【ブログ小説】
R.M.E.R. 2nd chapter3
縁切徹
ついでの仕事(2)
――――――――(1)――――――――
街には、住人の頭を悩ませる問題が山積みであり、日夜新たな火種には事欠かない。
当然ながら、切り捨てられた者たち、そして立ち去ったエルヴンの女の事など、常日頃何処かで起きている事であり、露程も話題には上がらないのも頷ける。
そして、今日もまた、頭痛の種が一つ、届けられた。
――魔獣。
何時どこから現れ始めたのか、皆目見当が付かない、謎の生態を持つ生き物。
例え、念入りに調べたとしても、知れる事は酔っぱらいの噂話程度であり、その内容も、民に伝わる伝承や御伽噺程度しか、話を聞く事が出来ない有様だ。
それも、実在した形跡が何処にも無い――。
何処から尋ね歩いても、やがて辿り着くのは狂人の妄想の産物、としか思えぬそれを、誰が好き好んで聞きたがると言うのか。
刻が長く過ぎ去り、何時しか魔獣は噂話の種にもならない、乳飲み子を怖がらせる為だけのものとなっていった。
そんな魔獣の噂が、今、何故。
最早噂だと留めおけぬ程肥大したそれを、忌々しく思う――何故だと、街の代表者達は頭を抱えながら。
やがてある日、街道筋のあちこちから突然に、謎めいた形状の何かが出没し、襲われる者が出たという報が入る。
行商旅の道すがら、遠目でソレを見た、という話を聞くだけでうちの子供が泣いた、位ならまだ良い方だ。
宙に浮いていた、顔や手足が幾つもあった、臓腑のような色をしていた、家の様に大きかった、捕らわれた仲間が喰われた等々。
聞けば聞く程に入り混じる、玉石混合の噂の一体どれが、事実であるというのだろう。
その異様な姿の噂が方々で話題に上り、留まる事を知らない。
何処かでは激しい戦いの末、それを討伐した、との噂もあったが、伝えられる話の中には、小さな集落はおろか、街一つ、城一つが瞬く間に消え去ったとも聴く。
勿論だが、所詮は噂だろう、その様に考える者もそれなりに多かった――まだ、その時までは。
更に後の日の事である。
多大な犠牲を払って、漸く倒したという、魔獣の欠片が街に届く。
異様な色形をしたソレは、根も葉も無いと思っていた噂が現実である事を、如実に示していた。
一応ながらにも、この事を口外せぬ様と口止めをしていたものの、口に戸を立てられる者など世に居りはせず、瞬く間に語り草となり、不穏な空気が流れ満ちるのも、至極当然の事と言えるだろう。
そして間の悪い事に、近くで魔獣らしきものを見た、との話も、同時期に口端に上る。
街の中全体に緊張が走り、皆一様に黙り込む。
だが、幸いにしてこの街では、流言が流布した、以外の被害は未だ無かった為、余裕のある内に討伐隊が編成される運びとなった。
しかし、隊を編成するとなれば、多くの物を要する。
金銭は勿論の事、食料、働く者達、戦う為の軍人や傭兵、冒険者そして、それらの輸送手段。
用意せねばならないものは数多くあり、またその全てを調達する事は難しい。
しかも働ける者を集めたとしても、そういった者達のを運ぶ手段はそう多くはなく、特に貴重だ。
特に魔獣の噂が流れてからと言うもの、何処の街村も防衛の為に、一斉に支度を始めたのだろうか。
そうとしか思えない程、剣や盾、槍や鎧兜、そして弓矢、大きな荷車はおろか、それを引く為の貴重な魔導具までも、近頃は取引価格がまるで狙ったかの様に高騰しており、頭痛の種を増やす結果となっている。
