2021年2月17日水曜日

ブログ小説 縁切徹 第五話 ついでの仕事(3)

 【ブログ小説】
R.M.E.R. 2nd chapter3
縁切徹

ついでの仕事(3)



――――――――(1)――――――――



夕刻。
見渡す限り平らな景色が続く草原には、剥き出しの大きな岩があちこちに点在している。
短い草こそ、まるで常世を謳歌するかの如く、青々と生い茂っているものの、目印になる様な木々は少ない――。

魔獣を討つべく結成された一党は、そこで夜を明かす事にしたようだ。
物々しい連中を荷台から下ろし、用意した器を持たせて皆一様に並ばせ、幾つかの大鍋で煮炊きした料理を盛り付け、並んだ者達に手渡している。
集団で動けば必ず現れる、盛りが少ない、とけちを付ける者には、煩わしいから早く次の者の為に退け、と大声で追い払う。
やけに騒がしい一時が、普段は誰も通らぬであろう、草原の一角を満たしていた。

食事時の配給を受け取ると、皿を持ち盛り付けられた飯を平らげた後、再び女を探す顎髭を蓄えた男。
面白い事があると、今度は仲間を誘う。
適当に目に付いた一団に、エルヴンの女を相手にすると言うと、二つ返事で乗って来た。
単純で扱いやすそうな馬鹿共を、丁度良く捕まえられたぜ、と男は内心嘲笑っている。
こんな奴等でも数さえ揃えりゃあ、俺が負ける筈が無い――あんな女に。
一時的な目的で纏まりを見せる彼等が、細面で剽軽そうな顎髭を蓄えた男の言う、女を探している途中、手練や猛者が集うと噂の一団とすれ違ったが、その一行は彼等が通り過ぎるまでの間、足を止めて自ら脇へと寄って道を譲り、わざとらしく視線を反らし明後日の方を向いていた。



「おっ、あれか?」
間延びした男の声が、探していたエルヴンの女の居場所を伝える。
丁度を食事を終えたのだろうか、銀の髪の娘は――膝よりやや高い程度であろうか――背の低い岩の上に腰かけ、高く積まれた皿に、自らのそれを重ねようとしている所であった。
それを見た顎髭を蓄えた男は、細く剽軽そうな面持ちを、嬉しそうに歪め言う。
「おお、あれだ。
退屈してるだろうから、早速遊んでやろうぜ」
肯定する声に応じ、へへへ、といやらしく笑う仲間の一人が、徐に近付くと積まれた皿を蹴り倒す。
次の瞬間、均衡を失った木で出来た沢山の皿が、岩に当たりけたたましい音を上げ、エルヴンの女の上に降り注ぐ。
この間の仕返しとしての挨拶としては、実に上出来だろう。
男達はにやにやと笑みを浮かべ、一体何事かと、目を白黒させている娘を想像しながら、岩の上に視線を投げかける。
しかし、さっきまで岩の上に腰かけていた筈だが、今、女は汚れ一つ無く岩の隣に、静かに佇んでいた。
何時の間に――?
そう思いはしたが、気のせいだろう、あいつは最初からあそこに居たんだ、と考える事にして気を取り直すと、顎髭を蓄えた男は、平然とカヤに声を掛ける。
「よう、また会ったな」

