2020年10月9日金曜日

ブログ小説 アンシエンラント創世記 2話 未知の力 2章.探索者たち

アンシエンラント創世記 2話

―――――未知の力―――――

2章.探索者たち



独りきりの足音のみが響く通路を、黙々と歩いていると、ふと、辺りが薄暗くなり、足元より先へ伸びていた、自身の影が、床に映し出されなくなった。
ランタン角灯が消えたのだろうか?
歩きつつも首を捻り、横目で後ろに居る筈の女を確かめる。
そろそろ見慣れて来たであろう、茫洋とした澄まし顔は視えず、腰の辺りまで伸びた、灰色の長い髪が見えた。
何時もと違う光景に、違和感を感じたのも束の間――。

彼は驚き、目を見開く。
それもその筈、娘は後ろを向いたまま、ハザの後ろを、滑る様に後を着いて来ていたのだ。
実は、後ろ向きに歩くのがとても上手かった、などという話では無い。
まるで爪先で立つようにと、伸ばされた足先は、浮いているのか、地に着けていないようにも見える。
今、やっと分かった――気付いてしまえば、実に簡単な話だ。
地を歩いていると思っていたが、本当は、ずっと浮いていたのだ、それならば足音など、聴こえて来よう筈も無い。
果たして、気付かない方が良かったのか。
それは決して、見間違いや、気のせいなどでは無かった。

そして。
娘の手には、ランタン角灯が握られている。
道理で前方が薄暗くなる筈、明かりの矛先は、当然ながら、女の向く方へと向けられていた。
……彼女の視線の先には、後を着けて来る者の姿。
ハザの精神は、ひと息に膨れ上がり、あっという間に、戦いの予感で満ち満ちてゆく。
思わず、背中に吊るした長剣の柄へと、手が延び――。
が、彼我の距離を考え、反射的に動こうとする右手を、自制心で押さえつけ、その場に留める。
駄目だ、今は駄目だ。
声を上げ機先を制するか、それとも――。

青年は後者を選び、歩みを遅めると、女の横に並ぶ。
更に、歩みをゆっくりにし、娘の視界に入った。
すると、どのような技で浮いているのか、彼女は音も無く振り返り、ハザと目を合わせてくる。
後ろからは見えない様、胴で隠し隣の女へと手で、前を向いて進めと合図すると、そのまま並んで歩く。
ぼんやりと照らす明かりの事もあり、恐らくは、気取られている筈だが、後をつけて来る者が間抜けなら、これで引っかかるだろう。
浮いていたらしい娘は、彼と同じ方へと進みながら音も無く、くるりとその場で旋回し、前を向いた。
人の行える筈の無い、全く奇妙な挙動に、青年の眉間は険しさを増す。
昏く古い遺構の通路の中、薄暗い明かりを持ち、後ろ向きに、床を滑る様に進む女。
……成程、これは――これでは怪しまれる。
改めて唸りそうになる現実を、敢えて見送り、彼は背後に集中した。
暫くは、何も気付いていないふりをしていると、こっそりと、足音を忍ばせる様にして、近づいて来る気配がひとつ。
階段を登るにつれ、徐々に広くなってゆく通路に、独り足音を響かせつつも、どうやら雑な芝居に掛かってくれたらしい、とハザは胸を撫で下ろす。
さて、その結果、屍を晒すのは、一体どちらになるのだろう。
後をつけてきた者が、どんな目的があるのかを窺う為に、彼等は黙々と通路を進み、後をつける者の到来を待った。



女が振り向いた時、一瞬、気付かれたと思ったが、奴等はまるで警戒していない。
後10歩、9歩、8歩……。
音を立てぬよう、腰の鞘から密かに剣を抜き、2人へと近づく。
狙うなら武器を持つ、男の方からだろう。
そちらから先に仕留めてしまえば、妙な女の方は後からどうとでも出来そうだ。
後3歩、2歩、1歩――。
十分に近づいた事を察した彼は、1撃で仕留めてやろうと、剣を振り上げる。

