2021年2月24日水曜日

ブログ小説 縁切徹 第五話 ついでの仕事(4)

 【ブログ小説】
R.M.E.R. 2nd chapter3
縁切徹

ついでの仕事(4)



――――――――(1)――――――――



腕は、足は、目は、鼻は、口は、何処に在るというのだろう。
まるで、影が世に染み出て、命を持ち、良からぬ事を企てる為に、動き出したかの様だ。

その異様な姿に、殆どの者が戦の前の日までは、我こそはと声も高らかに意気揚々と構えていたが、いざ出会い攻める段となると委縮し、お前が行け、いやいやお前こそ、武人の栄誉、先陣の手柄をどうぞどうぞ、と互いに先を譲り合う始末。
まともに戦えた者が、全く居ない訳では無かったが、それでも銀の髪の娘の立ち回りが、一際目立っている。
一番槍こそ他の者であったものの、一歩も退かぬその後の戦いぶりは目覚ましく、皆疲弊して動けず、へたり込んでしまっている最中にあっても、彼女は独り恐ろしい姿形の化物を、手にした刃で何度も斬りつけていた。

彼女の衣服は、土埃や跳ねた泥で汚れてはいたが、それ以外は何も変わらず。
戦の始まってより、華奢な容姿からは想像も及ばぬその勇ましい様相を見て、自らも負けじと奮い立ち、或いは共闘を試みんとする者も、幾人か居たが、それも両手で数えられる程の、極僅かに留まるのみ。
遠巻きに見ていた残りの者は、既に斃れ伏し、動かなくなった魔獣を相手取ると、今だ、止めを刺せとばかりに、その時ばかりは勇ましい鬨の声を上げつつ、自慢の獲物を手に手に吶喊するのであった。



戦いが終わり、静かな風が吹く。
被害や犠牲が無かった訳では無いが、荷台を引く魔導具を一機も失わず、戦い抜いた成果を鑑みるに、これならば概ね大成功の部類に含まれるだろう。
未だ手柄を立てておらぬ者は、やあやあと大声を張り上げ、剣や槍を魔獣の屍に突き立てると、互いに肩を叩き喜び合っていた。
当のカヤと言えば、魔獣の最後の方向を聞くと、仕事は終わったとばかりに少し離れた所に寝転び、その様子を退屈そうに眺めていたが、ふと、視線を数十歩先の草陰の方へと向け、訝し気に彼女は目を細める。
先には、先程の激しい戦いの最中、死んでしまったのだろうか、男が一人、斃れているのが見えた。
むくりと身を起こすと、何があったというのか、のこのこと歩いてそこへわざわざ近づき、腰を曲げて静かに様子を窺う。
そして、倒れ伏した者へ、恐る恐る、といった風体で声を掛けた。

―――――――申し 其処の御方様 もう戦は終わりやしたぜ
―――――そろそろお起きになったら 如何で御座いやしょう?

エルヴンの女が声を掛けると、倒れていた者は慌てて飛び起き、這い蹲ってその場から逃げ出そうとする。
喉の奥から絞り出す様な、情けない悲鳴が、悠然と広がる乾いた虚空へと、吸い込まれてゆく。
「わ、わわっ。
あわっ、あ、あわわ、わわわあッ。
たったた、たたっ、助けてぇ!」
大声を上げ、皆の耳目がそこに集うが、それでも彼は周りが見えていない様だ。
泡を食った形相で大粒の涙を流し、両手両足をばたつかせ、少しでも声がした場所から離れんと、必死に地を這う。
やがて、あちこちに顔を出す、剥き出しの大きな岩に――可哀そうな事に、鼻っ柱からめきりと嫌な音が、はっきりと聴こえる程勢い良く――ぶつかると、逃げられないと悟ったのか、そこで観念したのか、振り返り尻餅をつき、何かに祈るような姿勢で許しを請い始める。
「ひぃっ!?
ま、まま待って、喰わないでくれぇっ!
今度から真面目に働く、働くよ!
だから神様、かっかかか、母ちゃん――たた助け、助けてぇ!」
恐らくは、魔獣が倒された事に、まだ気が付いていないのだろう。
瞬く間に股を濡らし、わぁわぁと泣き叫ぶ彼を見て、唖然としていた一党。
やがて、何が起きたのかを理解し、皆一斉に噴き出すと、それは大きな笑い声となって、辺りを包み込む。