―――――――へい お元気そうで 何よりでございやす

その返答に、気を悪くしたような声色は、一片も含まれては居ない。
この位の挨拶には慣れっこであるのか、袖口を口元に当て、即座にくすくすと笑い返す女。
何処か見知らぬ違和感を感じつつも、顎髭を蓄えた男はもう一度言葉を吐き捨てた。
「この間はどうも。
仲間が世話ンなったなあ?」
彼女は男の前口上をに耳を傾けながら、にんまりと口端を吊り上げる。
聞いていてやるから続きを話せ、と促しているかの如く。
その様子を伺った男は、頷きながらも話の続きを語り始めた。
乾き、掠れ、上ずった声で。
「どうしても、あン時の礼がしたくてなあ。
随分と、探しちまったぜ。
折角また出会えたんだ、当然、付き合ってくれるよな?」
男は言い終えてから、暫くの間待つ。
だがしかし、どういう事なのだろう、エルヴンの女からの返事は無かった。
肝心の感情の揺らぎの様なものが、目の前の銀の髪を風に揺らす娘からは、何故なのか、不思議と感じられない。
聞いてはいる、見てはいる、楽しんではいる。
だが、これではまるで――。
男達が想像したものは、乗り越えられぬ程の高い壁。
打っても叩いても、まるで相手にならない、例え嚙みついたとしても、全く歯が立たず、自慢の牙が折れてしまうような。
彼らは感じた。
規範や起点、基準の様なものが、最初から違っていたのだろう、と思しき何かが。
違和感がもっと大きく、胸中で育ちつつあるのを感じる。

最初の一言を以外、銀の髪の娘はその面持ちを変えず、黙したまま何も話そうとはしない。
そして先程から、斯様な目にあったにも関わらず、女は口端を笑みの形に吊り上げて、事を面白そうに眺めているだけだ。
取るに足らぬちっぽけな者が、次はどんな事をしてくれるのかと、待ち構えているかの様に。
まるで動じぬ彼女の姿勢に、自らでも理解出来ぬ苛立ちを隠せなくなった男達は、更に詰め寄りその威勢を厳しくする。
ありったけの悪意をぶつけているにも関わらず、何故恐れもせず焦りもしないのか――何故その様な顔付きで、口元で、笑みで、何もせずにじっと見ているのだろう。
何だ、何だ、何なんだ。
この女、一体何処を見ている。
俺が、俺達が、恐ろしくは無いのか――?
得体の知れない冷たい感覚が、心の奥底から噴き出す様に込み上げ、気圧されまいとして自然と声が出た。
乾き、掠れ、上ずった声が。
「何黙ってンだぁ!
ビビってんのか、アアン?
何とか言えよ、オラア!?」

―――――――へい 何とか

今頃後悔しても遅せぇ、どうなっても知らんぞ、と語気荒く畳みかけようとした時。
ぽつり、と女の声が届く。
地を抉る様な蹴りを繰り出そうとした姿勢で固まったまま、出鼻を挫かれた男は絶句し、気まずい様な奇妙な沈黙が場を支配した。
「ふざけるなァッ!
そう言う事じゃねえだろうが!」
この女は何を考えているのか、荒くれ者の男達には全く分からない。
どれだけ強く脅しても、全く改めぬカヤの態度に、隣に立っていた男が痺れを切らしたのか、まるでこちらの意思を察しろと言わんばかりの、金切り声を上げて叫ぶ。
その言葉を合図に、男達が銀の髪の娘に掴みかかろうとした時であった。

「オイッ、そこのお前ら!
何をやっている!」

自身の行いを、見咎めた者が居たのだろうか。
確かに、褒められる様な事をしている覚えも無いが、少しばかり大声で諫められたからと言って、はいそうしますと素直に聞き分ける人生など、送ってきてはいない。
当然、大人しく退いてやる事も無いだろう。
その声を聴くと、顎髭を蓄えた男の厳めしい作り声が、辺りに飛んだ。
「アン? 何の用だッ。
見て分かんねえかぁ!?
今取り込み中なんだよ、怪我したくなけりゃ……」
威勢良く啖呵を切り、追い払おうとしていたのだろう。
だがしかし、そこで言葉が止まる。
ぱっと見でもこちらに向かっている者達は、自分達の倍は頭数が居るのではないだろうか?
これと争うのはたまったものでは無い、多少の数なら相手取ってやる、そんな心意気を容易く砕く、数の差だ。
地を揺らさんばかりの勢いで、足音高く迫る者達。
「……っておい!?
やべえ、お前ら早くずらかれ!」
そこまで来て流石に、多勢に無勢を察したのだろう、先程までの威勢は何処へやら、男はすぐさま顔が青醒める。
言い終えるや否や、その場に舌打ち一つ残すと、顎髭を蓄えた男は後ろも見ずに、一目散に駆け出した。
その様子を見て勝機を感じたのか、ますます勢いを付け差し迫る者達に、一拍遅れて気付いた者も邪魔が入ったことを察すると、慌てて散り散りとなり逃げ失せてゆく。



