に細く、狭くなってゆくのが分かる。
壁も何時の間にやら、自然のごつごつとした岩肌や、木の根が飛び出しているに土に代わり、ここからは、岩の裂け目を潜る様な通路であった。
続く曲がりくねった通路を通り抜けると、登り坂となっている剥き出しの土の道。
踏み固められた土を踏み締め、その先へと進むと、やや広い空洞にて、小休止を挟む。
すぐ近くに見える、幾つかの石段。
それを見れば、一応ながらにも、この場所がかつて通路として、役割を果たしていた事が伺える。
休憩の間、ハザも娘も、ひと言も口を開く事は無く、全く話をしなかった。
女は座らずにじっと立っていたが、彼は彼女の方を一瞥したきり、特に声を掛けたりはしない。
そして、十分に休んだ後、徐に立ち上がりその石段を、ゆっくりと登ってゆく。
彼が腰を上げると、ぼんやりと立っていた女は黙ったまま、再び青年の後を着いて来る。
その距離は、道幅などに合わせて、多少は変化はするものの、常に一定。
彼女は進む速度に対し、歩みを早めようと遅めようとも、はたまた緩やかな歩調であろうとも、険しい通路を歩もうとも、希望も不満も述べる事無く、しっかりと着いて来ており、確認の為振り向く度に、変わり映えしない茫洋とした澄まし顔が、ハザを出迎えた。
目が合っても、2人は会話をする事はまるで無い。
容姿こそ女として見栄えのする風采で、見事なまでに均整の取れた、傷付ける事を思わず躊躇ってしまう程の、美しい体つきではあるが、それは逆に言うならば、速く強く動く為に鍛えられておらず、狩りや荒事等の力仕事に、まるで向いていない体格である事を示している。
だが、荒い道を歩む行程に、全く根を上げない所を見ると、彼女は見た目と違い、かなりの健脚なのだろうか。
やがて、雑に積まれた石段を登り切れば、岩肌の隙間を通って来た情景が突然に変わり、再び人の手が入ったと思しき通路へと、道は続いていた。
此処までは、何事もない――。
邪魔立てする者や、武装した髑髏と再び相見える、等の不可思議な事、遭遇する者は誰も居らず、静かな帰路は、概ね順調とも言える。
乏しい光源を頼りに、ハザ達が通路の曲がり角に接した時、通路の先から、僅かな物音が聴こえた。
先に分かれ道は暫く無い、筈なのだが。
「すまんが、明かりを消してくれ」
おかしいぞ、これから向かおうとする先に、人が幾人か、居る。
足を止め、ある種の予感を察したハザは、通って来た通路の事を思い出しながら、後ろの娘に声を掛けた。
弱々しく壁に映り込んでいた、ランタンの光が急速に萎む。
彼は薄暗い中を、遠い明りを頼りに慎重に進み、ゆっくりと前方へと近づく。
「――と。
その様な事があり、命令は変更された。
我が教団を――が居たとは、不届き千万。
従って今後は――」
視線の向こう、そこにぼんやりと明かりが見え、その輝きの中央に、物々しい格好をした連中が集い、手に手に獲物を持ち、何やら話に聞き入っていた。
記憶が確かなら、集まっている場所は、扉のような仕切る物さえ無いものの、小部屋の様に広くなっていた筈。
左右に松明を持たせた者を立たせ、そしてその前に立つ男が、小部屋で声を張り上げつつ、何やら語っている様子が伺える。
この距離からでは、男の声がぼそぼそと小声にしか聞こえないのが、大変残念ではあった――しかし、敵か味方か判らぬ者たちへ、これ以上近づく訳にはいかない。
見れば、その話している男が、身に着けている紋には、見覚えがあった。
彼は、地表での出来事を思い出す。
この遺構へと差し向けた連中が、確かに同じ物を身に着けていた事を。
細々と輝く灯火の、照らし出す範囲から密かに離れ、屈み込むハザの目が険しく細まる。
此処は彼が見つけた道だ――それこそ迷宮と言っても良い位に広いこの遺構、この短時間で誰かが同じ道筋を発見し、通る事は考え難い。
後をつけられていた、という事ならば、辻褄が合うのだが。
「いいか――お前たち。
もし――た者が居たら、捕らえるのだ。
罪深き――を処断し、我が教団の手に、その者から――を取り戻さねばならん」