幸いながら財政に余裕が無い訳では無いが、この異様に高騰した相場の中で無遠慮に振舞おうとしたならば、あっという間に枯渇する事は、財務に詳しくない者でも一目で解るだろう。
よって、その全てを金銭で賄う訳にもいかない。
残念だが、決して、すぐに働ける者とカネは、ただちに無限に湧いて出る事は無いのだ。
政務を執り行う者としては、至極当たり前の事であるが、実に悩ましい問題に街の代表の一人である執政者の男は、己の執務室で頭を掻くと、呻くと机の上に突っ伏し、うんうんと唸りながら、気力と知恵を振り絞って打開策を思案すると、恰幅の良い体格が高価な布地の服を引き延ばし、みりみりと音を立てる。
街に、魔道具を自ら作れる程の技術があれば、とうの昔にそうしているだろう。
しかし工房は農具の質こそ、辺りに比べ秀でていると言えても、魔導具ともなるとむしろ扱いに困るといった有様であり、呪い一つ満足に行える者など居なかった。
普段なら全く問題ないが、このような時には歯痒い思いをする程、技術が非常に立ち遅れていると言える。
見渡せば近郊の何処の街や村も、似たり寄ったりではあるが、大して変わらない部分を見比べ、安堵した所で問題の解決にはならない。
そもそも、魔導具と言う物は、遥か彼方にあると伝えられる、魔導帝国しか製造していないのだ。
正確に言えば、作り方を秘匿してはいないのだが、他の地域には作れる者が居ない――滅多な事では現れてはこない――と聞く。
その帝国に入る為には、大変に厳しい試練が待ち受けているとも聞くが、しかし、噂しか届かぬ程、あまりにも遠い場所にある為、生まれてこの方、街より一歩も出た事の無い彼には、詳しい事までは分かり様がない。
工房の子息息女達を、何とか帝国まで旅に出し、もし無事辿り着いたとして、そこで門前払いを受けずに、学ぶ事を許されるならば、作り方位は教えてくれるかもしれないが、気軽に出かけられる距離では無く、それもたった独りでは、挫折や物珍しい所で遊び惚ける等、或いは途中で心変わりし、そのまま戻ってこなくなる場合等も、当然あると考えるべきだろう。
ならば学徒を編成し、帝国まで学ばせに行かねばならない。
護衛する者が必要になるが、そちらの方が魔導具一つよりは、はるかに安く済む。
しかしそれも、一つ問題がある。
長い旅の末、よしんばそこまでが上手く言ったとしても、一体何周期経てば――この場合、どの位待てば、と言い換えても良いだろう――その内の何人が、きちんとした作り方を覚えて帰って来ると言うのか。
帰り道も長旅なのだ、不安の種は行きより多い事は間違いないだろう。
当たり前だが、今から支度をしていたのでは、確実に間に合わないに違いない。
そんな悠長な事をのんびりと、今から検討している時間は、全く持てない事は明白である。
隊を編成運用するとして、実際に必要なのは、大人数を運べる魔導具だった。
現在我が街には、荷台を引けるような魔導具は、恐らく両手で数え切れる程の数しかあるまい。
その内の二つ、三つなら街の所有だから事は簡単だが、他に要るとなれば一つは我が家の保有している物から、貸し出さねばならないだろう。
他にそれを持つ者にも、協力を仰ぐべきだ。
だが、街の保有含め借り受けた物の一機でも破損すれば、大問題となる。
その辺りの補償も含め、話し合わねば――。
彼は、自らと同じく魔導具を保有する、有力な者達を脳裏に思い浮かべた。
噂が噂である事を確認すれば、単なる取り越し苦労で済む。
兎にも角にも、輸送出来なければ何も始められないのだ、先ずはそれに全力を尽くすのみ。
