アンシエンラント創世記 3話
―――――再生―――――
1章.三つ巴
暗闇の中で、瞼が開く。
奇襲などは受けていないらしい、手や足、体の何処にも、異変は感じない。
まあ、眠っている間に殺されていれば、目覚める事も無いのだが。
「リム――、居るか?
明かりを着けてくれ」
返事は無く、向かいの壁辺りから一瞬、流れ星の様な輝きが一筋、煌めいた気がした。
てっきり、その辺りが明るくなるのかと思いきや。
それは想像と違い、眠る前に手元へ置いた、壊れたランタンの方が、煌々と周囲を照らし出す。
リムはと言えば、正面の壁際にもたれる事も無く、立っていた。
前もそうしていた様だが、ハザは彼女が座った所を、全く見た事が無い。
「もしかして、ずっと立っていたのか?」
「はい」
立つと言うか、この女の両の脚は、全く地に着いていないのだが。
彼女は寝る前と変わらず、爪先で立つ様にして、足先を伸ばし、地と僅かな隙間を隔てて、その身を宙に浮かせている。
風に微妙に押され、元の位置へとまた戻る様子を眺めながら、彼は手早く干し肉を齧り、水筒から水を飲むと、立ち上がり長剣を背負う。
そして、身動ぎひとつせずに、ずっと浮いているリムへと声を掛けた。
「そろそろ行こう。
……立ちっぱなしで、疲れないか?」
「はい――。
我等は疲れてはいませんよ。
どうぞ、お気になさらず」
彼女の方はどうやら、平気であるらしい――とは言えど。
人と姿は変わらないのだ、風習の違いでは済まされぬ、違和感が丸出しなのを、少しは気に掛けて欲しい。
その気持ちからかハザはひと言、注意してみる。
「次から座れ。
見ているこっちが疲れる」
「はあ。
分かりました」
理解したのかしていないのか、返って来たのは、気の抜けた声色。
通路の中を、独り足音を響かせ、先へ進みながら、こんな声も出すのか、と青年はぼんやりと思った。
広い通路、曲がりくねった階段、分かれ道。
そして、狭めの通路を暫く進むと、下に大きな広場が見える場所に出た。
だが、肝心の通路はそこで途切れている。
かつては、橋でも架かっていたのだろうが、跡だけが残るそれは、とうの昔に崩れ去り、先へ進む事は出来ない。
そこはまるで、崖の様に切り立っており、下りてゆくにも厳しい高さであった――何か道具でもない限りは。
このような場所が幾つかあるのは、下る際に調べ知っていたが、青年はロープの類を持っていなかった。
下は漆黒の闇に覆われ、何があるのかを伺う事は出来ず、何らかの手段を持ちいて、下ってゆく事は戸惑われる。
残念だが、引き返すべきだろう。
だが、先の広間にはまた、明かりを灯した、沢山の者が屯しているのが見えた。
暗がりの中で、煌々と光を反する外側の柱の周囲は、闇に包まれている――もしかすると、あの辺りは床が無いのかもしれない。
あそこに居る彼等は誰なのだろう。
こちらの手元にある、ランタンの弱々しい光では、何者なのかを窺う事は出来ないが。
声高らかに、何かを言っている様でもあった。
確かめたいが、ランタンを掲げれば、向こうからこちらが見えてしまう恐れがある。
このまま影に隠れれば、光が目立つ事も無い筈。
ハザ達は迫り出した岩陰に回り込み、そこで様子を窺う。
「もう少し、近寄ってみたいが、そうもいかんな」
ハザは岩陰から広間へと、鋭い視線を投げかけながら、そう独り言ちる。
崖などは安易に下りてしまうと、引き返す羽目になった場合、登って来るのが大変だ。
これならば、奴等の動向を伺った後に通路を引き返し、別の進める方を探す方が無難だろう。
さてどうするか、とひと思案しようとした時、リムの方から意を述べる声を上げる。
「出来ますよ。
我等が様子を見てきましょうか」
「また何か手立てを思い付いたらしいが。
何か出来るのか?」
「はい――。
器に水を入れて、此処で待って欲しいのです。
後は我等が、上手くやりますから」
浮いているこの女なら、何とか出来るのかもしれない。
どうするのか分からないが、上手くやれる――その様な言葉を聞き、好奇心を擽られてしまった事は、否めなかった。
次はどんな手口を、見せてくれるのやら。
「水?
