2021年1月13日水曜日

ブログ小説 アンシエンラント創世記 5話 始まりの物語 2章.真実は造られる

アンシエンラント創世記 5話

―――――はじまりの物語―――――

2章.真実は造られる



ハザは縄に繋がれ、引き摺られる様にして歩く。
頼みの長剣は、今や敵の手の中に在り、反抗する機会も失われている。
そしてその前後には、例の紋を設えた鎧を身に纏う者達が並び、彼を何処かに連行している様に見えた。

「こっちだ、来いッ!
神を謀る、裏切り者め。
きりきり歩け!」
「痛てぇな。
手荒な事はやらんと、約束しただろうが」
後ろを着いて来る者が、威勢を失わぬ青年への返事として、無言で足を蹴り飛ばす。
蹴躓きそうになった彼は、痛てぇな、やめろ、と大げさに騒ぐ。
するともう1度、脚に衝撃。
ハザが黙るまで、後ろの者は蹴るのを止める事は無かった。

石作りの段を登ると、広めの通路の先にある、白い橋を渡る。
もうその構造は理解していた――幾度も見てきた光景、闇の中にぽつんと浮かぶ、大広間。
そこには、ひと際立派な装飾を施し、異彩を放つ鎧を身に纏い、大きな戦槌を携えた、巨漢が佇んでいた。
傍に、磨き上げられた宝珠を携えた者を、侍らせている。
態度や扱い、施されたその紋の立派さから察するに、こいつが邪魔者の、長なのだろう。
組織内での立場もありそうだ、名を知っているという事は、それ相応の――。
「裏切り者を連れてきました!」
後ろから背中を蹴り飛ばされ、よろめいたハザは巨漢の足元に蹲った。
がりりと胸当てと床を擦れさせ、舞い上がる土埃に、彼は顔を顰めさせる。
その様子を楽しそうに眺めながら、巨漢が口を開く。
「やっと来たな。
貴様が古の地に寄越されたという、戦う者ハザか。
クックック、待ち兼ねたぞ。
……女はどうした?」
低く唸る、獰猛な獣の様な声が、頭上から降り注いだ。

後ろ手に縛られたまま身を起こし、胡坐をかいたハザは口端を吊り上げ、鋭い視線でにんまりと笑みを浮かべる。
「祈る者。
俺が戦約を結んだのは、お前では無い。
話が違うぞ、これはどういう事だ?」
ハザは質問に答えず、さもこの仕打ちは何だ、といった体を装う。
馬鹿正直に答える必要など全く無い、それは向こうも承知の上で訊いている筈だ。
グッグッグ、と喉を震わせると、巨漢は地の底から響く様な重い声で、話し始める。
「手荒な事をしたのは済まなかった。
何、どうと言う事は無い。
少しな、ほんの少し、事情が変わったのだよ。
後の事は我々が引き継ごう――さあ、これで貴様の仕事は終わった。
女を置いて去るがいい」
これはこれは、挨拶もそこそこに、随分と身勝手な要求をされたものだ――勿論これも、馬鹿正直に従う必要など、何処にも無い。
分り切ってはいたが、矢張り、目的はそこか。
と、鋭い視線はそのままに、ハザは口端を吊り上げ、目を細める。
「訊こう。
俺が去った後、どうするつもりだ?」
返すは揺るがぬ自信に満ちた、青年の声。

今、リムは姿を変え、ある場所に隠している。
様子を窺う限り、彼女が何処に居るか、までは気付いてはいない様だった。
このままやり過ごせるのなら、謀ってあてずっぽうの場所を探させ、その間に悠々と脱する事だって出来るに違いない。
だが、奴等が複雑に入り組む迷宮で、何故ハザを追えたのだろうか。
そこが分からぬまま安易に搦め手を選び、知らぬ間にこちらの手管を見破られてしまった場合、次はチャンス好機を得られなくなる。
ここは伏せの1手――彼は気取られぬ様、冷たい笑顔を更に深め、巨漢の返事を待つ。
「フン、知れた事よ。
神の血と肉を得――。
その力を取り込み我がものとするのだ。
やがて我々が腰の引けた王に代わり、神と成って世を総べる。
この崇高な目的、貴様の様な不心得者には判るまい」
たったそれだけの話で報いとするつもりか、間髪入れず、少しも渋らずに伝えられたその目的は、ハザが思っていたよりも、更にシンプル単純であった。
まあ確かに考えるまでも無く、その様な使い道を是とする輩も多いだろう。
彼自身は、全く思いも寄らなかった彼女の利用法に、思わず笑いが込み上げてくる。
「……ッフ、――ククク。
ハハ、ハハハハハハッ!」
ここまで話してくれた以上は、邪魔者に過ぎない彼を見逃す心積りなど、元より無いに違いない。
大人しく去ろうとすれば、秘密を知った等と難癖を付け、始末しようと試みるだろう。
我々でなく、お前1人で独占するつもりじゃないのか、と自然と込み上げる感情に、肩を震わせて笑うハザ。
あの女が出来る事と言っても、精々が死んでもまた現れたり、浮いたり飛んだり火を出す、その程度だ。
剣を振るっても避けもせず、そのまま倒される程非力で。
そして、変に関わろうとさえしなければ、恐ろしい程に無害な存在。