意を決した執政者の男は、徐に立ち上がると、その体格により間延びした模様の服で、話を付ける為に執務室を後にした。
――――――――(2)――――――――
やがて、町は魔獣との戦いの支度を整え始める。
有志を募り、広場にて急募を告知した、次の日の朝の事。
あの時、三人がかりで一斉に攻めりゃあ良かったんだ――。
数日前、銀の髪の娘を路地裏まで追いかけ、返り討ち似合った後に、何とか警備兵の追跡を振り切った、細面で剽軽そうな、顎髭を蓄えた男は、内心で強くそう思う。
あの男達とは、顔を合わせれば一緒に飯を食う程度には、仲は良かった気がしていたが、命の危機の折にあっても、わざわざ助け舟を出してやろうと思える程、慣れ合ってはいなかった。
少なくとも、自身から見た友好関係の話だが。
何でも自分の剣一本で片付けたがる、頭の固いあいつ等の、下らん流儀なんぞに一切付き合わず、もっともっと、上手く動かしてやれば、今頃はこの辺りでは珍しい、エルヴンの女が一匹手に入った上に、自由に出来ていたかもしれない。
そう思うと、腹立たしさより一層膨れ上がり、幾日が過ぎ去った今でも、まるで収まる気配を見せなかった。
しかし、全ては後の祭り。
自分達から吹っ掛けたとは言えども、詰まらない喧嘩で命を落とすなんざ、なんて運の無い奴らだったんだろう。
目星をつけた範囲ではあるが、あちらこちらを尋ね歩いてみたものの、あの女も、行方が杳として知れないままである。
これだけ探して、影も形も見当たらないという事は、もうこの街を出て行ってたのだろうか。
腹立たしくはあるが、だったらもう、会う事は困難だ。
わざわざ後を追いかけて、奴等の仇を打ってやる程、自分が熱苦しい性分でも無い事は分かっている。
実に不本意ながら金にもならない、この界隈では良くある出来事、で終わってしまった話に、これ以上は付き合えない為、また新たな仲間を募り、今日明日の食い扶持を稼がねばならない。
不満を抑え込んだ彼は、大きな仕事があると持ちきりの話、報酬に期待を膨らませ、塒としているボロ宿の味薄く不味い飯を、これまた味の悪い酔えるだけの酒と一緒にかき込み、男は食事を終えた。
そして、要求された代金を素知らぬ顔で聞き流し、腹いせに出入り口の扉を蹴り開け宿を離れると、ぶらぶらと街並みの中を歩く。
広場には誰も居ないだろう。
集まる刻まではまだ早く、今行った所で律儀な奴でも早過ぎると、大笑いしながら指を差してくるに違いない。
それまでは暇を潰し、どうにか退屈を凌がねば。
気持ちの良い早朝のさながらではあるが、通りがかる者や、早くから店の支度をしている者と目が合うと、自身の顔に何か付いている、とでも言うのだろうか、その者達は皆一様に顔を背けた。
しかし、その様子をまるで気に掛けるでも無く、彼は街路の中央を肩を怒らせつつ歩いている。
大して詳しく知っている訳でも無いが、歩き飽きた退屈な街並みの中を歩いている途中、何かに気付いた男はふと、路地裏に目を移す。
酒に酔い、顰め面から放たれる、濁り切った視線の先には、年老いた男が一人。
住む所が無くさ迷っているのだろう、建物の影に隠れる様にして座っていた、破れた布をただ一つ、寒そうに身に纏う老人に、わざわざ近づき蹴り飛ばし、更に大声で叫び脅すと、年寄りは杖としていた棒切れを放り出し、悲鳴を上げて路地の奥へと逃げて行った。
年老いた男のその様子を見て、何が気に入らないと言うのだろうか、顎髭を蓄えた男は非常に不満そうに鼻を鳴らすと、表通りに戻る。