そのあまりにも大きな音のうねりに、男はひぃぃ、と気の抜けるような悲鳴を上げ、その場に蹲り身を固くした。
しかし、今か今かと身構えていたにも関わらず、悲嘆に暮れる様な、彼を襲う苦痛は訪れては来ない。
妙な出来事に不思議に思う、何かに怯えていた男は、戦々恐々としながらその目を開く。
「あ、あれれ……?」
すると、聴こえていたのは、草原に轟々と響く笑い声。
暫くの間、何事かと呆けた顔つきで、ぽかんと口を開けていた彼は、漸く気が付くのだった――指差され、物笑いの種となっている事に。



そして、各々魔獣を刻んで欠片にした後の帰り道。
森の近くで野営の陣を張り、小休止の後夕食にありついた後の事である。
大釜で煮た汁が、そろそろ夜風に冷やされようかという頃、一党を纏める者は、配下の者より妙な話を聞く。
熱い食べ物が苦手な彼は、丁度良い具合になってきたそれを、他の者よりも一足も二足も遅めに、口にしようとしていると、突然の報告があり、何者かが、同行している女を密かに襲撃し、始末しようという話をしており、それを聴いたと言うのだ。

同行する女と言えば、昼間目覚ましい活躍をした、アレしか居ない。
他に例えようも無いし、見間違いでも、聞き違いでも勘違いでも無いだろう。
「どうします?
このまま、放っておく訳にはいきません」
警備する者を増やし、規律を守らせるべきであると、鼻息荒く主張する生真面目な若い配下に、一党を纏める者は頭を抱えた。
確かにその通り、その通りなのだが。
更に詳しく聞けば、あのエルヴンの女は、元より揉め事が絶えなかったと聞く。
恨まれていたり、賞金を懸けられている者が、このような場に紛れ込むのは良くある話だが、襲撃を企んでいたのは、その者達だろうか、しかし、一党としては、金目当てに集まる冒険者の事情に深く関わり、どちらか一方に加担する訳にもいかない。
そして、未然に防ぐとするならば、調べに回すまでの頭数が足りないのだ。
とすれば、同行する他の団へと、協力を仰がねばならないのだが……。

「わかった、何とかする」
まるで手立ての無い生返事を、一党を纏める者は返し、そして、近頃めっきりと髪が薄くなった頭皮を、ぽりぽりと掻く。
そう、協力を仰ぐとなると、それなりの謝礼が必要になる。
限られた予算で一党の運行を行わねばらならず、それだけでも実に頭の痛い話だが、選ぶ者を間違えると、謝礼を多く支払わされるだけでなく、現場の収拾がつかなくなる程、荒らされる事もあるのだ。
もし最悪の事態になれば、街に帰還した後に、相当な批判と追及を受け、今後の進退に関わるだろうし、何より魔獣を討つという、当初の目的を果たし、上手く事が運んでいるのに、ここで仕事にケチを付けられては敵わん。
協力を仰ぐ団は慎重に見極め、極限まで絞り込んで、事を運ばねばならないだろう。
そして、支払いを抑える為、なるべくなら、自身の顔が利く者達が望ましい。
となると――。

ふと、考えを巡らせていた彼は、適任に近い者達が居た事を思い出す。
規律も比較的高く守られ、頭数も多く頼りになるし、何より我らが一党に協力的である事も、選出に一役買える点であると言えるだろう。
彼等ならば、後腐れなく問題を片づけてくれるに違いない――物事の解決法が、少々手荒な事さえ見逃せば、の話だが。
一党を纏める者は、報告を終え立ち去ろうとする配下の者を呼び止め、声を掛けた。
「ああ、待て待て――。
我らが一党にはな、丁度そういうのに向いてる、血気盛んな奴らが居るんだ。
今から言う奴らの所に行って、その話伝えてこい。
きっと手伝ってくれるさ。