しかし気付けば、目の前の男が背負った長剣の柄へと、手を掛けていた。
これは――何時の間に?
すると振り下ろそうと構えた剣が、突然べきりと嫌な音を立て、根元からへし折れる。
そして、これはついでだ、と言わんばかりに、兜も拉げ打ち割れた。
鋼が鉄と打ち合わさる、2つの音はほぼ同時に、古い遺構の通路へと響く。
背後からの襲撃を試みた者は、そこまでに、何があったのかを知る間も、考える間もまるで無かった様に思う。
彼が死に魂を連れ去られる寸前、漸く自身の身に、何が起こったのかを理解した――己が剣を振り下ろすよりも遥かに早く、目の前の青年が長剣を振るったのだと。
砕ける様に折れた剣がカラカラと、石畳の上を転がる音が聴こえたのを最後に、その者の意志は、たちまちの内に粉微塵と消え失せ、その場に斃れ伏す。
ぐちゃりと潰れた中身を想像させる鮮血が、彼の振るう剛剣の前には、防具としてまるで役に立たなかった、兜の隙間から床に流れ出し、さながら絵図の如く大きな染みを広げていた。
一刀の下に斬り伏せ、物言わぬ屍と化した者を尻目に、背中に下げた長剣の柄へと手を掛けた青年が、姿勢をそのままに首だけを捻り、背後に向かって声を上げる。
「何をしに来たかは聞かん。
背後を取った位で調子に乗るなよ、雑魚が。

おい、――次はお前か?」
低く這う様な声と共に、ハザの鋭い双眸が、物陰を射貫く。
本当に何か隠れているのだろうか、そう疑わざるを得ない程、暫しの間、無音の時が過ぎ去った。
やがて、音の無い世界に一陣の風が訪れ、びゅうびゅうと駆け去る足音が、耳朶を打つ頃。
厳しい顔を崩さぬ彼の、その視線の先から、遂に観念したのだろうか、暗がりから隠れていた者達が現れる。
その者達は、彼から少しでも遠く離れようと、ゆっくりと後退りを続け、やがて十分な距離が確保されると見るや否や、背を向けて一目散に駆け出した。
がちゃがちゃと、3つの板金鎧が、小五月蠅い音を立てて、遠ざかってゆく。
きっと、臆病風に吹かれたのだろう。
その程度なら、戦わずに済む。
場を察せぬ間抜けや、高揚した死にたがりなら、その場で斬り伏せれば済む話だ。
敵が何者かを知りたくもあったが、先程から目にする未知の事柄に、何事をも解せぬ所為であるのか、何よりも自身のその胸中には、自らが驚く程の怒りが満ちている。
暫くの間は知る事よりも、戦う事を選んでしまうに違いない。
そして、謎の女と巡り会ってからというもの、思う存分剣を振るう事が出来なかったハザ。
この程度で満たされてしまうのは、決して良い事ではない――しかし、今回は思い通りに長剣を扱い、物事を進める事が出来た為、少しは溜飲が下がった気がした。

幾度か頭を振って、青年は落ち着きを取り戻す。
そして、討ったばかりの屍を放置し、元の方角へと進みながら、口を開く。
「……気付いてたのか?」
「はい。
我等の後を着いて来ましたので、ハザのお知り合いかと思って、尋ねようとしたのです」
「気付いてたなら、先に言え。
それと一体、何処をどうしたら、そう見えるんだ?
数多くは無いが、俺の知り合いに、こんな穴蔵まで来たがる奴は、1人も居ない。
それから、お前は随分昔からここに居たんだろう?
今の所、俺の他は人に、……顔見知りや知り合いは居ない筈だ。
少しは疑ってくれ」
娘に呆れた顔を向けたハザ。
しかし、彼女の面持ちはこれっぽっちも、変わる素振りを見せない。
この女には、どうやれば、意志がはっきりと伝わるのか。
いずれにせよ何処かで、折り合いをつける為に、きちんと話し合わねばならないだろう。

他人の財布や荷を目当てに、漁りに来る不逞の輩も、この遺跡には多く見られる。
矢張り人が増えれば、何処でも同じなのか。
ハザも、狼藉を働こうとする者達と遭遇し、その度に片付けながら、ここまで進んできたのだ。
だが、先程見た限りでは、似たような格好からして、その様な類の者では無さそうである。
盗みや強奪を働く者は、わざわざこんな深い所までは、やって来たりはしないだろう。
どちらかと言えば、その様子からして、与えられた武具の様に見えた。
恐らくは、国や導く者に仕えている、戦う者達であろうか?
目的が同じ者であるならば、こんな地の底まで降りて来たとしても、何の不思議も無い。
しかし、この遺跡の目標たる者は、彼が先に見つけ出したのだ。
その成果をつけ狙い、襲撃してくる者も、今まで決して少なくは無かったし、この遺構にも当然ながら居るだろう。
ハザの方も、成功報酬を目当てとする商売柄、折角の手柄を横取りされては敵わないし、先程の奴等が、ハザを派遣した教団の者達とは、限らない。
だがその連中も、今は怪しい動きをしている様にも思える――当面は何者をも信じず、この娘を、地表まで送り届けねば。
胸中の密かな決意も新たに、彼は歩き始める。
微かに衣擦れの音。
すぐ後ろを、物静かな娘が着いて来ているのだ。
足音はしない――見てはいないが、また浮いているのだろう。
さっきの様に、怪しまれるような浮き方をしていなければ、それで良い。
おかしな事をされれば、すぐに地底に封じられていた者と見破られ、面倒な事となるからだ。
追い払った奴等もそれを見て、手柄を奪おうと、近づいてきたのだろうか。
あれは、気が付かなければ、どうなっていた事やら。

