2021年1月20日水曜日

ブログ小説 アンシエンラント創世記 5話 始まりの物語 3章.決戦

アンシエンラント創世記 5話

―――――はじまりの物語―――――

3章.決戦



聞き慣れた女の声だ、間違いない。
これで討たれた数は何度目になるのか、だが彼女はまだしぶとく、生きているのだろう。
今ここで大勢に囲まれ、切り刻まれた挙句に、食われてしまった現状だと云うのに、どのようにして生き延びたのか、何時もの事とは言え、皆目見当は付かないままだが。
リムは再び現れるという、確かな予感を胸に抱き、微かな足音を立て、ハザはその場を後にする。

目下、やらねばならぬ事は、この大広間を脱し、地上へ向かう事だ。
神とやらを追うという宝珠。
それを掲げ持つ者は既に倒れており、無残に転がるその横を素早く駆け抜け、橋を目指して青年はひた走る。
兎に角ここを抜けなくては、何もならない。
途中、追いすがる者達が居たが、それらは全て長剣で打ち払う。
体当たりを目論む者を避け、横から押し返した後、姿勢を崩した所へ強打。
背を打たれ、もんどりうって俯せに倒れた者は、何とか起き上がろうとしたが、そのまま力尽き、再び這い蹲る。
盾を構える者の、横から打って来る者を軽くいなし、胴鎧の隙間を強く突く。
鋼の塊を捻じ込まれた者は、兜の間から血を吐き、声も無く倒れた。
構えたまま、動かぬ者は有無を言わさず、その長剣を薙ぎ払い、強引に打ち倒し黙らせる。
ぐぅぅ、と小さくひと声呻くと、ごろりと大の字に寝そべり、意識を失う。
とどめを刺す必要はなかった。
探さずとも他にも相手は居るのだ、他に避けねばならぬ攻撃も多く、手を休める暇とは全くの無縁と言える。
そして更に駆ける青年、渡ろうとする白い橋の前に、駆け集まる者多数――どうやら敵味方入り交えるこの混乱の中でも、すんなりと逃がしてくれる心積りは、さらさら無いらしい。

道を塞ぐ邪魔者を排すべく、互いに剣を振り上げた所で、突如として歌が聴こえ、何事かと皆が顔を振り上げた。
騒がしかった大広間に、波が広がる様にして静寂が満ちてゆく。

その唄は、長らく会えぬ友を偲ぶ者の寂しさを思わせた。
その唄は、戦を終え故郷へと帰る者の安らぎを思わせた。
その唄は、還らぬ愛しき人へ残る者の悲しみを思わせた。

聴き入るにつれ、歌の意味が、耳を潜り、心に沁み込んできた気がする。
皆、心が洗われるようなその声色に聞き入り、自然と戦いを止め、歌う声の主を探す。
ある者の視線が、ぼんやりと上を向く。
そして、またある者が茫然と指差す方向に、彼女は静かに佇み、そして麗しく艶やかに歌う。
物音ひとつ立てる事も、許されざる荘厳な雰囲気に圧倒され、誰もが固唾を飲んで、その成り行きを見守った。
美しい歌声は、途切れる事無く続いてゆく。

その唄は、長い旅路の末に安息を得た求道者を思わせた。
その唄は、親愛の情に身を震わせる愛しい人を思わせた。
その唄は、国と民の為遠征に出た帝王の帰還を思わせた。

崩れた柱の上にリムが立ち、歌っている。
それも、何人も――。
今、多数の古びた柱の上に存在する、同じ姿を持つ彼女は、独りでは無かった。
多くの者が、夢でも見ているのかと目を擦り、瞼を瞬かせ何事かと呻く。
すると今度は何処からともなく、彼女の歌う様な声が響いてくる。
その声は、すぐ傍からとも、姿が見えぬ程遠くからとも取れぬ距離で、語り掛けて来たようにも感じられた。
しかし辺りに響く美しい歌声が、ひと時たりとも止まった訳では無い。
流麗な、実に不思議な光景が瞳に映る。