――――――――(2)――――――――



食事を終えた一団が、仲間と連れ合い、歩いている。
その一角から、更に外れた所より響く物音。
あの辺りは、確か――。
男やもめの気の合う者同士で集まると、己の武勇伝に始まり果ては景気観や愚痴等を、とりとめもなく話し笑い合いながら、退屈凌ぎにと適当にぶらついている時であった。
「おい、あれ……」
派手な物音に気付いた一団が、辺りを見渡していると、その中でも目敏いらしい男が、声を上げ指し示す。
今は特に、盛り上がっていたと言う訳でも無い、単なる与太話を慌てて打ち切り、皆が視線を指された指先の方へと向ける。
多数の男と、妙な出で立ちの独りの女が、言い争っている様であった。

次に一同の視線は、女の方へと集まってゆく。
この辺りでは見かけない――足元には葉を設えた意匠の、物珍しさ漂う――ゆったりとした衣服。
すらりとした身形から想像出来そうな、可愛らしいであろうその面持ちは、非常に残念な事に笠で隠れ、ここからでは良く分からない。
銀の髪の、美しい娘だ。
遠目に見れば、自らとそう変り映えしない、荒くれ者が華奢な女に難癖を付け、何やら狼藉を働いている様に見える。
そこまでは、仕事柄至極見慣れた光景、ではあったものの。
この界隈では良くある事、とそこで話は終わらなかった――。
男達が同じような者であったならば、気にも留めていなかったかもしれない。
だが、たった一つ、他と違う所があるとするならば。
その男達は無礼を働く、狼藉者共と外観こそ、さして変わりはしないが、その性根はそう言った行いを見過ごせぬ、といった性質であった事だろう。
可憐な女性を助ける好機、と捉える思いもあったのかもしれないが。
「オイッ、そこのお前ら!
何をやっている!」
しかし、そんな下心を思い付くよりもずっと早く、何とかせねばとの思いが膨れ上がった男達は、口々に大声で狼藉者の行いを咎めつつ、その場へと駆け寄っていた。

多数の声に驚いたのか、狼藉者共がこちらを振り向き、怪訝そうに訝し気なを向ける。
そして男達の怖面に、負けず劣らずの面構えから威勢の良い啖呵を発したが、すぐに迫り来る彼等に気付くと、それを指し示し、声高に何かを叫ぶ。
相手は高々、四、五人といった所。
こちらの数は倍は居ただろうか、それも相手の数を遥かに上回っている。
例えこのまま争いになったとしても、この数の差ならばまず負ける事などあり得ないだろう。
地を鳴らすかの如く、どっと駆け寄る足音に恐れをなした為か、女から離れた狼藉者共は大慌てで、散り散りに逃げ去ってゆく。
一人、離れてこちらの様子を見る者が居たが、それに気付いた者が厳しい視線でねめつけ、石を拾って投げつけると、残った者は一目散に駆け去った――。
女の安全を確保し、共通の敵に打ち勝った、という認識を抱いた彼等は、互いの手を打ち合わせて喜び、おう、おうと声を揃えて拳を天に突き上げる。

そして唾棄すべき、不逞の輩を首尾良く追い払った男達は、改めて女を見た。
遠目では分からなかったが、その容姿が自慢とされる、エルヴンの女である事が分かり、頬が紅潮した一同は思わず息を飲む。
近寄ると、その際立つ美しさが良く分かる。
可哀そうに、この銀の髪の娘はこっ酷い扱いを受け、茫然自失としているに違いないのだ。
不埒な狼藉者共に囲まれ、それはそれは、さぞかし恐ろしい思いをした事だろう――。
心配した彼らは素早く駆け寄ると、狼藉者が逃げ失せた後に俯き、足元の草叢にぼんやりと視線を投げかけている、エルヴンの女に、早く安心させてやろうと、その怖面を自ら達が思う精一杯の、飛び切りの笑顔へと歪め、声を掛ける。
「おい、大丈夫か?」