そんなもの、何に使う」
不思議そうな顔で、言われるがまま、ハザが器に水を入れ足元に置くと、その用途を尋ねる。
しかし後で分かります、と彼女は言うと、壊れても尚輝く奇妙なランタンをハザの近くに置き、崩れた橋の跡から宙へとその身を躍らせた。
落ちる、と一瞬思ったものの、その身は何かに引かれる様に、不思議と空へと留まり、浮き直す。
今までが今までだ、そのまま暗闇に真っ逆さま、そして2度と戻って来ない、などといった事態は避けられ、内心胸を撫で下ろすハザ。
まさか、地の無い所を飛べるとまでは、思っていなかったが。
今度はどのような技を使ったのか、不思議と気付かれておらず、何もない宙を漂う様に滑る娘は、ゆっくり広間の明かり間近へと近づいてゆく。
ゆるゆると、風に流されるが如き動きで、その姿勢が幾度も逆さになり、そしてまた元に戻る。
全く音もさせずに、奴等の目の前をふわりと浮いたまま、いや、宙を舞うように飛ぶその姿に、屯した者達は何も言わない。
宙に浮いた髪、そしてローブの端が、奴等の手や足、兜や顔に何度もぶつかり触れるが、誰も気にするような素振りを、全く見せなかった。
「ハザ。
こちらです」
そして、唐突に足元から、何か呟く声がする。
聞き覚えのある――彼女の声だ。
思わず声のした方を向くが、そこには誰も居らず、一瞬何処かと迷ったが、ハザはすぐに娘に言われた事を思い出す。
そうだ、そこしかない。
水を張った器だ、そこから、彼女の声がする!
慌てて足元に置いた、器をひったくり、その中を覗き込む。
するとそこにはリムの、茫洋とした澄まし顔が、その揺れる水面に映し出されていた。
「リム、……なのか?」
恐る恐る問うと、彼女は軽く頷く。
摩訶不思議な事に、水面に語り掛けたこちらの声も、向こうにははっきりと聞こえているらしい。
屯した者の反応は無く、聞こえているのは、彼女だけの様だ。
遠くに居ると言うのに、今ここで話が出来る――あの女、これがやりたかったのか。
何故、水を器に入れたのか察したハザは、広間へと視線を投げかけ、そして、元来た道に誰も居ないかを確かめた後、話し始める。
「奇妙な技を。
まさか飛べるとは、思わなかった」
「恐れ入ります――。
再び此処を出る機会が来れば、使おうと思っておりました。
今のも1度使えば、その力は失われる、という類のものですが。
我等は、暫くは飛べなくなります、覚えておいて下さい」
幾らでも飛べると思っていたが、どうやらそうではない様だ。
今のも、という事はあの炎も、再び出す事は出来ない、という事だろうか。
リムの示す申し出の内容も、今後はよく考えてから、実行に移した方が良いかもしれない。
「それはわざわざ、済まない事をした。
聞こう。
そいつらは、どんな格好だ。
下に居た奴等と同じか?」
「それは、また違うようですね。
鉄で出来た衣服の形が、まるで違います」
「何と言ってる?」
器に移った娘をじっと見ながら、青年は更に問う。
ぱちゃりと水面は更に揺れ、リムの顔もそれに合わせて、大きく揺れた。
「彼の者達は、そうですね。
神を何としても滅ぼすべき、と話しています」
「神?
それならば、宙に浮いてすぐ傍にいるだろう。
奴等は何処を見ているんだ」
「まさか――。
彼の者達も本気で我等の事を、言っているつもりでは無いでしょう。
ハザも、意外と目が曇っているのですね」
「フン。
……何の事だ?