鎧の上に紋を着けた男の話は、今尚長々と続いている。
何の事かは、ぼそぼそと断片的に聞こえてくる言葉を、繋ぎ合わせただけでは察する事が出来ないが、地上で聞いていた内容とは、随分と話が違ってきている様だ。
しかしこれ以上、此処でぼんやりと話を聞いていても、仕方がない。
自身を雇った者達に、何か変化があった事を掴んだだけでも、収穫があったと言うべきだろう。
立ち去ろうとした際の事、彼らの中で、ハザ達に最も近い者の内、1人が声を上げ、小部屋の中でぴたりと話が止まる。
「うっぷ。
な……、何だこの臭いは」
別の男が発した内容に、心当たりはあった。
暗がりで屈む青年が、ゆっくりと背後に首を向けると、その視線の先には、静かに佇む女。
その腰下までしなる長い髪の毛先は、背から腰横を通り、彼らの方へと、ゆらゆらと揺れている。
視線の先、来た道の奥から吹く、緩やかな風向きが、丁度話している彼らの方へと向いていた。
そして、発された声を機に、漂う奇妙な臭いに気付いた者達が、何事かと騒ぎ出す。
暫くしてそれを聴きつけ、静まれィ、静まれィ――、静まらんか、と紋を着けた男の強い声が届く。
が、それでも騒ぎが収まるには、もう少しの時間と叱責が、必要となるかもしれない。
背後の女は、顔色ひとつ変える様子も無く、物静かなままだ。
何が原因で騒ぎ出したかは、分かっているだろうに。
しかし、余程肝が据わっているのか、このような時でも、焦ってみだりに動いたり話したりしないのは、非常に助かる。
――降りて来た道は通らない方が良いな。
じきにここも、前方に屯する奴等が、誰が居ないか調べに来るだろう。
この女は足音がしない。
自身さえ、物音を出さぬよう気を付けていれば、今なら容易く気付かれずに退ける筈。
そう判断したハザは、連中の方をちらりと一瞥すると、娘に手で着いて来い、と合図を送り、暗がりへと消え去った。
声が聞こえない位置で明かりを灯し、青年と娘は、幾つの分かれ道を通り過ぎただろうか。
騒ぎに乗じて、目立たぬ様そっと通路を引き返すと、元来た所へと辿り着く。
岩肌の隙間を抜けて来た所だ――此処から引き返すのは、労力に見合わないだろう――ここから進むべき方向は3つ。
これからは、彼が通った事の無い、知らぬ道筋へと、敢えて向かわねばならない。
此処なら十分離れているだろう、違う通り道を指したハザが口を開き、問いを発する。
「お前の言う水源は、向こうからでも行けるのか?」
「はい――。
染み出て来たのが伺えますので、幾つかありますね。
そうですね、我等と出会った場が、歪んでいるのをご覧になったでしょう?
あの様なものが他にも在り、そこへ出来た隙間から、水が染み出しているのです」
目を合わせず、再びやや上の方へ首を傾げながら、娘は語った。
透き通った声の内容を察するに、どうも水源は、ひとつでは無いらしい。
染み出るとは何だ、と聞こうとすると、澄んだ声は、既に答えを出している。
この女は、不思議と察しまで良いのか――それとも物事を見る力や、洞察力が高いのか。
彼女の言葉に納得したのか、頷いた青年は、右手側へと進む通路を選び、背を向けて歩き出す。
が、すぐに振り向く羽目に陥った。
僅かな物音に気が付くと、平らな石畳の上に、ランタンが置かれている。
ふと見れば、娘は反対の方へと進み出していた。
足を動かしていないように見えるのは、気のせいだろうか?
「おい、そっちじゃない。
戻れ」
何をやっているのだろう。
彼女が進む方向の床には仕掛けがあり、巨石が降って来る様になっている。
下を目指している頃、この類の罠に見事に引っかかり、危うく死にかけたのは、ハザの記憶にはまだ新しい。
制止の声も空しく反響し、美しい娘がしなやかな肢体を、床の上へと運ぶ。
爪先で立つ様にして、伸ばされていた細い足首が、模様の描かれた石畳の上に、ふわりと乗せられたように見えた。
僅かな振動、そして彼は慌てて駆け戻り、手を伸ばす。
「何をやっている!