それから、今夜からは周囲の警備を念入りに行おう」



――――――――(2)――――――――



そこには道も無く、木々に囲まれた薄暗い場所。
夕食の後、暇潰しに皆の所を離れ、散策に出たのが良くなかったのか。
後を着けて来たのだろうか、無言で三人が取り囲む。
右手側に松明と長剣を携える者、左手側には槌を携える者、そして背後には、幅広の長剣を構える男。
その向こうに、更に二人。
何度か見た顔――細面で剽軽そうな、顎髭を蓄えた男と、二刀を操る者。
取り囲んだ者達の要件を、察しているとでも言うつもりか、悠々とした口調でエルヴンの女は口を開いた。

―――――――お前様方を斬っても 銭にならねぇ 今日の所ぁお引き取りを

彼女の言葉が耳朶を打ったが、そうはいくかい、と顎髭を蓄えた男は思う。
お前のお陰で、本来の稼ぎは楽に終わった、ここから先は、分け前を増やす為の、真面目なお仕事なんだよ。
もし生け捕りに出来れば、帰ってからの楽しみが増えるんだ――戦いの前だと言うにも関わらず、男はにんまりとほくそ笑む。
それを合図としたのか、カヤを取り囲んだ男三人が獲物を振るった。

正面から挑んだ松明と長剣を携える者が、足元を斬り払い、後ろの幅広の長剣を構える男が横薙ぎの一閃を振るう。
前後から挟み、互いに振り抜く剣の速さを測っての連携である。
これが避けられる者は、早々居ない。
縦しんば避けられたとしても、更に続く槌を携える者が、姿勢を崩した所を狙い打つ。
数々の腕自慢を屠って来たそのやり口に、エルヴンの女に対した誰もが、確実な勝利を確信していた事だろう。
だが、ひょいと軽く退く様に、カヤが跳ねる。
剣を振る為に、腰を落として構えた長剣を携える者の頭より、遥か高く。
足元を狙った刃は外れ、その頂点に鋭い鋼の刃が降り下ろされた。
額を叩き割るが如く、斬撃を加えた後、声も無く地に膝をつこうとする、長剣を携えた者の肩を踏み付け、もう一度高く跳躍する。
取り落とした長剣、そして松明ががらりと地に転がり、ぼう、と燃え盛った音が微かに響く。
続いて、背後から重い唸りを上げ、迫り来る幅広の長剣の上に、女が足先を乗せ屈み込む。
丁度剣の上に乗り込んだ形だが、不思議と、重さは感じなかった。
勢いに任せて剣を振り抜くと、至極当たり前の事だが、上に乗った銀の髪の娘も、それに合わせて宙を滑るように運ばれる。
そこにはまるで、初めから何も乗らなかったかの如く。
お蔭で、と言って良いのかどうか――着地を狙ったもう一人の、渾身の一撃も空を切った。
槌を振り抜いた者は、そのままよろよろと二、三歩進むと、胸に手を当て一言呻き、地に伏して、動かなくなる。
幅広の長剣を、横薙ぎに振り抜いた姿勢で、自らの剣の上、そこに居座るエルヴンの女を見て、思わず目を剝く男。
その顔は驚愕に彩られていた。
夢を見ているのだろうか、とでも言うべき、あまりにも早過ぎる展開を前に、理解が追いつく事が出来ず、彼は疑う他無かった――瞬時に、仲間二人が屠られるという光景を。
しかし、腕に残った感覚は、握り締める剣と、その上の女の重さを感じ、震え始めている。
それはまるで悪い夢が終わり、より厳く辛い現世にて、目を覚ましてしまったかの様に。
僅かな間の後に、重さに耐えかね剣を手放す寸前、信じ難き出来事を前に、我を忘れる男に向け、剣の上に居座る彼女の手から、銀閃が放たれ、無防備な首筋を打つ。
最後に彼は、地に崩れ落ちようとする、首の無い己の姿そして、木々と漆黒に覆われた夜空を見た。

力なく放り出され、がらんと地に転がる長剣の上に居た娘が、ひらりと舞い降りる。
地に転がりはしたものの、未だに燃え盛る勢いを失わぬ松明の灯に、肩口まで伸びた銀の髪が、ふうわりと浮き美しく煌めく。
満を持した三人がかりでの攻撃は、見事な反撃を受け、清々しいまでの失敗に終わり、思わずぐぅぅ、とどちらかの呻き声が響いた。
――残りは、二人。
一応ながらに、数の上では未だに有利である筈なのだが、たった今、三人を無傷で退けたエルヴンの女にとって、その数の差というものは、果たして有利に働くものなのだろうか?

