2019年10月25日金曜日

しごとスタンス(5)

他社にメールを送った時の話。

季節は梅雨真っ盛りの6月だったと思う。
取引を始めたい会社に、メールを送って欲しいという業務依頼が来る。
当時は営業利益がいくら上がっても自分はベアゼロで、営業の支援業務に対して著しく労働意欲が低下していた。
我が恩師がやってやれ、と言わなければ絶対に受けなかっただろう。


鶴の一声で業務が決まり、話を伺う事になった。
恩師には返し切れぬ程の恩があるから、仕方ないな。
その会社は北海道にあり、本州の自社が何度もラブコールを送ったが、返事が無いとの話。
自社の人間とは面識がある様子で、会った時は商談に乗り気であったらしい。
正直な所、電話には出てくれるが、商談の催促や営業メールは幾ら送っても色よい返事が貰えず困っている。
そこに自分が営業メールを送り、何とか返事を貰って欲しいという事だった。

営業が用意したサンプルメールの受領を、いらないの一言で断る。
恐らく問題はそれだろう。
返事の無いサンプルなどをベースに、いくら美辞麗句を並べ立てても、同じ様に返事の来ないものが出来上がるだけだからだ。
メール作成の前に、北海道の気候を調べる。
ネットゲームやチャット等で一緒に遊んだ、日本各地の人、北海道出身の人との対話等の記憶を総動員し、北海道の情報を整理していく。
北海道の会社に電話をしてもらい、本州と繋がりがあるかどうかだけ聞いて貰う。
自分で電話をしなかったのは、見ず知らずの人間が突然電話をし、警戒心を持たせたくなかったからである。
返事をしないという事は、それなりに警戒心を持っていたのだろうと思う。
会社の返事は北海道から出た事はないが、いずれ会社を大きくし本州にも進出したい、との返事だった。
後半の返事は今回の件には全く必要が無い。
この内容だけ確認すると、自分はメールを作成し、取引先の会社に送った。
返信アドレスは自分のではなく、総合受付にしておく。
これで業務は完了だ。

残りは余談。
翌日、メールを送った内容が問題にされる。
内容が滅茶苦茶だと言うのだ。
季節感のある挨拶から本文に入ってない、締めに取引の話の催促も書いてない。
これで先方から返事が来るわけないだろう、とどやされる。
何で梅雨時に雨の話題を書かないのかと、先日作成したメールの内容の評価は散々。
こいつら何処に目を付けてるんだと思いつつ、自分はこれで駄目なら諦めろ、と告げる。
これなら依頼せずにやった方がマシだった、と吐き捨てる営業。
もう送ってしまったものは仕方ない、次は監修するから送る前に持って来い、と鼻息荒く部長がのたまった。
事もあろうか、社長も同意見のようである。
しかし、今後何があっても2通目を作成する予定は無い。
返信を貰う自信はあったし、それに、季節の話題はちゃんと書いてあった。
自分が選んだ季語は、新緑と花冷えの二つの単語。
つまらない話で朝から槍玉に挙げられ、気分は非常に悪かった。

それから2~3日経過。
営業や部長が送り続け、梨の礫だったメールに返事が来た。
待ち望んでいた取引がしたいとの返事に、社内は騒然とし、蜂の子をつついたような騒ぎとなる。
引用文は、自分のメールものであった。
社に断りなく、勝手に相手有利な取引条件を設定したのではないか、と言う疑いもかけられるが、自分は社内では電話嫌いで通っていて、電話もしていないし、メールには取引条件などは一切記述されていない。
上の押し問答の末、疑いが晴れ、掌を返し営業と部長が自分を褒め称えたが、怒る気にもなれない。
何故なら、口先だけの営業などこんなものだ、と言う認識が既にあったからだ。

メールの何が悪かったか添削して欲しいという営業。
3日程前のお前は何と言っていたかと思いつつ、自分は初めて営業が送ったメールを確認した。
これによって、権限のない営業と部長幾人かが、相手有利の取引を持ち掛け、返信を誘っていた事が明るみに出るのはご愛敬、と言って良いのだろうか。
勿論問題になるが、自分は関りない事なので記載はしない。

さて、メールの方だが、一見普通の内容に見えるものであった。
が、営業側視点のみの勝手な都合だけが並べ立てられている。
本州なら通じるかもしれない、梅雨時の雑感と、下心見え見えの期限付き取引返答の催促。
営業や部長が、北海道の気候を調べも知ろうともしていないのが、冒頭を少し読むだけで丸分かりになる文章。
読めばわかるレベルでメールの内容が、ちっとも普通では無かった訳だ。
巧みに謙る文章以外に、評価すべき点が全く見当たらない、十把一絡げのこれで共感は得られないだろう。
だから返事が来なかった、と。
知識経験が偏った営業には、自分が送ったメールは季節感の無い、さぞ無礼なメールに見えたに違いない。
監修されていれば、同じく返事の来ないメールが1通、相手の会社に届くだけだろう。

自分は何も、感動を呼ぶ優れた文章を作成したり、独断で相手有利の取引条件を提示した訳ではない。
共感出来ないビジネスメールが何通も届き、辟易しているであろう取引予定の会社に、お互いが仲良くなる為に少し世間話でもしませんか、という簡素な内容をメールで送っただけだ。

自分の送ったメールが決定打となり、自社に初めて返信を行ったという話を伺う。
返信が遅かったのは取引する為、重役を集めての承認会議をしていた模様。
今までのメールは今一つで、北海道の会社の事をまるで理解して貰えていない、この会社との取引は大丈夫なのか、という認識があったようだ。
そこへ、自分の作成したメールが舞い込む。
折しも梅雨が無い北海道は、新緑に包まれさわやかな風が吹く季節と聞く。
自分が選んだ季語は、季節感のある話題としてぴったりのものである。
春先に気温が下がる花冷えは、リラ冷えと訳すべきだったかもしれないが、自分は北海道は行った事が無く、どのような寒さになるかを知らない。
知ったかぶりの嘘臭い文章にしたくなかったので、リラ冷えは使わない事にする。
その会社は、花冷えは本州の現象でピンとこないが、言葉の意味自体は知っており、そもそも自分は本州の人だから、北海道のリラ冷えなどはご存じない、それは仕方ない、と花冷えの意味を解してくれた。
北海道の会社から、今までのビジネスメールと、新たに送られてきたメールを見比べ、この人となら、と思い立ったという話を聞く。
気持ちを言葉にのせて、届けたのが功を奏したのだと思う。
自分のメールに描かれた季節感が、冷え初めていた会社の心を溶かしたのだ。

相手会社の社長と重役から、気持ちのこもったメールをありがとうとの電話を受け、柄にもなく頬が熱くなったのを今でも覚えている。
自社の営業が目先の事しか見ない中で、お互いの気持ちが伝わり、嬉しかったのだろう。
終わってみれば、自身の大きな経験、成長の糧となったように感じられた一件だった。

この件を解決に導いた所為か、後に、ビジネスメールのマナー教導ルールを制作するので、メールのマナー草案を作って欲しい、という依頼が舞い込む事になる。

この件の顛末で話せる内容は、これで全部だ。
本件のお陰か、いずれ北海道に旅行でも行きたいと思いつつ、十余年が経過した。
が、未だ道には辿り着けていない。
いつか、行ける日が来るのだろうか。

今回はこんなところか。
珍しい業務に関わった時の事を、忘れない内に書き残しておく。
役に立つかは知らないが、また何かを思い出した時に。



君の明日に、笑顔が灯るなら。