死して尚縛り 従わせる契り
貴方達を 取り巻くその鎖は 解かれました
痛かったでしょう 辛かったでしょう 永かったでしょう
さあ今こそ 怨敵を 討ち果たす時

怨敵を 怨敵を 怨敵を
討ち果たす時 討ち果たす時 討ち果たす時

輝く様な、そして、透き通る様な幾多の声が、徐々に小さくなり、聞こえなくなると共に、断末魔の悲鳴が皆の耳朶に届く。
かつて聞いた、某とやらの解法、これはそれを行った結果なのか。
橋を渡り押し寄せる、更なる手勢が現れ、それが新たな混乱を引き起こす元凶となっている。
ぽっかりと闇に浮かぶ様に見える大広間は、惨憺たる有様と化しつつあった。
白い橋を渡り、古びた剣や槍を振り翳す、骨と皮しか残らぬ、干乾びた亡者の群れ。
何時か見た骨共が押し寄せ、彼の者達を討たんとする。
更に、既に屠った筈の者が起き上がり、また胸を貫き、首と胴を切り離した者が突然、倒れ込むのを堪え、無理やり体の向きを変えると、かつての味方だった者達へと、手にした獲物を振るい始めたのだ。
そして、それを予想だにしなかったのであろう。
驚愕の思念を宙に投げかけ、その凶刃に斃れた者も、人が変わった様に形相を変え、すぐさま反旗を翻す。
ある者は頭の無い体でも平然と動き、剣を振るい、また何もない所に浮く、切り落とされた首は歯で噛み付き、そして極めつけには、裂けて千切れかけた上体で1人を挟み、残った2つの腕で幾多の者を同時に相手取る、摩訶不思議な戦い方をする死者も居た。
それらを間近で見ていれば、かなり不気味な光景と言える。
やがて驚愕と困惑、畏怖と戦慄、そして未知のものを恐れ慄く叫びが、たちまちの内に大広間を満たす。
悪夢のような現実が、大きな混乱として、人と人の間を、漣の如く広がってゆく。
彼女の言葉通り、ついさっき打ち倒した者、そして新たに表れた動く骨共が、教団の者達に襲い掛かり、道が開ける――今だ。
ハザは動く遺体ごと、教団の鎧を纏う者を鋼の刃で打ち倒し、大広間から出る橋へと向けて、全力で駆け始める。



不気味な命を失った者共は、不思議と彼を避けてゆく――あの時とそして、今までと同じ様に。
まるでそこには、最初から誰も居ないか如き有様であった。
そのお陰で邪魔も少なく、悠々と白い橋を渡り切った後、小休止を挟む。
何時から御伽噺の世界に迷い込んでしまったのか。
死んだ者が蠢く、明らかにおかしい世界が、橋を渡ったすぐ向こうに在るのだ。
よく見ると、少し前に対峙した筈の、影の様な者達も、奴等に紛れて争いに加勢している。
異様な手勢は、リムが斃された辺りに向かってはいるが、女の遺体に群がる生きた者達を率先して狙う。
そこで彼は理解した――亡者共の今度の狙いは、彼女では無い事を。
生きている者全てに襲い掛かり、徹頭徹尾被害を考慮しない、理不尽な戦いを挑むその姿は、正に狂気に満たされた者共としか思えなかった。
これは少し休まねば、心身が持たない。
困惑と憔悴に駆られた面持ちの彼は、天井を仰ぎ、ゆっくりと静かに目を閉じると、右手拳を胸に当て、大きく息を吐く。
ひと呼吸休んだ後に目を開くと、取り戻した鋭い視線で左右を見渡す。
気が付き手が空いた者が、彼の居場所を指差し、何事かを大きな声で言っている様子が見えた。
彼等はまだ、追って来る心積りを有しているらしい。
まあ、邪魔が入る為なかなか、こちらには渡ってこれないとは思うが、ぼうっとしている暇は無い、少し休んだら、先へ進まねば。
呼吸を整えた後、再び駆け出した青年。

その後ろから照らし出す、壊れたランタン角灯から煌めく僅かな灯火が、ハザの影を伸ばす。
「そんなにおかしな事ですか――?
かつて施されていた、彼の者達の技法を解き、そして我等も、扱えるようになりました。
只それだけです。
我等も彼の者達も、積もりに積もった鬱憤を、多少は晴らさねばなりませんし」
先程の思考に答えを示す様な、静かな声が届く。
何時の間にか隣に佇んでいたリムが、歌う様に聞こえる声では無く、普通に聞こえる声で、話し始めていた。
駆ける速度を上げつつも、青年は思う。
つまり、それは彼女が、妙な技で死体を動かす方法を学んだ、という事だろうか?
ひとつの事柄に、思い当たった事を青年が喋る前に、彼女は答えた。
「あれらは既に我等の、忠実なる僕。
この遺構で、死を得た者は全て、我等の僕となります」
彼の理解が進んだ事を嬉しく思ったのか、その声は、何時もより少し明るい気がする。
しかしどう聞いても、新たな呪いとやらで、遺体や動く骨共を縛った、と言っている様にしか感じられず、眉を顰めたハザは、止せば良いのに思わず尋ねてしまう。
「聞きたくは無いが。
――それは、まさか、俺もか?」
「はい、勿論――。
此処で死を得れば、貴方も我等の僕となりますよ。
少なくとも、我等が滅びるまでの間は。
どうでしょう?
ハザも、我等と共に、同じ刻を歩みませんか」
どういう意味か、最後のひと言が余計だ。
こんな所で、得体の知れない骨共と、仲良く詰め続けるなぞ、御免被りたい。
思わず聞くんじゃなかった、とハザは苦虫を噛み潰した様な表情を、顔に浮かべさせる。