彼女は閉じ込められた、と言っていた。
恐らくその体は、そこいらに居る只の女、町娘や村娘と、何ら変わりが無いのだろう。
例え、血肉を喰らったとしても、奴等の妄想通りに、力なんぞ沸いてこないに違いない。
神の血肉を口にすれば、その力が得られる――?
そんなものは所詮、子供が思い付く幻想だ、大人達が寝る前の幼子に聴かせる為に創り上げた、只の御伽噺。
暫く独り大広間に声を響かせ、体の奥から沸き起こる笑いを、どうにか抑えたハザは、詰まらなそうに、だがしかし強く確かな語調で、眼前の巨漢を見上げ言い放つ。
「だんだん分かって来たぞ。
少々妙な事はするが、あいつは神じゃない!」
何かしらの目的はある様に見えるが、然したる野心がある訳でも無い。
リム――彼女は奴等の考えた者とは違い、人の世を総べたり、滅ぼしたりする神などでは無いのだろう。
いざ蓋を開けてみれば、何の事は無い、ただそれだけの者なのだ。
笑いを止めた彼を見据え、隣に立つ者が掲げる宝珠を顎で指し示し、巨漢は再び口を開く。
「いや、神だ。
あの女は我々だけが持つ秘宝、それに映し出される存在なのだよ。
ここに神の居場所を示す、奇跡の宝珠がある限り――、神は我々の手から、逃げ遂せる事は出来ぬ。
グッククク、勿論その手管も術もあるまいが、な。
……、……言え。
女は何処だ?」
逃がさんという意志を込めて、巨漢は手の内を明かす。
ならば、このまま迷宮を後にしても、奴等は追って来れる、という事に他ならないが、正確な場所まで看破出来る、という代物では無さそうである。
だから、先程から何度も訊いているのだ、女――リムは何処だ、と。
という事は、そろそろ良い頃合いだ――この見え透いた茶番を終わらせるには。
理由は分かった、そして奴等に彼女は見えておらず、こちらの目論見も読めていない。
捕えられ、動きを封じられているように見えるが、この場では青年の方こそが、確固たるアドバンテージ優位性を掴んでいると言える。
「何処に目を付けてるんだ。
ずっと、ここにいる。
祈る者が、まさか神が見えん、と抜かすか?」
問いに対し、応えるまでも無い、と再びせせら笑うハザ。
もう遠慮は要らない、後は畳みに行くだけだ。
その意味と態度の真意を察したのか、ひと呼吸開けた後、巨漢は歯を剥き出しにして言う。
「我々を愚弄するのはそこまでにしておけよ、小僧。
我々の意志ひとつで、本当に裏切り者として処断出来るのだぞ。
これから真実は、我々の手で造られるものとなる。
大人しく女を差し出すのなら、貴様だけ見逃す事も考えてやろう。
ククックク、こんな所で無下に死にたくはあるまい。
もう1度だけ、訊いてやるとしようか。

さあ、言え――!
あの女を、何処にやった!?」
戦槌を頭上に構え、巨漢は言った。
温情はこれが最後だ、と言わんばかりに頭上から降り注ぐ声。
捕えられ、そして包囲された上に縛られている者を、斃す事など造作もない、という、絶対優位を信じ切っている者の声色である。
だがしかし、話半分を聞き流す様にして、ハザは再び強い語調で言った。
聞こえぬ程の小声でもういいぞ、リム、と独り言ちてから。
「寝言は寝て言え、祈る者。
戦約を違えた者に。
戦う者たるこの俺が、従う事などない」
すると、彼を後ろ手に縛りあげる縄が独りでに解け、それは娘の姿へと変わる。
そしてそこには、すっくと立ちあがり、取り上げた筈の長剣を手にした、青年の姿。
捕えたと思っていた彼は、実は始めから、拘束などされてはいなかったのだ。
隣に立つ2人の手下は、不思議と霞の様に揺らぎ、薄らと消えてゆく。
その様子を驚き眺めていた巨漢は、やがてグツグツと低く唸る様な笑い声を上げ、楽しそうに肩を揺すり、笑う。
「……グッフフフ、驚いたぞ。
これが神の力か。
成程、ますます欲しくなった……。
――小僧、矢張り貴様は。