誰もお前の事とは言ってない」
軽口を叩き合いつつも、彼は思った――神を探しているのは、自身だけでない事を知ってはいたのだが、探し当てた後の目的が、全く違う者達も居たのか、と。
ハザ達が様子を窺っているその時、屯する者達に異変が起きる。
広間へと繋がる橋を渡り、何者かが広間へと駆け込むと、大きな声を上げつつ、手にした獲物を振るう。
そして波が広がる様に、広間は騒然とし始めた。
「居たぞっ!」
「おのれ、また我々の邪魔をするか!」
お互いの怒声が一斉に広がったと思えば、それらはすぐに、鉄と鉄が打ち合う音に変わる。
やがて、さらに多くの手に手に武器を持った者達が雪崩れ込み、押し合いとなった者達から幾つかの悲鳴が混じり、空洞となった広い空間に響く。
小さな弓を手に、矢弾を射浴びせる者も居り、そこはもう既に、互いが争う小さな戦場と化していた。
遠く聴こえる喧噪の最中、リムの声が微かに水面から聴こえる。
「こちらから新しく来た方々は、神を助ける、と言っている様です」
勢力の違う者同士が、衝突し合っているのか。
何らかの使命を帯びた者、彼の様な流れ者、またはごろつきか野盗の類、その辺りが独りで地底を目指した、そんな者しか、ここには居ないと思っていた。
だが、実際は違う。
様々な信条を掲げた者達が、遺構へと組織立って、入り込んで来ている。
という事は、奴等は、ハザが地底で辿り着いた遺跡が、実はどのような物か知っている、若しくは知っていた、という予想が脳裏に浮かぶ。
何らかの手段を用いて、かなり精度の高いアタリを付け、彼を送り込んだ可能性も捨て切れない。
そして、諍いの音を聞きつけたのだろうか、広間の反対側に掛けられた橋からも、幾多の人数が渡って来た。
何事かを叫びながら、勢い良く突撃したと思えば、2者の戦いの中に割り込む。
彼等は何をするのかと思い見ていれば、事も在ろうか、広間で先に戦っている者達を攻撃し始める。
新たに参戦して来た者達は、どちらかの増援では無かったらしい。
しかしその事は、互いに予想していたらしく、驚いた様子も大した混乱無く、と言っては可笑しいだろうか――彼等はごく当たり前の様に、戦いを続けている――その様子はまるで、敵対している者の到来を、知っていたかのように。
そのまま広間の中央では、三者三様が入り乱れての戦闘が、繰り広げられている。
もう、どちらがどちらの味方であるのか、ここからでは、はっきりと判別する事が出来ない程だ。
器の中から、彼女の声は続く。
「見えていますか――?
また、増えたみたいですよ。
争い始めましたね、こちらの方々は、敵対している様です」
器の中から声を発しながらも、そこにはまるで、誰も居ないかの如く扱われている彼女。
しかし、見ていれば相争う者達に押され、何処か明後日の方角に向かって、リムは勢い良く宙を滑ってゆく。
あれだけ近く居ると言うのに、気付かれていないのが、全く不思議だ。
「ああ、それ位見れば判る。
ふん……これも下に居たのとは、また違う連中か。
国や目的が別で、お互い争うとか、ややこしい事をする奴等だ。
纏めてかかって来る方が、俺としては楽なんだがな」
「ハザ。
貴方は、どちらの陣営ですか?」
「……俺か?
俺はどちらでも無い。
神とやらが居れば、連れ帰るよう頼まれただけだ。
お前がその昔、この遺構に封じられた、というなら、とりあえず地上まで連れて行く」
……問いに対して、答えを返したものの、それについて、リムからの返事は無い。
「あっ」
不思議に思い、広間と水面のどちらを見るべきか、と迷っていると、突然、苦悶の声が上がり、がつりと音がした次の刹那、水面には何も映らなくなる。
今、器に満たされているのは、透き通った、ただの水だ。
何があったのだろう。
もしや気取られたかと思い、広間の方へと目をやると、そこに見えたのは、柱に頭をぶつけるリムの姿。
しかし声を掛けに行く訳にもいかず、再び器へと視線を落とす。
先程ただの水へと戻った水面には、いつもと変わらない、彼女の顔が映し出されていた。
「おい、大丈夫か?」
「はい。
どうぞ、お気になさらず」
声色も何時も通り、何の変化も無い。
実に落ち着いた面持ちで、何事も無かったかの様に、リムは話を進める。
「此処で話をもっと集めましょうか。
それとも、もっと先の様子を見に行きますか?」
何故か奴等は、気付く事が出来ないまま、宙に浮く女は大方の話を盗み聞き終えたのか、水に映された顔からハザに語り掛けた。
リムの偵察らしき行動のお陰か、色々と知る事が出来たが、それでどうするのか、そこは考えねばならない。