そのような心中を察したのか、まるで意外、とでも言いたげな声色で、リムは言葉を続けた。
「お嫌なのですか?
貴方なら、我等が直に力添えを致しますよ」
直後続いたのは、自信たっぷりにさあ、どうぞどうぞ、と言わんばかりの語調。
全く噛み合いそうにない価値観の掲示に、当の彼は、ますますその顔を顰めてゆく。
その青年の後ろを、ぴったりと滑り着いて来るリムのその姿は、まるで死に連れ去る者を連想させる。
懸命に足を動かし走りながら、恭しくも吐き捨てる様に、彼女の誘いをきっぱりと断るハザ。
「大変に魅力的な申し出、ありがとう。
だが、俺は昔から、そう言うお誘いが何故か多くてな。
すまんが間に合っているんだ、諦めてくれ」
思えば昔から、生傷の絶えない荒事ばかりをこなしていた。
ふと気が付けば、何かと諍いに、首を突っ込む事が多かった気がする。
そして、何時の間にか気にしなくなっていたが、その生き様は、ずっと死と隣り合わせだった事を、ここへ来て漸く思い出す。
死からのインヴィテイション招待状、それをやんわりと断る術を、彼は自然と身に着けている、のかも知れなかった。

階段を駆け上り、緩やかな曲線の通路を駆け、三叉路の片側の通路に、欄干の無い橋が見える。
その先には、まるで、闇夜の中にぷかりと浮いている様な白い床。
駈け上って来た記憶を繋ぎ合わせると、その構造は、地中に造られた搭の様であった。
正面の曲線からも足音と声。
ハザは迷わず、欄干の無い橋の方を選ぶ。
次の橋も、渡り切れれば良かったのだが、その眼前の橋には、大勢の者が列をなししていた。
ご丁寧に旗まで掲げている――あの教団の物だ、勿論味方などでは無い。
背後からも大挙して、奴等が押し寄せてきている。
独りなら兎も角、女連れでは到底突破は無理だ。
ぽっかりと暗闇の空く、大広間の隅へと追い詰められながら、思わず舌打ちした所へ、落ち着いたリムの声が、背後から青年の耳朶に届く。
「どうしましょうか」
「この後、一斉に飛び掛かって来るだろう。
考えたが此処は天井が無い。
上に行きたいんだが、お前はもう、飛べないんだったな。
この数は流石に、俺も生きて帰れるかどうか……万事休すだ」
長剣を構え、じりじりと後退りつつハザは答える。
確かに追い詰められてはいるが、袋小路という訳では無い。
可能ならば自身ごと抱えて、飛んで貰いたかったのだが、たかが毛布ひとつ、満足に運べない彼女の膂力りょりょくでは、それもままならないだろう。
「上に行くだけでしたら――。
他に手はあります、ですが……」
有効そうな返事はあった、あったが――。
奥歯に物が詰まったような物言いに、ハザの内心は不安を掻き立てられる。
このような時は、きちんと何をするのか、確認した方が良い。
「ですが、何だ?
それは、もしかして危ない方法では無いだろうな?」
「危なくはありません。