手を伸ばせッ!」
男の叫びに、漸く気が付いたような素振りを見せ、彼女はゆっくりと振り向く。
不思議そうな視線を、こちらに投げかけたまま、茫洋とした面持ちを全く崩さず、左手を彼の居る方へと掲げ伸ばした。
駆け寄るハザの、伸ばした手の指先が、触れようとした瞬間。
どたり、と大きな音と共に、目の前が塞がれる。
下を見ると、巨大な石の重圧に耐えかねたのか、空しく宙に伸ばされた腕が震え、はたと地に伏せた。
子供の頃、遊び半分で蟲の幼生を、笑いながら石で磨り潰す、そんな遊びをしていた者達が居た事を、ふと思い出す――今のは、丁度そのような感じだろうか。
そんな無邪気故の不毛な行為を、目の前でまざまざと見せつけられた様な虚無感が、胸中に満ちてゆく。
足元に散らばった髪と、飛び散る血が、巨石の隙間から、その凄惨な様相を覗かせている。
やや顔を青ざめさせたハザは、のろのろと屈み、左腕の肘から先が見えているだけとなった、女の手に触れた。
その手指はまだ、暖かい――。
「……、なぜ避けないんだ……」
最後の瞬間を、目に焼き付けた彼は思わず、胸中に浮かんだ言葉を呟く。
彼の言葉に従い、手を伸ばしてはいたが、天井からの物音にすらまるで反応を返さず、まるでその罠の事を、意識していないかの如く、立ち尽くしていた様に思う。
それは何故なのかを、今すぐにでも問いたいが、もう叶う事は無い。
2度目となる、死を看取った事、今度こそ、気のせいなどではないだろう――せめてもの手向けとして、祈った方が良いかと思い、ハザは祈ろうとしたが、祈る者で無い彼は、肝心の祈りの言葉を知らなかった。
無事帰ったら、神は死んだとでも、伝えようか。
実に頭の痛い話となってしまったが、起きてしまった事はどうしようもない。
危機を目の当たりにしながらも、助け出せなかった事で、かなり叱責される自身の姿が、目に浮かぶ様だ。
包み隠さず全てを打ち明け、考える事はお偉い方に打ち遣ってしまえ。
うんうん唸って、どうにかするだろうさ。
意を決すると、巨石の下敷きとなり、徐々に冷たくなりつつある、女の手を放す。
立ち上がり振り向く。
すると、茫洋とした澄まし顔の彼女が、そこに居た。
「なッ――!?」
驚きのあまり、2歩、3歩と後退るハザ。
滑らかな肌には傷ひとつ無く、出会った頃と変わらない姿で、両手でランタンを持ち、ぼんやりとこちらを見ている事も、全く変わらない。
そして、慌てて振り向き下方を見るが、散らばった髪や血溜まりの中、巨石と床の隙間から生えているように見える、ほっそりとした女の手はそのままだ。
ハザの向ける驚愕の視線と、そして指先を、自らの背後と勘違いしたのか、彼女は身を捻り、何度も振り向く。
違う、そっちじゃあない、と言いたいが、あまりの出来事に彼は、上手く声を出す事が出来ない。
指先を向けたまま、言い澱んでいると、女の方から声を発する。
「――?
あの、我等の背後に何か見えますか?」
微かに不安げな声色が乗り、その静かで透き通った音が耳に届く。
まただ――。
今ここに、彼女は1人しか居ないのに、数が多い様な言い方をするのは何故なのだろう。
何度も聴く内に、そろそろ聞き慣れてきつつある、自身も怖くなってきたが、如何せん目の前には1人しか居ない。
話の内容ではなく、妙な自称に違和感を感じつつ彼は、再び疑問を口に上らせる。
「お前は、今ここで、死んだ……それは間違い無いな?」
何とか絞り出すようにして、漸く声が出る。
事実を確認しようと、ひと言ひと言、区切る様にはっきりと言ってのける――遺された腕、そして女の顔を交互に見ながら。
すると、澄んだ声は変わらず、そして澱み無い返事が、すぐに届く。
「それは――。
ただ今、ご覧の通りではありませんか。
お言葉ではありますが、この程度で我等は滅びたりはしませんよ。
どうか、ご安心ください」
彼女の茫洋とした澄まし顔は元より変わらず、回答の内容がズレている気がした。
それとも、わざとはぐらかしているのか。
実に歯痒い事ではあるが、得意であるらしい澄まし顔からは、その内心を窺い知る事は出来ない。
臍を噛む思いで、返答を聞いた彼は、口元に手を当て、もごもごと口を動かし、内容を吟味した上で、反芻する。
つまり、死んだ事は肯定しているのか?