―――――――へへぇ あのお方様方 虫の居所でも 悪ぅございやしたかね

だがしかし、返って来たのは意外と平然とした、柔らかく通り抜けてゆく、優し気な風の様な声であった。
あいつらは何者だ、何があったと尋ね続く彼等の心配そうな声に、不敵にも口端を吊り上げた笑みを浮かべ、事も無げに返すカヤ。
そして、再び足元にちらりと視線を投げかけると、予想外の出来事に呆気に取られ、物が言えなくなった男達を尻目に、そそくさと立ち去ってしまう。
先程の事を、全く気にしていないのだろうか。
去ってゆく娘の真意は全く判らぬまま、皆その離れ行く後ろ姿を、唖然とした面持ちを浮かべ、ゆっくりと目で追うのみ。
後には、引っ繰り返った小鍋や、そこから零れ出る料理、小さな取り皿、匙が残されている。
それらには全て、一党の所有物である事を表す、くっきりとした刻印が施されていた。
遠征の飯にしては、美味であった事が思い起こされるが、それを思い出したとしても、散らかった皿が自然と片付く訳では無い……。
後の祭りとなってしまった、散らかり具合に、様々かつ各々の思いを込めて、ぼんやりと眺める男達。
「あっ」
やがて、辺りに散らばったそれを見て、もう一人の男が、何かに気付いた様に短く叫ぶ。
突然の声に、何事かとたちまちの内に集まるその視線の中で、思わず彼は黙したが、すぐに口元に軽く手を当て、気付いてしまった事柄を口に上らせる。
それはまるで、恭しく控え尋ねるが如く、恐る恐る、といった風に。
「これ、誰が片付けるんだ……」
その言葉を噛み締める様に暫しの間を置き、やがてその意を悟った幾人からか、あっ、と言う声が聞こえた。
皆から表情が消え、苦虫を噛み潰した様な面持ちへと、一人一人順番に変わってゆく――口元に手を当てている、たった一人を除いて。
他の者がこの場を見れば、散らかった理由は分からずとも、この男達がやった事だと、そう思う事だろう。
今、この場に居るのは、彼等しか居ない。

そして。
びゅうう、と一陣の風が、ゆるゆると男達の体を撫で、何処からか木の葉を巻き上げて走り去る。

やられた――その場に居る者達は、頬を引き攣らせ、一様にそう思った。
ほんの僅か、ごく短い時間ではあったが、あの女が足元を気にしていた事は記憶に新しい。
それは、何故か。
彼女は恐らくきっと、この惨状を知っていた筈なのだ。
思い起こせば、俯いて立っていた時の視線は、丁度この辺り――。
だとするのならば、これらの後始末を考えていたのかもしれない――片付けが面倒だから、声を掛けられた事にこれ幸いと、早々に立ち去ったのだろうか――そう思いはするものの、真相は最早闇の中ではあるが。
何やら本来ならば、やらなくても良い事を、体良く押し付けられた気がして、非常に気まずい雰囲気が辺りに満ちてゆく。
しかし、見てしまった以上、放っておく事はしたくない。
何故なら、それは大変に後味が悪いからだ。
彼等の心の奥底で、それだけは出来ない、と良心が捻じ切れんばかりの、悲壮な悲鳴を上げて、訴えているのが分かる。
これが、生来から持ち合わせている、性分と言うものなのだろうか――?