どう攻めるか考えあぐねていると、先程は今までとは違い、今度は出方を見ていた彼女の方から動く。
機先を奪われ、まずいと感じた顎髭を蓄えた男が、慌てて短刀を投げつける。
狙わずに投げたそれは、当然の様にあっさりと、彼女の刃に行く手を阻まれ、二手に分かれて明後日の方角へと消えた。
残った二刀を操る者が一歩進み、後ろから切り付けたが、それも振り向いた娘に弾かれ、そのまま押し合いとなる。
右手の剣と、左手の剣で、何とか剣劇を抑え込む。
何とか支えてはいるが、少しでも気を抜くと、瞬く間に押し切られてしまいそうだ。
しかしそれは相手も同じだろう、エルヴンの女も両手で刀の柄を握り、差し引きならない状態が続く。
力の差はまるで互角、このままでは埒が明かない。
だが、こちらには顎髭を蓄えた男が後ろに居る。
もう一度短刀を投げつけさせれば、討つ隙は出来ずとも、膠着を打破する事が出来るだろう。
よし今だ、やってくれ、と目で合図を送ろうとして、二刀を操る者は唖然とした。
それもその筈、後ろに陣取った顎髭を蓄えた男が、額を抑え、木々の向こうへ歩き去ろうとしている。
何事かと思えば、右手を失い、額、または顔に生じた傷を、残った方の手で押さえている様にも見える――これは一体、どうした事か。
松明で見える範囲には、夥しい血の跡が、男の通った先へと続く。

両の腕にかかっていた筈の圧が消え、ふいに軽くなる――。
何時の間にか、両手を頭上に突き上げ掲げていた。
一つづつ手にした剣が、根元から断たれ、からりと地に落ちた音が続くのだろう。
そうか――背後を気にしなくても良くなったから、両手で……。
頭蓋が断ち割られるのを感じながら、二刀を操る者は漸く悟り、自らの運命とその結末を、ただただ静かに受け入れてゆく事となった。



点々と続く、血の跡へ視線を移し、カヤは長脇差を鞘に納める。
顎髭を蓄えた男を一人逃したが、あの怪我では、そうは長く持つまい。
額を抑え、這う這うの体で逃げていく男の命運を、その場の流れに任せる事に決めたのか、静かになると、足元を斬り払って来た者が、取り落とした松明を拾う。
それをやや高く掲げると、向こうの木陰には、幾人かの戦の支度を終えた者達が、屯しているのが見えた。
襲ってくるつもりは見られないが、一体何の用だろうか。
黙って見ていると、男が一人、声を掛けてくる。
「心配して見に来たが、手助けは要らなかったようだな。
大した腕前だ」

―――――――へい 恐れ入りやす

間を空けずにカヤは言った――遠目にも愛想笑いと分かる、僅かな笑みを口元に浮かべて。
通り過ぎる傍ら、彼女を心配し、肩を叩いてきた者達をするりと抜ける。
手が触れようとするその時、その姿が一瞬揺らいだが、誰もエルヴンの女に触れられなかった事に、訝しむ者こそ居たものの、それに気が付いた様子は無い。
皆、松明を手に遠ざかる、銀の髪の娘の方をじっと眺めている。
やがてカヤが立ち去り、辺りに静けさが立ち戻った頃、再び声が響く。
しかし、今度は密やかに伝えるべく、周囲に気を使った小声であるように思われた。
「ねえ隊長、逃げた奴、どうします。
……追いますか?」
「ん、そうだな……。
あの手傷じゃそう遠くまで逃げられんかもしれんが。
共に戦った者に手を出すのは、俺たちの流儀に反する。
もし生きていて、また帰りに面倒を起こされても、こっちとしてはいい迷惑だ。

――、追えッ」

その言葉を聞いた者達は、黙したまま深く頷き、追跡の為明かりを灯すと、血の跡を辿って走り出す。



――――――――(3)――――――――



生き残った者の一党は、街に帰り着く。
凱旋もそこそこに、広間に集められると、用意された報酬が支払われる事となった。
用意された貨幣の量は、残った人数に関わらず、定まった額であったが――待ってました、と集められた者達から、拍手喝采が鳴り響き、騒然となる。
この為に命がけで戦ってきたのだ、当然と言えるが、この時が最も喜ばしい瞬間であろう。
支払額が一定だと聞いてない、仲間を失った等と騒ぐ者も当然ながら居たが、その働きぶりを問われると、皆黙り込む事となった。