裏切り者としてここで処断されるのが、相応しい様だ、なッ!」
言葉を言い終える前に、大きな戦槌を振り下ろす。
何を企んでいたかは知らんが、動けるようになった小僧は、低い姿勢で盾を構えている。
そんな小さな盾で、何が出来るかァッ!?
縮こまって、本気で防げると思っていたのなら、相当な痴れ者に違いない。
お望みならひと思いに、叩き潰してやろう。
そして、戦槌とハザの腕にある丸い盾が、激しく激突する。
小生意気な若造は這い蹲り、彼は望み通り神の力を手に入れる――筈だった。

だが実際は、カチリ、と小さな音がしたのみ。
予想とはまるで違う衝撃を感じ、戦槌が腕ごと上がってゆく。
そして地を這うかの如く、低く構えた姿勢から、風を切り裂く長剣が迫りつつある。
良い反撃だが、守りを捨てている上に大振り過ぎる、もう1度戦槌を振り下ろせば、剣が届く前にこんな小僧はぺちゃんこだ。
自身に満ちた主後の巨漢は、腕に渾身の力を籠めるが、戦槌は意図した方とは逆に、ぐんぐんと跳ね上がってゆく。
瞬きをする間に肩口と水平に、次は頭上、そして背面へと。
弾き返され、後ろへ向かおうとする勢いが、抑え込もうとする筋力の限界を、遥かに超えているのだ。
な、何故だッ?
このままでは、振り下ろす事が出来ず、守りもがら空きになる――。
上り切った腕で何の防備も無く、後ろに垂れ下がった戦槌を尻目に、小生意気な小僧の反撃を待つだけの身。
今この状態なら、幼子でも容易く討てるだろう。
余裕のある笑みが、冷や汗を流し凍り付くまで、左程の時間は要しなかった。
己の命を奪わんとする、迫り来るであろう猛威に、自然と目が行った刹那。
青年が振るう長剣の斬撃が、巨漢の肩口へと届く。

冷たい鋼の塊と厚い鎧が触れ合ったが、不思議と音はしなかった。

鎧の内側で、肩口から真っ直ぐに、自らの身が裂け逝くのが分かる。
馬鹿な、そんな筈が――?
状況を理解する間も与えられず、そして、ゆっくりと背後に引かれ往く感覚。
そこで、巨漢の意識は途絶えた。
この様子では、紅い命の源を床に広げる彼は、敗北した事すら、気付かなかったに違いない。
「フ――もう終わりかよ。
この俺を小僧呼ばわりした奴は、皆こうなった。
どうやら知らなかったようだな」
怒りに頬を引きつらせたハザは、吐き捨てる様に言う。
起き上がれるものなら起きて、もう1度戦ってみせろ、と言わんばかりに。
しかし、もう既に事切れていたのか、仰向けに倒れた巨漢からの返事は無かった。



次の瞬間、突如響き渡った、男の大きな泣き叫ぶ声に、ハザは振り返る。
またしても信じられない光景。
そこには、明らかな剣による斬撃で、頭が叩き割られ、息も絶え絶えとなった者が、リムの足元に這い蹲っていた。
辺りには奇妙なものが浮き、ふわふわと漂う。
当然ながらそれらには、見覚えがあった――あれは傷痕だ、自身から引き剥がされた筈の。
見ていると宙に浮く傷痕が、ふわりと空を切り、近付こうとする者の鎧兜の隙間から、するすると入り込む。
顔や体に大きな傷跡が巻き付くと、まるでその部分へと、新たに傷が出来たかのように、激しい痛みを伴い、血を吹き出し始めた。
「ガァッ!!」
「ぐああーーーッ!」
「ギイヤァ!!」
そして、リムを取り囲もうとした者達は、突然叫びを上げ、大広間の床へと這い蹲ると、のた打ち回る。
当たり所、と言うか傷痕の付き所が悪かった者は、肺や心の臓はおろか、更には首や頭蓋を傷付けられ、怪しげな技に為す術無く倒れてゆく。
身を護る術だと、剥がした傷痕の使い道はこれか。
ハザは漸くあの時の事に思い当たる。
しかし見るともう、浮いた傷口は小さいものだけとなり、その残りも少なかった。
上手く急所に当てねば、痛がりはさせられるかもしれないが、それだけで斃せはしまい。
傷痕が狙っている者は恐れ戦き、後退りを始めるが、それ以外の者は、じりじりと彼女の方へと詰め寄る。
それに対しては、無防備と言って良い程隙だらけだ。
やがて、最後の傷痕が飛ぶ――。
だが思った通り、残りの傷は掠り傷を負わせただけに終わる。
守る術を失った彼女が、ここぞとばかりに後ろから切りかかられ、高い叫びを上げてその場に倒れ伏す。
そして、その声が耳朶に届いた者達が、一斉にそちらを向く。