そしてまた、何かしら気に入らないものを目敏く見かける度に、ねめつけながら近づき、大声で難癖を付け蹴り飛ばす。
通りを練り歩く男の姿に、矢張り顔を背ける者は多く、細面で剽軽そうな顎髭を蓄えた男は、終ぞ理解する事は無かった――その形相が、他の者から避けられる程の、張り詰めた感情を湛えている事に。
暫くの間男はうろつき、性悪な人相を街の住人に振りまいていたが、やがて広場に向かうと、集まった者達に紛れ、立ち並ぶ。
遠くより魔獣の討伐と聴こえた所で、皆がしんと静まり返った。
既に多数のご同業が集まっており、何時もは閑散としているこの場所が、数多くの者でごった返している。
しまったと思い、慌てて駆けつけるが、どうやら到着が少し遅かったらしい。
退屈凌ぎに、随分と時間を浪費してしまったのか、顎髭を蓄えた男が辿り着いた時には、討伐隊編成の説明がもう始まっていた。
そして、中でも威勢の良い者達が、討伐隊の一党を纏める者に食って掛かる。
「オイオイ、何が相手でも良いけどよ。
そりゃぁ一体幾らの仕事なんだ!?」
「払う金が分からんと、俺達も受けるかどうか決めらンねぇぞ!」
「そうだ、そうだ!」
と騒ぐ者達で、やれ金を寄こせ美味い飯を用意しろだのと、先程と違い騒然となる広場の中、朧げに聴こえて来た褒賞の額だけ、何とか彼は聞き取る事が出来た。
顎髭を蓄えた男は、期待していた以上の夢のある報酬を聴き、ほろ酔い顔でにんまりとほくそ笑む。
あの強突張りな女が首を縦に振るには、少し足りない額かもしれないが、金の無い生活が長い自分には十分過ぎる。
何、いざとなれば隠れて、様子を窺っている内に、他の奴が何とかするだろう。
戦いが終われば、人数も減って分け前も増える――それで、金がもっと手に入るってぇなら、楽な仕事に入る部類だ。
「尚……、――である。
くれぐれも、後の支払いで揉めて、仲間割れなどせぬ様に」
まだまだ、長ったらしい話が続いている様だが、それだけ貰えりゃあ十分だ、とばかりに、彼はそっと広場を後にする。
後は出立の日に遅れないよう、気を付けていればいい。
おおっと、あの額の金が懐に入って来るんだ、今からあくせく働くのが、随分と馬鹿らしくなってきちまった。
よし、その日まで、飲み明かすか。
どうせ魔獣なんか居る訳が無ぇんだ、見つかりゃしねえもんを探して、何日か暇を潰しゃ金を貰える、随分と気前の良い仕事にありつけたもんだぜぇ。
その間は飯もただで食える、この街は何時からそんなに景気良くなっちまったんだ。
くひひっ、金が入ったら、何するかなァ……。
宿からくすねた小さな酒瓶を傾けながら、広場から立ち去る男はにんまりと笑みを浮かべ、大通りの中を歩む。
そうしている内に、小瓶の中の酒が空になり、心底詰まらなそうな舌打ち音が続く。
大通りを通る誰かにぶつかり、しっかり前を見て歩けと抗議を受けたが、彼はへらへらと笑いながら、まるで反省していない事が一目で解る謝罪を口に上らせ、更なる不興を買う。
だが、もう用済みとなった小瓶を、文句を続けようとするその者に詫びだ、これをやるから機嫌を直せよ、と言って押し付け、慣れ慣れしく肩を叩くと、その場を立ち去るのみであった。
「へへへっ」
その後も気付かぬ内に、笑いが外に漏れている。
暫くの間、とんとあり付けていない、飛び切りの飯をたらふく用意し、美味い酒を浴びる程飲み、侍らせた沢山の美女に武勇伝を語りながら、豪遊する事を想像する、顎髭を蓄えた男。