「銀の髪、紅き瞳を持つ、エルヴン族の女!
カヤ殿は、何処か?
居られたならば、進み出よ!」
報奨を受け取ろうと待つ者達は、それぞれが思い思いの場に集い、暫し暇を潰す為の歓談に耽っていると、やがてカヤの名が呼ばれる。
すると、何処からともなく、へえぇぃ、と生返事が返され、屯する輪の中から、銀の髪の娘が姿を現す。
先には恰幅と身形の良い男が佇んでおり、彼女の到来を、重苦しい顔で待ち受けていた。
折角の装飾の良い服が、その体系で張り詰めた様に、間延びして見えてしまうのは、ご愛嬌の内、と言って良いものだろうか。
背後には、幾人もの鎧兜に身を包む者達が、男を守るように付き従い、その事が彼の身分を、雄弁に物語っている。
彼は、進み出たエルヴンの女の姿を認め、うむ、と軽く頷く。
そして、報奨が入っているのだろうか、重い物が幾つも入っている事が想像に難くない、下がった袋を片手でそっと差し出す。
「紅い瞳に、銀の髪の、エルヴンの女……。
ふむ、相違無いな。

お前の事は、聞き及んでいる。
目覚ましい活躍だったそうだな?
本来ならば、その働きに応じた謝礼とすべきだが……。
ご覧の通りだ、我が街の財も乏しくてな。
他の者と同じ支払いしか出来ん」
しっかりと娘を見据えたまま、彼は厳しい面持ちを一時も崩さず、すまぬと一言を付け加え、重々しい口調で全てを語った。
だが、カヤは受け取った袋の口を握り、上下に何度か振って、その重さを確かめる。
そして彼女の倍程は、厚みと幅のある男に、やんわりと笑いかけながら、金の詰まった袋を袂に仕舞い込む。

―――――――へい 恐れ入りやす
―――――あっしみてえな流れ者にゃあ これで十分でさ

その言葉を聞くと、漸く安堵した様に、肩を揺すった男は顔を綻ばせた。
併せて、付き従っていた者達も、顔を覆う兜の向こうで、その緊張を解いた様に見える。
支払いが少ないと、不満を述べられた時の言い訳を考えると、実に頭の痛い話であったに違いない。
返す声も、心なしか明るくなったような気がした。
「おお、そうか、感謝する。
礼というのも何だが、この働きは、出来る限り広く伝えておく。
我が街を訪ねた旅人は、必ずやお前の事を知り、次の街へと向かう事だろう」



やがて、恰幅と身形の良い男との、短い話を終えると、踵を返すカヤ。
広場を出ようとした所で、娘を呼び止める声が耳朶を打つ。
「ちょっと待ってくれ!」
追って来たのだろうか、先程まで、仲睦まじく話していた一団の若い男だ。
立ち去ろうとする彼女を呼び止めた彼は、どうしたものかと暫く迷っていたが、やがて意を決したように、緊張した面持ちを浮かべ、声を掛ける。
「なあ、お前さ、俺達の団に来ないか?
その腕前があれば、十分にやっていける」
男の言葉を聴き、彼の周りに屯していた者達が、賛同の声を上げ、エルヴンの女の周囲へと集う。