ですが、その前に――。
あれを壊さなくては。
残されれば後の世で、我等の願いを満たす邪魔と、なり得るかもしれませんので。
早い内に、壊さなくてはなりません」
視線の先には、神――リムの居場所を探る為の宝珠を掲げた者が居た。
曇りひとつ見える事の無い、艶やかに透き通る球、その内側に、娘の居る方角を指し示す輝き。
アレがある限り、地上に出ても彼女は奴等に、追われ続ける事になるだろう。
宝珠の方へ移動しようとするリムの手を、引き留めるかの如く掴んだハザは、ぶっきらぼうに答える。
「ああ、アレか?
心配はいらん……もう斬った」
ハザがそう言うが否や、突如、めきりと嫌な音が微かに聞こえた。
何も映さなくなった澄み切った宝珠に、黒いひび割れが入り、磨き抜かれた球体が、ゆっくりとずれてゆく。
ある程度滑ると、ぽろりと2つに分かれ地に落ちる。
そして白い石床に叩き付けられ、更に大きな亀裂が幾つも入り、修復しようの無い断片となると、ばらばらに砕け散った。
見る見る内に輝きを失い、薄暗く変色する宝珠だった物、を掌に救う様に載せ、ああ、と世が闇に閉ざされた様な声色で、誰かが叫ぶ。
これではもう、神の居所を探る事など、2度と出来はしまい。
完膚無きまでに断たれ、粉々となった宝珠を見たリムは、急がねばならぬ時にも関わらず、その面持ちを崩さずのんびりと言う。
「お見事です。
さて、それで、それは何時――」
「今すぐだッ!」
彼女の言葉を遮る様にハザが言い終えると、足元の周囲が輝いた。
迫る者達は何事かと驚き、思わず蹈鞴を踏むと、その場へと押し留まり、驚愕の視線を仰ぎ向け、様子を見る。
2人の足元を囲み、いや包み込む様な輝きは、徐々に少しづつ、上昇してゆく。
その上に乗せた体ごと、ゆっくり、ゆっくりと。

彼等の足元には、眩い光を溢れさせながら宙に浮き、ふわふわと昇り続ける、硬く輝く透明な床が現れていた。



縁から小さな輝きを撒き散らし、上へ上へと進んでゆく足場。
未知のものにも臆さず、しがみ付きに来た者を手にした長剣で打ち払い、騒ぎつつも茫然と見守る者達は、もう既に手の届かぬ程下である。
此処まで昇ってしまえば、石やナイフ小刀を投げられても届きはしないし、弓でも狙う事は難しい。
そもそもこの堅い床は、早々破られそうにない程に頑丈で、自身の剣は勿論の事、弩の矢や投げつけられた様々な飛び道具の一切を、亀裂のひとつも入る事無く、いとも容易く弾き返してしまっていた――ひとまずは胸を撫で下ろしても良いだろう。
もう、眼下に群がる者達が、風に揺れる小枝の如き大きさに見える。
多少の風にも全く揺れぬ、透明な足場を確かめる様何度か触れ、しっかりとした感触を確かめると、惜しそうにハザは言った。
「急場を凌いでも、また追って来るな、奴等は。
折角集まってくれたんだ、纏めて決着を着けたかったな。
お前の歌で、橋か柱を壊して、このまま地の底へ叩き落とせれば、尚良かった」
「出来ますね」
「まあ、そうだろうな。
折角の好機だのに、残念な――。
――、……、おい今、何と言った?」
「はい、出来ますよ」
あんぐりと浮かべた呆れ顔から速やかに転じ、唇を笑みの形に吊り上げた、ハザが下を指差す意図を読んだのか。
再び、辺りから美しい旋律が流れ、暗闇の中を満たしてゆく。
やがて、刹那の輝きの後、厳かな轟音が静けさを打ち破る様に轟き、幾多の者の絶叫が合唱の如く、幾重にも壁に反すると、何処へとも繋がっているのか分からない、暗闇の底へと向かって、砕けた白い石で出来た橋や床ごと、吸い込まれて行った。



そして、音を出すものは、何処にも居なくなった――2人を除いては。
再び訪れた静寂に、壊れたランタン角灯にぽつりと灯る、魔の力の放つ弱々しい光。
今、目に映る光源は、これと乗っている輝く床のみ。
乏しい灯火が必死に揺れ、迫る漆黒を押し退けようと、その存在を精一杯に主張する。
光を反し、その姿を現すものも無くなったのか、それだけの光量では、周囲に何があるのかまでを、映し出す事は出来ない。
あの大きな轟音は、光を灯すのに肝心な所を、皆消し飛ばしてしまった、という事であった。
残った部分は、今居る竪穴のみである。
全ての光が失せたこの遺構はもう、朽ち果てる時が来るまで、暗黒に満たされたままなのだろう。
今にも闇に飲まれそうな灯火に照らされ、周囲の静けさに負けぬ程の、粛然たる声で彼女は言った――出られそうな所は、もっとに上にあると。

物悲しさを覚える程の、しじまに包まれた暗闇の中、夜空に浮かぶ星々の様な煌めきに乗り、リムとハザの2人は、更に上へと昇って行くのだった。



ブログ小説アンシエンラント創世記 5話1章挿絵

【勝者と敗者の境界線】