通りを行き交う者達が何事か、とその顔を思わず眺め見る程の笑みを浮かべていたが、全くそれに気づいた様子も無く、酒に酔った赤ら顔を満足そうに歪め、ふらふらよたよたと歩き去った。
――――――――(3)――――――――
更に幾日が過ぎ、討伐隊の一党を結成し、満を持して出立した日の事。
魔導具が引く、幌の付いた荷台に幾多の者を乗せ、急遽結成された一党が道を進む。
棒と輪と言っても差し支えない、単純な車軸に車輪を取り付けただけの荷台。
かなりの頻度で大きく揺れるそれは、悪路を走破するに、十分な性能を有していない。
その荷台の上に、十を超えようかと思しき者達が集い、座り込んでいる。
幌の中では、小五月蠅く揺られる荷台に負けじと、軽薄そうな声をより一層張り上げて、武勇伝を語る声。
一党の荷台に乗せられた一同は、退屈凌ぎにと、自己紹介がてらに己の戦の歴を語り合う事となった。
そして丁度今、一人の男の話が終わった所である。
「つう訳で、先輩方。
よろしくお願いしますよ、へへつ」
剽軽そうな細い顔付きの、顎髭を蓄えた男が、敬意を払っているようで払っていない、長々とした挨拶を済ませると、対して興味を持たれなかったのか、先輩方と呼ばれた者達は、欠伸交じりに頷き一つも返さず、次の者へと声を掛けてゆく。
順に声を掛けられ、暫しの刻が過ぎ去った。
その場に居る、全員の自己紹介が終わったと思われ、聞き終えた皆が黙り込んだ一瞬――。
荷台の上に集う者の中で、一際異彩を放つ戦の歴、そして一癖二癖ある荒くれ者共が、自然と一歩退き、一目置く程の威厳を当たり前の様に放つ男が居り、中央に座したその歴戦の勇士、と呼ぶにに相応しいであろう、貫禄ある容姿を持つ男の、鋭く重い声が飛ぶ。
「ククク、何黙ってンだ、まだ終わりじゃねえぜ。
おい、次はお前だ。
そこのエルヴン、名は何と言う?」
エルヴン、と聞き、思わずはっとした一同の視線が声の飛んだ先を向く。
幌に覆われた薄暗い荷台の上、その隅の方。
皆が積み上げた荷の隙間に紛れ、薄く長い袖の付いた、足元まで薄い布で出来た長衣を身に纏う、華奢で美しい女が居た。
ここに乗り込む時にはこのような者は、見かけなかった筈だが、そこに何時から居たのだろうか――?
幌の付いた荷台の中へ、そよ風の様な声が響く。
―――――――へい あっしですかい?
―――――わざわざ名乗る程の 者じゃあございやせん
そう言うと、カヤは名乗らずに軽く手を振る――嫌味でも謙遜でも無く、本当にそう思っているのだろう。
落ち着き払った、随分と余裕のある態度だ。
妙に高い声の小男が、その体を値踏みする視線を、遠慮無く投げかけつつ、娘に問う。
「フン、まあ戦えりゃァ、俺達は名前なんざ、何でも良いからな。
その赤くてひん曲がったの、見た事無ぇが剣の鞘か……?
腕は立つんだろうな、どんな仕事してるんだ」
―――――――へい お相手が堅気じゃねえなら でございやすが
―――――纏まった銭さえ頂けりゃ 何でも斬って差し上げやしょう
「おー、そりゃ凄げぇな」
その細腕でよくやるものだ、とエルヴンの女に周囲からの視軸が集まる。
勿論ながら、単なる与太話と話半分に聞き流し、恐らく若気の至りか腕自慢の背伸びだろうと、高を括っている事は、疑いようが無いが。
だが、不思議な程落ち着き払ったその姿勢は、もしかしたら、いやいやまさか、という思いを不思議と起こさせるには、十分過ぎる風格を発している様にも見えていた。
すると、その中から一人何かを試す様に、体格の良い初老の男ががらがらと歪な声を上げて、銀の髪の娘に語り掛ける。
「フフン、何でも、ねえ……?