それで滅びてはいない、と、こう言っているのだろう、恐らく。
分からん、さっぱり分からん、死ねば滅びるだろう、普通は。
しかし今の状況は、普通ではない――いや、もしかすると、状況やコイツの話をまるで理解出来ん俺の、頭の方が悪いのか?
それに――我等?
ああ、我等とは、そういう事かもしれん。
得心が行く内容に思い当たったのか、気を取り直して、ハザは再度問いかける。
「俺達と違い、お前は独りでは、無いんだな?」
「はい。
その通りです」
またしても澱み無い返事が、すぐにあった。
どういう事なのか、また真意は未だに掴み兼ねるが、概ね言葉通りなのだろう。
話している事が、ますます持って良く分からない、謎の女である。
またしても、摩訶不思議な珍問答が続き、軽い頭痛を感じた気がしたハザは、それ以上尋ねる事を諦め、先へ進む事にした。
「……そうか。
これからは、お前達とでも、そう呼んだ方が良いか?」
「それは、どちらでも。
確かに我等は独りではありませんが、意志はひとつですから」
違う、そうじゃない――。
肯定されたとしても意味が良く分からず、腹立たしさを解消する為、そして皮肉のつもりで放った言葉を、真顔で返される。
内心ぎゃふんとした彼は、顔を顰める事すら忘れ、巨岩の隙間から僅かに見える、下敷きとなった、娘の腕を指してハザは言う。
「これは、放っておいていいのか?」
「はい――。
大変残念ではありますが、それはもう、そっとしておいてくれませんか。
ご覧の通り、救うには少々手遅れですので。
後の事は、我等にお任せください」
しかし、返って来たのは、にべもなく見捨てる旨の、冷たい言葉であった。
こいつ等は、本当に仲間なのか――?
どうにも不可解、かつ些か理解しかねる彼女の言動に、深く悩んでも、仕方の無い事なのかもしれない。
若干疲れた表情を浮かべ、分かった分かった、と言わんばかりに軽く手を振ると、娘の横を通り過ぎ、本来向かおうとしていた通路へと、足を向けるハザ。
そして、さらりと衣擦れの音が続く。
後ろから、彼女が着いて来ているのだろう――不思議と、相変わらず静かだ。
青年1人の足音だけが、通路の奥へと反し、時折吹く風と共に、何処か遠くへと走り去る。
騒ぎが収まってしまえば、ハザも娘も黙々と歩み、そのひとつの足音が過ぎ去れば、周囲はすぐに静寂を取り戻す。
この、良く分からん女の事を考えるのは、暫く止めだ。
地上へ向かう為に、調べねばならん事は他にもある。
王の令、古の地と女、自身が発見したと思しき通路、先程の者達。
嫌な予感もするが、早く決めつけてしまう事だけは避けたい。
未だ分からぬ事が多い、与り知らぬ処で、果たして何が起きているのだろう。
俺の通った道を、何故か知られている。
違う道を探し、進みつつ、印を付けた通路を思い馳せながら歩く彼は、確かにそう感じた。
矢張り、後を追われていたのだろうか。
心当たりはまるで無いが、何かが起きている事だけは、確かな事であろう。
権謀術数など、専門外も良い所――俺は知恵者ではない、戦う者だ――何も考えず、今は只、ひたすらに剣を振りたい、と予想され得る面倒な事柄に、そう思いつつも彼は歩む。
細く入り組んだ通路、登り階段、大きな柱のある広間――眉を顰めていた彼も、通路を進むにつれ、思い悩む事を止めたのか、だんだんと眉間の皺が取れていった。
【死の温もり】