王の号令には、相当な人が集まったと聞く。
噂に名高い豪傑や、名も知らぬ猛者が、この遺構へと辿り着いている、かもしれないのだ。
この先に出会うのは、俺に剣を構えさせない、雑魚ばかりとは限らん。
奴等の呼ぶ、地の底に居た神と思しき娘を、何処の馬の骨と知れぬ輩に奪われ、地上におめおめと戻れば、無能者の誹りを受け、約束された報いも受け取れぬままに、放り出されるに違いない。
ここまで来て、そんな事になってたまるか、と再び強く決意を宿し直したハザは、多数の敵と、対峙した時の事を想定し、考えた。
自身を狙われたのならば、まだ何とかなる。
だが、この女の場合はどうか。
数を揃え、一斉に掛られれば、動きの遅いこの娘では、ひと溜りも無いだろう事は、想像に難くない。
対峙した敵が、数合も打ち合わねばならぬ程の、強き者が独りでも居た場合、神と思しき娘を、恐らく守り切れないだろう。
しかも、それらを避けようとしない、それも、全く。
茫洋とした澄まし顔を、何ひとつ変える事無く、迫る敵を眺めていた事を思い出す。
だが、避けよう助かろうと、動く意志が感じられないと、どう助けに向かおうとも、やりようがないのだ――これは如何なものか。
短刀をひとつ預け、多少なら戦い方を教えても良いが、あまり動かぬ者が付け焼刃の体術で、戦を潜り抜けて来た者達に、どうにか出来るとも思えないのだ。
先ずは避ける事、逃げる事を、きちんと教えた方が、良いのかもしれないが。

頭の痛い悩みを抱えつつ、この先どのように戦い抜くかを考え、石段を登った先の、見覚えと印の無い二股の別れ道。
曲がり角から首だけを出し、通路の先の様子を見ていると、先の壁が明るくなっている事に気付く。
よくよく確かめると、先の通路は、何やら明かりが灯っているのが見える。
「すまん、また消してくれ」
またか、と思い背中で語り掛けると、壁に映り込む光が、徐々に小さくなり、やがて見えなくなった。
だが、その灯火は完全に消えた訳では無い。
周囲は完全な闇へと没する事にはならず、ぼんやりと娘の茫洋とした澄まし顔が見え、その手元には、小さな小さな光源が未だに煌めく。
娘がランタン角灯のつまみを絞ったのか――壊れているのに、良く動作している。
弱い光ではあるが、視界は確保されたままであり、咄嗟の事には何とか応対できそうだ。
これならば光は向こうまで、届かないだろう。
向こうの光は動かない。
安心したハザは、じっと耳を澄ませた。

すると、壁に反し微かに響く、幾人かの声。
――先程と同じく、この先に屯する者達が居る。
僅かに、幾重にも反響する声は、上手く聞き取る事は出来ない。
降りて来た時は、これ程まで人と出会うなんて事は無かった筈――この短期間で、これだけ何者かに遭遇すると言う事に、彼はますます怪しく思った。
後をつけられていたのは確実だろう――動きが組織立っているし、散らばり具合からして、展開が早過ぎる。
何者かが印の意味を見破り、降りる道へ沢山の者を連れて来たに違いない。
そうなると、彼独りで行っても、どんな対応をされるか怪しいが、今、この娘を連れてそこへ行けば、間違いなく争う事となるだろう。
脳裏には、何時か見た教団の紋が浮かび上がっていた。
のこのこと出て行けば、集団で襲い掛かり、この女を連れ出すという手柄を奪われる――、成程、気に入らんな。
「どうしたのですか?」
先へと進まず、あれをどうやって攻め、切り崩すかを考え込む青年に、茫洋とした澄まし顔の娘が語り掛ける。
暗がりの所為か、澄んだ声がより身近に感じられた。
どうするもこうするも無い。
先に屯する奴等との戦いを、優位に運びたいが、思い付かん――何とか回避できる道は無いものか。
「ん――」
彼が、考えを口に登らせるより早く、娘が答える。
それも、良い所を突いて。
察しが良いのだろうか、透き通った声の返事は、とても速かった。
発言のタイミング機会判断を失い、ハザは黙り込む。
「こちらに、通れる道がありますが。