「オオッ、オオオーッ!
神の血だあーッ!」
「お、俺にも寄越せェッ!」
歓喜一色に塗り潰された歓声、彼等は倒れたリムの元へ我先にと集う。
彼等全てを切り払う事は、ハザには出来なかった。
今の俺の腕では、これが限界か……。
当たり前の事だが、たかが剣ひとつで、数多くの者の突進を防ぎ切る事は出来ない。
そして、集う者達は口々に捲し立てながら、倒れた女へと群がり、歯を突き立て、その血を啜り肉を食む。
巨漢の言っていた、血と肉を得る――その意味がありありと伝わって来る光景。
或る者は髪を、或る者は指を、そして或る者は眼を。
倒れた女に齧り付き、思い思いの部位を刃で切り落とし、躊躇無く口にすると、その流れる血を自らの顔に塗りたくった後、肩を組み皆で笑い合う。
そしてその笑顔は、調子を合わせて何時しか歌い声となり、大広間を埋め尽くす。

だが、心の臓が抉り出された時、様相が変わった。
共に戦い、互いを称え合う喜びの歌がぴたりと止まり、打って変わって波打つように静けさが満ちてゆく。
「これは俺のものだ!」
「どけえっ、俺のものだ!」
「邪魔をするな、それを喰らって神になるのは、この俺だあッ!」
そこが目当てであったのか、血相を変えた者達が、その所有権を求め、叫ぶ。
唯ひとつしかない、それを求めてある者は、先程まで肩を組み、歌い合っていた仲間だった者へと、刃を突き立て、奪おうとする。
しかし、集った者の考える事は、皆同じ。
次に始まったのは、神と呼ばれた女の、血と肉を得る為の、奪い合い。
互いに刃を向け、我こそは我こそは、と在りもしない力を求めて、集った者達は大いに争う。
やがて、女の遺体が刻まれ小さくなると、既に血肉を得た者も神と見做され、その刃の餌食となり始める。
神の血肉を得た、または得たように見えた、たったそれだけで、力を得ようとする者達の凶刃が、容赦なく振るわれてゆく。
何時の間にか、この場で最も多くの血肉を得た者が、神として世に君臨できる――その様な事を口走り、刃を振るい互いの血肉を、是が非とも口にせん、とする者達で大広間は溢れ返っていた。
暴徒となった者達から身を守るべく、我こそが奇跡を世に現わさんとし、斃れ伏した者の血肉を得た後に、何かを念じる者も居る。
勿論だが、彼女の様な不可思議な理を起こすなど、出来よう筈もない。
魔の力の使い方も知らず、無防備になった所を刺し貫かれ斃れた者、そして斃した者の血肉を奪う為、襲い来る者の連鎖がいつまでも続く。

終わらない狂騒の中、突如ひと筋の声が大広間の中に混ざり込む。
「き、貴様らあッ、何をやっておるか!
許さん! 許さん! 許さん! 許さんぞォーッ!
皆、邪悪なる者達の手から、神を、神をお守りしろーっ!」
「遅かったかあっ!
しかしまだ間に合う、皆の者、神を討つ好機ぞ!」
大挙して鎧兜、そして手に手に獲物を持った者達が、大広間へと雪崩れ込んだ。
粗方、相争っていた勢力が、新たな敵を探し求めてやって来た、という事だろう。
すぐに勢力が違う者達が入り乱れ、大広間は怒声と悲鳴に包まれている。
時折、周囲の暗闇の底から舞い上がる風の音は、最早誰の耳にも届いてはいなかった。
もうどちらの陣営を相手にしているのか、正確に把握している者はハザを含め、誰も居ないに違いない。
神敵と罵られ、神を討つ邪魔者として罵倒され、そして神と成らんとする者から、その血肉を求められる。
全てが敵。
生きている――ただそれだけで狙われる、異様な空間。
この様な状況で出来る事など、たかが知れていた――対峙した者を切り払い、また次の相手を探す。
そして避けては斬り、斬っては避ける、その繰り返しだ。
此処から抜け出したければ、死して黙せば、恐らくその願いは叶うだろう。
それとも、生き残った最後のひとりとして立つか。
自らの生涯を掛けて、立ち向かわねばならぬ、と思う程の者は終ぞ現れなかったものの、戦う相手だけには困らなかった――抜け出すにはそのどちらかしか無い、と思える程には。
戦いの最中、ふと、リムであったものの骸が目に入った。
助けるというには既に手遅れだが、諦めずに彼女の元へと向かうべきか、と前のめりだった姿勢を戻す。
そして、狂乱に身を任せる彼等を刺激しない様、慎重に、静かに後退りを始める。
彼のその耳には、他の者には聴こえていないらしい、ある声が届いていた。

ハザ
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【力の激突】