カレーパンの味見をした時の話。
仕事で外を歩いていた時、パン屋が目に入った。
丁度お昼時だったので、昼食をパンにし、会社のデスクで食べる事にする。
総菜パンがあまり無かったが、カレーパンと菓子パンを買う。
帰って珈琲と一緒にパンを食べる。
菓子パンは食べれたが、カレーパンは妙に後味が悪く、食べるのに難儀した。
有り体に行ってしまえば、マズい、という事だ。
小さな缶コーヒーでは足りなかった事が悔やまれる。
暫くしてパン屋の前を通りがかる。
業務でお使いの帰りだ。
奇しくも昼時、帰るか食事を調達するか悩む。
昼食の時間効率を取るか否かの選択。
当時は忙しかったので効率を取り、パンで済ませる為再びそのパン屋に入った。
ラインナップは前回とほぼ変わらず。
教訓を生かし、カレーパンを避けてパンを購入籠に入れる。
会計を済ませようとレジ前に立つと、店員が話しかけてきた。
聞くとカレーパンの売り上げが悪いので、1つ無料で差し上げるから食べて意見を聞かせて欲しい、との事だった。
見るとレジ横には籠の中に幾つかのカレーパン、そして試食と意見募集の札が添えられてる。
店員は店のオーナーの奥さんで、店番をして来る客に意見を求めていたようだ。
断っても良かったが、困り果てている奥さんの姿を見ると、とてもそのような気にはなれなかった。
ひと口齧って、正直な感想を述べる。
甘めのカレーで個人的には辛い方が好きだが、このカレーパンは辛さ甘さを変えた位ではどうにもならない。
カレールーとパン生地の味がちぐはぐで、まるで違う種類の食べ物を同時に食べているような感覚を伝え、丁寧に説明した。
そう、別々に食べた方が絶対に美味しいと断言できる程に、このカレーパンはカレールーとパン生地の味が全く噛み合っていない代物だ。
話を聞き涙する奥さんの態度を見かね、出てきたオーナーにどやしつけられながら、パン屋夫婦に再度説明する。
説明を終えると、2人は肩を落とし、寄り添って泣いた。
オーナーは味にうるさく、小麦も世界を渡り歩き、自分の目と舌で選び抜いたものを個人輸入して使用。
バターも牛乳も、この店で使う材料は皆そうだった。
パンの焼ける香りが好きで、幼少の折からパン屋になるんだという意志を持ち。
念願叶い店を構えて、自分の作るパンが世界一美味いんだ、どこにも負けないと豪語していた。
奥さんもプロの肥えた舌に鍛えられ、カレー作りには自信があった様子だが。
その二人三脚の結果が、一般の美味しいの範囲から外れてしまった場所に着地したのでは、やるせない思いも込み上げてくるだろう。
すっかり意気消沈した夫婦に、事態の解決に向け更に話を聞くと、オーナーは米も好きでカレーをよく奥さんに作ってもらう事が分かった。
厳しく言われたお陰で、大変な苦労をしたが、美味しいカレーをイチから作れるようになったそうだ。
スパイスやルーに使う小麦から選定し、市販のカレールーは使っていないと。
それを聞き、それだ、と閃く。
確かに件のカレーパンのカレールーは、白米には合いそうな味だが、それ以外は受け付けない様な味がしていた。
そしてオーナーの舌は鋭敏で、僅かなズレも許さない性格。
恐らく奥さんは長年のカレー研究の成果で、オーナーの好みに合わせ続けた結果、白米飯以外に合わないカレールーを作り出してしまったのだろう。
オーナーの焼くパンは確かに美味い。
美味いが、非常に癖が強く、それに合う味の幅が非常に狭い為、カレールーに合わせた味のパンを焼くか、パン生地に合わせてカレールーのレシピを変更した方が、味が良くなるだろう旨を伝える。
だが、オーナーは味にこだわり、その意見は聞き入れてくれなかった。
奥さんの作るカレーが一番うまい、味を変えたくないと。
カレーパンだけ米粉でパンを作る事も提案したが、パンは小麦で作るもの、という強いこだわりがあり、話が上手く纏まらない。
更に話を聞くと実は幾つかのカレーショップから、カレーパン用のカレールーを買って欲しいと言われていたらしい。
迷っていたオーナーに自分は説得する事にした。
プロのカレー屋が作るカレーなら納得する美味さになるであろう事、変更なしではカレーパンが売れない商品であり続ける事、何より一般の美味しいから外れたまま自己満足の為に作り続ける事は、プロのパン屋としてどうなんだという事。
これはオーナーの作る世界一美味い(と思う)パンに、ぴったり合う美味いカレールーを作って欲しいと、カレーショップに依頼するいい機会であると。
パン生地に対するこだわりを伝えるだけで、相手もプロだから悪いようにはしないハズだ。
何なら、割高になるがレシピを買い取って、カレールーだけを奥さんに作って貰えば良い。
説得が功を奏したのか、今度の休みにカレーショップに集まって貰い、カレールーを作って貰う話をする気になったようだ。
菓子パンも少し相談を受け、オーナーはクリーム作りも自信があるが、もっと売れるパンにしたい様だった。
これも同じくケーキ屋を探して、パン生地に合うクリームのレシピ考案してもらい、レシピ買取するよう告げる。
この時、自分は実はパン屋とケーキ屋は、密接な関係にある様に感じたと思う。
他、色々と注意点等を話し合い、昼食用のパンを買うと自分は店を出た。
随分話し込んでしまったので、早く会社に戻らなくてはならない。
それから暫くして、パン屋に再度訪れる機会があった。
ふと見ると、窓ガラスの向こうでは、店員が大量のカレーパンを並べている。
カレーパンの味が気になった自分は店の中に入り、カレーパンを1つ購入籠に入れた。
店員は若い女の子で、店の中にオーナーや奥さん見当たらない。
特に話をするでもなく会計を済ませ、行儀が悪いかもしれないが、外で歩きながらパンを齧った。
以前と違い、ピリリと辛いカレールー。
カレーの出汁の味が、バターのたっぷり含まれた美味しいパン生地とマッチして、違和感なく食べていける味になっていた。
少し辛いのは、自分の意見に合わせてくれたのか。
歩きながら頬が緩んでいく感覚は、今でも覚えている。
味に満足した自分は、会社に戻り通常の業務に勤しんだ。
この件の顛末で話せる内容は、これで全部だ。
あれからそのパン屋には訪れる機会が無かったが、今もパン屋を営んでいるのだろうか。
もう訪れる事も無いかもしれないが、元気でパンを作り続けていて欲しいと思う。
今回はこんなところか。
これは業務ではないが、珍しい事柄に関わったので、書き残しておこうと思う。
役に立つかは知らないが、また何かを思い出した時に。
君の明日に、笑顔が灯るなら。