少し間を開けてから、青年は考えを口にする。
「いや、いい。
そうだな、話を整理して、今後の事を決めたい。
悪いが、引き返してきてくれ」
わかりました、との返事の後、女の顔は薄れてゆきやがて、見えなくなった。
再び、透き通った水が、器の中に残る。
風に揺れる水面は、不思議ともう、何も映し出す事は無い。
やがて、辺りをふよふよと飛んでいた彼女は、こちらへと戻って来た。
あちこちにぶつかり勢い余ったのか、腰まである長い髪をも振り乱し、ぐるぐると宙で回り続けている女。
リムが目の前を通り過ぎる間際、心配になって思わず手を伸ばすと、数拍も遅れて何とかハザの手に掴まり、漸く回転は止まる。
彼の手を支点に、ふわりと浮き直した彼女は、緩やかに姿勢を正すと、爪先立ちの様な見慣れた姿勢で、彼の隣へと降り立つ。
その手には、地と足が触れあった感触は、伝わっては来ない。
青年は、この娘が浮いている、と言う事を改めて感じ取り、不思議に思った。
帰って来た彼女を近くで見ると、体のあちこちに擦り傷。
相当こっ酷く、ぶつかって来たのだろう。
そして、先程ぶつけたと思しき頭部には、大きなたんこぶが出来ていた。
整った顔立ちを台無しにする、あまりの痛々しさに、ハザは思わず顔を顰め、鞄の中に手を入れる。
ごそごそと、暫く手を中で彷徨わせていたが、やがて鞄から傷に良く効く、愛用の塗り薬を取り出した彼は、大きく目を見開く。
青年は不思議そうな顔を、隠そうともせず、目の前の女をしげしげと眺めた。
良く見ると、先程まであった筈の、たんこぶや擦り傷が、何処にも見当たらない。
きょとんとしたリムの瞳が、ハザのそれと交差する。
「ああ、それですか。
先程交代しましたので、どうぞお気になさらず」
問われる前に察したのか、彼女は徐に何をしたのかを話す。
しかし、何を言っているのか――また謎の技を用い、すぐさま怪我を治したのだろうか。
それを聞いても、彼は納得しないような面持ちで、呆れた様に答えた。
「相変わらず、良く分からん事を言う奴だ。
怪我もすぐ直せるなら、先に言え」
「治療とは、少し違うのですが。
それで納得して下さったのなら、我等はそれで構いません」
到底納得できないが、お前のやる事は良く分からん、と喉まで出かかった言葉を飲み込み、話を進めよう、と言う。
ここで押し問答になっても、敵を利する事はあっても、自分達の益にはならない。
「最後に来た奴等は、何と言っていたんだ」
「我等は大変危ないそうですので、此処に留め置き、誰も触れられぬ様にしたい、と。
その様な事を、言っておりました」
「昔の奴は、あの炎や宙に浮く事を恐れたのかもしれんが。
その事で、お前が危ないのかどうかは、俺は知らん。
ひとつ聞くが、ここに居たいか?」
「いえ。
我等は地上へと向かいます」
「確か、仲間と連絡を取り合うとか、言っていたな」
出会った当初より、彼女の答えは変わらない。
それは余程大切な用事なのだろうと、彼は思う。
かの教団より連れて来い、とは言われていたものの、特に時期は指定されていない。
何なら、そこに送り届けるのは、リムの用事が全部済んでからでも、一向に構わないのだ。
そう考えたハザは言葉を続ける。
「そうだな。
俺も、こなさねばならん事がある。
これを済まさんと、金が貰えんからな。
そうしたいが、奴等は俺達にとって邪魔だ。
俺が通って来た通路は、少なくとも敵対的な、何者かに見張られている、通らない方が良いだろう。
代わりに何か、出し抜く手立てが無いか、考えねばならん」
そう言うと青年は、頭を抱えて、近くにある崩れた岩に腰掛けた。
お守りがあまり好きでは無いハザは、護衛する事は得意な類の役目ではない。
やって出来なくは無いが、どちらかと言えば、敵を前に剣を振る方が、性分として合っている。
自身独りなら、どうとでも出来る現状も、今は守らねばならない娘の存在に、気が重くなり溜息を吐く。
少し考え込んでいると、娘の方から彼に語り掛け、今後の方針を指し示す。
「そうですか――。
それでは、ハザ。
地上へ向かう際、我等が通ろうと思っていた道を、進んでみませんか」
そんな所があるのか、と目を丸くし、すぐに眉間に皺を寄せる。
彼の考える時の癖なのだろう、実に判り易い。
やがて、考えが纏まったのだろうか、彼はぽつりぽつりと話し始めた。
「……そう――、するか。
全てこの剣で出迎えてやれないのは、気に食わないが……。
ここへ来た目的は、戦う事では無いからな。
お前――、リムを地上へと連れ出す事だ」
そして、案内してくれ、とハザは続ける。
【幽影】