大した量で無かったのが、救いであったろう。
これだけの頭数が居るのだ、すぐに終わり、手持無沙汰の者も出るに違いない。
暫し悩んだ末、やや渋い顔付きを浮かべつつ、仕方無さそうに気の良い男達は、散らかった場の後片付けを始めるのだった。



――――――――(3)――――――――



陽が昇り、夜闇を打ち払ってゆく、何時も繰り広げられている光景。
草叢に点々と散らばる、幾つもの天幕が、輝きに照らされその影を伸ばす。

見れば既に起きてきた者達が、食事の合図も待たずに、勝手に自炊を始めているのが伺える。
確かに規律は重要とは言え、されどこの程度はご愛嬌とでも言うつもりなのか、諫める者は誰も居らず、その事を見かけても、まるで何事も無かった様に素通りしてゆく。
こういったものが、気にも留めない程の、日常的な風景なのかもしれない。

その中の一つ。
ここも、随分と早くから動き出していた、荒くれ者達が居た。
狭く、薄暗い天幕の中に、幾つかの塊が蠢いている。
旅が始まって以来、エルヴンの女に絡む男達が、そこに屯しており、誰かが少し動く度に肩が触れ合い、着たままの板金鎧が、耳障りな音を立てているが、誰もその事を気にしている様子は無い。
その様子はまるで、男が五人荷場に詰め込まれたかの如く、であった。
これが遠征の上、力自慢だけが取り柄の荒くれ者共を、一ヶ所に寄せ集めた結果であろうか。
中には噎せ返る様な男の臭いが充満し、風が吹く度に隙間から、むわりと内に籠った熱気が零れ出、清涼な朝の気配を台無しにしている。
しかし、どの天幕も内情は似たり寄ったりであろう。

陽が上ったのか、刻一刻と徐々に視野が開けていく中、寝転がった姿勢で、顎髭を蓄えた男の話し声が続く。
「おう、それでなァ、昨日は邪魔が入っちまったけどよ。
あの女な。
どうだ、言った通り、大した事なさそうな奴だったろう?」
天幕の中では、二人程既に身を起こし、各々が思い思いに持ち込んだ糧秣に手を付けている。
一人は麦餅と干し肉を片方づつ両の手に持ち、交互に食い千切りつつ、退屈そうに男の話を聞いていた。
黙って話を聞いていた、もう一人の男が返答を返す。
「思っていたよりも、えらく大人しいじゃねえか。
お前の話は、本当かあ?
とてもじゃねえが、大それた事が出来そうな奴には見えねえ」
「そうそう! そうなんだよ。
大した事無い癖に、えらい大金を吹っかけてきやがってな。
ちょっと注意してやろうとしたんだよ。

前の奴らはな、誇り高い武人様だったからなァ。
格好付けやがってよォ、どうしても果し合いをやらせろってな、ご丁寧に一人づつ当たって、纏めてかかればどうって事無ぇ相手にな、後れを取っちまったのさ。
俺の言う通りにして、囲んで叩きゃぁ良かったんだ」
情けなそうに溜息を吐き、彼は一度話を切ると、辺りを見渡す。
そして、お前達は、流石にそんな阿呆な奴等とは、一味も二味も違うよな?
と、何度も何度も目配せを送り、反応を伺いながら、話を続ける。
「俺はなあ、見てくれは勿論だが、心の中身も仲間思いの、大変に奇麗で優し~い男だからよ。
志半ばで死んだあいつ等の、仇くれぇは討ってやりてえ、って事だ。
ホラ、流石に不憫でならねえだろう?
旅路に誘おうとした奴と、たかが銭金の話で、拗れに拗れちまった挙句――、追いかけて話聞こうとしたら殺されちまった、ってのはなァ。
やりきれねえよなあ、全く。
俺もなあ、こう、この辺りがしくしくと痛むんだ。
こう、ぽっかりと穴が開いちまったみてぇによォ、痛くて痛くてたまらねえんだよ。