次に若い男の話を、引き継ぐかの様に喋り始めたのは、鍛え上げられた体の、半裸の男だった。
その頭と顔には、一本たりとも毛が生えていない。
程良く日焼けした肌と、逞しい体格に似合う野太い声が、一際大きく周囲に響き渡る。
「おっ、そりゃあいいな!
俺が、お偉方に上手く言ってやるからよ。
俺達の団は男所帯じゃねえ、女もちゃんと居るから心配はいらん。
お、う、嘘じゃねえよ。
心配なら、宿舎の中の様子を見てもらってから、でも構わねえ。
そりゃあな、お前と比べれば、とうの昔に女である事を、そこいらに捨てちまった様な奴らだが……な、引き合わせてやるよ、そっちの方が、お前もやりやすいだろ?」
そこまで言うと、団の男達が突如、くすくすと含み笑いを零し、男の言い様を嘲り笑った。
どうやら、先程けなしたその女達の中に、仲間内から冷やかされる程の、熱く良い仲である者が居るらしい。
同じ釜の飯を食う期間が長いと、互いに罵り合いながらも、それとなく仲睦まじくなる男と女も、出てくるのだろう。
ある女の名を挙げる、仲間からの冷やかしを前に、顔を真っ赤にした男は――その刹那、しまったという面持ちを浮かべたが――すぐに大声を張り上げつつ、一団の笑いを押し留めようと躍起になる。
「馬鹿野郎!
俺から見ての話だよ、お前ぇら、俺がこんな事言ったなんて、あいつ等に言うんじゃねえぞッ。
ふぃ~、おっかねえ。

……コホン、――まあ、何時もこんな感じだ。
仲間が増えれば、うちの団の女共も、きっと喜ぶぜ。
まずはそれでどうだ、それから少しづつ慣れて貰えりゃ――」
半裸の男の話をそこまで聞いた時、娘は正面に軽く掌を挙げ、話の続きを制す。
夢中で話していた男は、その意味を察し黙り込むと、静かになった。
そして、期待した眼差しを意気消沈させる返答が、彼女の口からしずしずと語られる。

―――――――あっしは 里帰りの途中なんでさ
―――――折角のお誘いを蹴っちまって 申し訳ねえんですが 他を頼ってくだせぇ

そう言うと、紅い瞳が、心底申し訳なさそうに伏せられ、意味を察した一団の笑い声が、急に止む。
続いて、詫びの心積りであるのか、ぺこりとカヤは軽く頭を下げる。
随分と古めかしいのが一目で分かる、底の浅い円錐形の笠の頂点が、男達の方へ向けられた。
一体どれ位の間旅をすれば、これ程の使用感が出るのだろうか。
そして顔を上げると、娘を中心として、彼らの周囲を静寂が包み込む――それはごく僅かな間、街の喧騒が遠く聞こえる程の。

―――――――それじゃあ あっしはこの辺で 御免なすって

何としても、一団へ引き留めたい男達が、あれこれと理由を探していると、やがて、沈黙を破る別れの声がした。
礼のつもりか、振り返りつつぺこりと頭を下げるカヤ。
何処に帰るのかは知らないが、彼女が向かう方角の遥か彼方には、エルヴン領があると聞く。
そこにある里に帰るための旅を、続けるのだろう。

踵を返すと背を向け、立ち去ろうとする娘の肩に、また別の男が縋りつこうとする。
「な、なあ、ちょっと待ってくれよ。
もっと良い条件にならないか、俺からも口を利いてやるからさ、頼むよ。
お前が団に来てくれるなら、俺達も、もっと上を――」
片手を伸ばし掴もうとするが、その手は肩にかかる前、胴鎧を着込んだ、仲間の手によって抑えられてしまう。
「あっ……」
手を掴んだ仲間の男は、黙って首を振る。
それを見て、カヤの後を追おうとした彼は、諦めたのだろうか、至極残念そうに俯いた。
最初から最後まで、見事に戦い抜いていたエルヴンの女。
目を引く、愛らしい容姿を差し引いたとしても、その腕前は見事なものである。
独り者で旅をするエルヴンは、かなりの手練れと聞いてはいたが、あの戦いの様子を目の当たりにして、尚それを、所詮風の噂だと一笑に伏す者は、一人として居るまい。
もしも、彼女が我が団に加われば、かなりの戦力となったろうに。
興味を引ける様なもっと良い条件で、いや、あの娘に帰途の用さえ無ければ、或いは――。
他の者達は、その想いを込め名残惜しそうに、小さくなる娘の背を視線で追い、やりきれなそうに頭を振ったり、何度も舌打ちを続ける。

「チェッ、惜しいな。
通りがかったついでの仕事かよ」

ぺたぺたと歩き去る、カヤの煌めく髪が、背が、笠が、景色の向こうに遠く薄く、溶け込むように消え去り、見えなくなる頃になると、彼女に声を掛けた団の内の一人が、未練がましそうな声を一言、ぽつりと上げるのだった。



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