はい――。
恐れ入ります」
更に追加でひと言、淡々と語り、娘は壁を差して言う。
それを黙って聞いていた青年は思わず、首を傾げた。
この女は、何を言っている。
差す所がおかしい、それに察しが早過ぎないか?
「そこは――」
壁だろう、と向こうに聴こえて行かない様、小声で話そうとするハザ。
すると突然、彼の返答よりも早く、彼女の指先にふわりと丸く、光が灯った様な気がした。
そして、規則正しく並べられた、石造りの壁の一部に触れる――。
指先を見ると、もう何も輝いてはいない。
本当に、輝いていたのだろうか。
胸中にそこはかとなく沸き起こる疑問から、意識を戻す。
そして、目を向けると何時の間にか、娘が指差していた壁が消え失せており、そこにはぽっかりと黒い空洞が、姿を現している。
不思議な事に、先程までそこにあった壁は、跡形も無くなっていた。
ぐぅぅ、と押し殺した様な音が、喉元までせり上がり――彼は、驚愕を声と共に強引に飲み込む。
そして訝しんだ青年は、何度も目を瞬かせ、擦り、壁のあった場所を触れて、確かめる。
何度調べてもその空間には、消え失せた壁は見当たらなかった。

どうにか声を抑えたハザは、漸く声を絞り出す。
「何をどうやったのかは知らんが。
塞がれていた通路を開けた、――という事は。
この先が何処に通じているのか、知っているんだな」
「いえ。
我等も、此処が何処に繋がっているのか、までは存じません」
予想だにせず、返事はすぐにあった。
だが、期待するほど、有用な情報が含まれた返答は得られていない。
彼女も知らないらしいが、この通路は果たして、何処へ繋がっているのか。
仕掛けられた罠があるかもしれないが、この女が罠に嵌めて来る事は、まず無いだろう。
元よりその心積りなら、もうやっている筈だからだ。
俺もこの女も、お互いを騙す利点は皆無――。
ならば、この先に居る奴等をどうするか。
地上はまだ遠く、行く先は長いのだ、なるべくなら無傷で済ませたい。

ハザ独りなら、対峙すると決めた相手が何者だろうと、何人居ようと恐れもせず、即座に剣を抜いて、駆け寄っていた事だろう。
しかし今は、戦えぬ者を背後に引き連れている。
その事が、この勝気な青年の判断を、いつも以上に鈍らせていた。
敵地を駆け抜け、知っている通路を登る事と、恐らく見つからないであろう通路を通り、見知らぬ通りで、登り道を探しつつ地上を目指す事と、そのどちらがより有用なのか。
彼はそんな戸惑いを――心の内で天秤にかける。
だがしかし、先程も、後をつけて来る何者かと、交戦したばかりなのだ。
もし警戒されているのならば、こっそり通り抜ける事も、奇襲も成功が覚束ない。
矢張り正面突破が一番確実かつ、楽な方法なのだろうか。
すると、まるで戦えないこの女が邪魔になる――。
それならば、何処かに身を隠して貰った方が、良い結果が得られるだろう。
問題は何処に身を隠させるか、の一言に尽きるのだが。

考えている間にも、彼女は何も言わず、じっと待っていた。
手持ち無沙汰なのか、両手で下げたランタン角灯が、所在無さげに揺れている。
それをぼんやりと目にした青年は、突然声を上げた――ここでぼんやりと待っていても仕方がない、とばかりに。
「分かった、行こう」
この通路の奥が何処に繋がっているのかを、確かめてからでも遅くは無い筈だ。
ハザは細い通路の先を、自らの目で確かめる事にする。
意を決し、通路へと踏み込むと、僅かに聞こえて来る、衣擦れの音が続く。
彼と違い足音を響かせぬのは、また浮いたからに違いない。
そして、消えた筈の明かりが再び灯る――気を利かせたのか、娘がランタン角灯の明かりを着けたのだろう。
何も言わずとも、彼女が着いて来ている証を、目に耳に確かめつつ、青年は、新しく出来た暗がりの道へと、その身を滑り込ませ、何処へと繋がっているのか確かめる為に歩む。



ブログ小説 アンシエンラント創世記 2話2章挿絵

【失敗の代償】