……つう訳でな、どうだよ、今晩辺り片付けちまうってのはよォ?
帰ったら、分け前が増えるぜ」
「俺は、お前の企みに付き合うのは構わねえんだ。
後の楽しみが、増えるに越した事は無ぇからな。
だが今その女をな、始末する必要はあるのか?」
わざとらしく胸の辺りを押さえ、しみじみと語る男を尻目に、冷淡な返事が飛ぶ――お前の見え透いた演技は、沢山だと言いたげに。
この彼は、仕事が終わってからでも良い、そう言いたいのだろうか。
一人が最もな疑問を口にするが、男はやれやれ、分かってないなと頭を振りつつ、しみじみと答える。
ここを乗り切れば、こいつらを纏めて動かせる筈。
どうせ、今回の仕事が終われば、もう会う事の無い単なる捨て駒だ、遠慮していると稼ぎ時を失ってしまう。
いざとなれば、置いて逃げても構わないのだ――。
そして、がばりと身を起こし、ここぞとばかりに拳を握り締めて、熱っぽく語る顎髭を蓄えた男。
「どうせ、貰える金は頭割りだろう?
貰える奴は減った方が良いじゃねえか」
「そうだったか?
もしそうなら、確かにその通りだが……。
他の奴にも、確かめた方が良くないか?」
今頃起きたのだろうか、身を起こしている者達の後ろから、寝そべった姿勢の男が、不安と疑念の入り混じった声を上げた。
そんな面倒な事をされてたまるか。
お前達は、黙って俺の話を信じてりゃあ、良いんだよ。
顎髭を蓄えた男は思わずそう念じると、変化しかかった様相を悟られぬ様、言葉を一息に吐き出す。
「心配すんなって!
あの日は俺も話聞いてたしよ、何も問題無ぇさ。
それでももし、俺を疑うってんならよォ、是非他の奴にも聞いてくれよ」
普段通りならば、剽軽そうに見える顔付を、さも残念そうに崩すと、彼は自信満々に肩を竦め、両手を広げてやれるもんならやってみろ、と言う仕草で己の意思を表した。
こうまでされれば、一応ながら、信じ合う事が前提である仲間としては、他の者に尋ね難いだろう。
今度こそ己の思い通りに、事を運べそうな予感を確信した男は、表情こそ残念そうに振る舞いはしたものの、心の奥底でにんまりとほくそ笑む。



するとその時、どぉん、と大きく鈍い音が響き渡り、何事か、と皆が首を竦める。
……これは、何の音だろうか。
考えていると、続いてもう一つ大きな音がずどぉん、と鳴った。
もう一度首を竦めると、悲鳴や怒号が入り混じった声が、辺りを切り裂く様に走り、皆一様に口を閉ざし、外の様子を聞き入る。
「な、何だ。
アレはぁっ!?」
「敵襲だあーーーッ!
オイッ、皆を呼べ!
急いで戦う支度をしろ、早く集まれぇッ。
急げ! 急げ! 急げぇッ!」
そして、聞いた事も無い、何かが爆ぜる様な音。
続いて非常に大きな何かが、地に叩きつけられる音もした。
少し、地が揺れた気もする。
やがて、がんがんと割れんばかりに、半鐘が叩き鳴らされ、遅れてにわか騒がしい声が、辺りに満ちてゆく。

敵だ――その音を聞いた者達は、噂に聞いた魔獣という存在が、この場に現れた事を知った。
突然事に慌てはしたものの、周囲の事態の変化を察し、流石の彼等も悪巧みを中断する。
柄にも無く格好をつけた矢先に、話の腰を折られ、顎髭を蓄えた男が、機嫌が悪そうに舌打ちを鳴らす。
「チッ。
待ちくたびれたぜ。
ようやく仕事がやって来やがったか」
仲間の手前、勇ましい物言いはしていたが、想像していたよりも、ずっとずっと大きな騒ぎになっている事に、驚きを隠せてはおらず、更にもう一度、苛ついた様な舌打ちが続く。
どうやら、妄想に浸っていた時の様な、楽な仕事にはさせてくれそうに無い。
二度目以降のそれには、そういった意味が含まれるだろう。
「女の話は後だ。
行くぞ!」
そこで話を打ち切り、狭い天幕から転げる様に飛び出る。
本来の目的を思い出した男達は、手に手に愛用の獲物を持って、一目散に駆け出した。
未知の敵の待つ、戦場へと向かって。