おう、じゃあ折角の機会だし、一つ頼みてえんだがよ。
いいか?」
一同はこの娘が何と答えるのか、関心があるのだろう――一様に耳を澄ませた者達の、更に興味深そうな視線が、先程よりも強く集まってゆく。
荷台ががたり、と揺れ、座した一同の姿も、同様に揺れた。
黙したまま、口端を吊り上げた微笑を崩さぬ女が、ゆっくりと頷くと、がらがら声の男は、したり顔で話を始める。
「実はよォ。
俺にゃな、長い間連れ添った女が居るんだがよ。
近頃そいつが、寂しいからそろそろ一緒になろうってぇな、耳に胼胝が出来ちまうくれぇには煩いんだ。
どうして寂しいんだ、俺達ァ何時も一緒じゃねえか、って何度言っても、全く聞いちゃくれねえ。
この仕事受けた時なんか、わんわん泣いて縋り付いて来やがって。
行かないで、ってぇ言うのをよォ、無理に置いて来たんだが……。
煩わしいったらありゃしねえ。
だからそれをよォ、どうにかしてえんだナァ。
どうだ。
纏まった銭ってもんが、幾らか知らんが金なら払うからよ。
これをな、お前に斬れるかぁ?」
男がそこで言葉を切ると、娘はより口端を吊り上げ、軽く頷く――。
という反応を予想していた、固唾を飲んで見守る者達の予想に反し、エルヴンの女は諸手を顔の前にまで掲げ、左右に振った。
その様子は、まるで降参するとでも言いたげに。
―――――――うへぇ それを斬れだなんて とんでもねえ話で
―――――あっしみてぇな小娘にゃあ ちぃとばかし 荷が重う御座いやすね
「お~い。
今お前さあ、何でも斬れる、つったばかりじゃねぇか。
そりゃあ一体、どういう事だよ」
間髪入れずに続く、上手い事かかってくれたな、と言わんばかりの顔色と声色。
どうにも言っている事が、自信でも分かっているらしく、何か企んでいる事でもあるのか、含み笑いを神妙な表情に浮かべつつ、カヤに声を掛けた男は尋ね、その反応を待ち構える。
その面持ちは、今にも吹き出してしまいそうだ。
―――――――そいつぁ俗に言う浮世の柵 ってやつでさぁ
―――――おいそれと 刀で斬れる様なもんじゃあ ございやせんぜ
―――そいつ斬るのだけは どうぞご勘弁を へい
「わはは!
なんのなんの、見てくれは若けぇのに、随分と分かってるじゃねえか。
俺なんぞを慕ってくれるただ一人の女を、ぶッ殺してくれっつー話なんかじゃねえぞお」
浮世の柵、と言う言葉の意味は今一つ理解出来なかったが、初老の男は分かっている様子が伺え、唖然とする一同。
耳朶に飛び込む娘の声を聴くと、遂に我慢の限度を超えたのか、がらがら声で初老の男が遂に吹き出し、まるで拍手をするかの如く両手を打ち鳴らすと、大声笑いしながら破顔する。
そして、女の先程までの余裕は、何処へ消え失せてしまったのだろうか。
くわばらくわばらと何かの呪文を呟き、わざとらしく頬を引き攣らせ、顔と手を右に左にと忙しなく振る娘が余計に滑稽で、可笑しく映ったのだろう。
その態度から何となく察したのか、一際高く響くがらがら声の笑いに合わせて、その場に居る者達が、どっと一斉に吹き出し笑った。
片隅に腰かける彼女に、声を掛けた威厳ある男が、破顔して娘の肩を叩く。
するとカヤは――初めから、それは演技であったのだろう――わざとらしい笑みと、矢鱈と大仰に首と手を振る事を止め、ころころと風に揺られる鈴の様な声で、男達と一緒に笑うと、他の者達も歴戦の勇士に続いて、エルヴンの女の肩を軽く叩き、歓迎の意を示す。
それを受け、娘も返礼の心積りか、年頃の娘に相応しい、可憐で愛らしい笑顔を返した。
幌を張った荷台の上で、和気藹々とした雰囲気が醸成され、朗らかな笑みを浮かべる柔らかな刻が過ぎてゆく。
だが、その輪の中で笑っていない者が一人。
細面で、剽軽そうな顔付きの顎髭を蓄えた男が、あんぐりと大きく口を開けてカヤの方を見ていたが、銀の髪の娘に親愛の情を示す者達は、それに気付く事は無かった。