アンシエンラント創世記 第1話
―――――鎮められた神殿―――――
3章.或る一つの終焉
広い天井、輝く岩、照らし出された道。
明るい――。
地底の遺跡から出ると、見通しの良い、様変わりした洞が、眼前に広がっていた。
打って変わっての見通しの良さに、思わず声が出そうになる。
空からの光。
辺りの暗さにすっかりと慣れてしまった目には、まるで陽光かと見紛う程に、眩しい光が天井から降り注ぐ。
そして、その光に照らされ、配置された岩は、鏡の様に光を反し煌めき、あれ程暗かった洞の内部を、煌々と映し出している。
敷かれた石畳の道は、微かに輝いている様にも見えた。
思いもよらなかった不思議な光景、それに目を奪われた青年は絶句し、その場に立ち尽くす。
その変化への心当たりは、無い事も無い。
――考えられる事は、たったひとつ――。
ここまでの変化に思い当たる事は、ひとつしか無いだろう。
思い当たった事の原因へ、訝し気な面持ちで、ハザは振り返り、話をしようとした。
すると、彼が振り返る寸前に、女は語り始める。
「光陰は、我等に何ら影響を与える事はありません」
背後に立つ娘の方を振り返ったが、平然とした顔付きからは、その感情を窺う事は出来ない。
お前がやったのか、という質問にはどうやら、先に答えられてしまった様だ。
絶妙のタイミングに出鼻を挫かれ、ハザは呆気にとられたまま、黙り込んでしまう。
女の後ろには、先程と違う不思議な光が、遺跡の概観を写し出す。
岩壁に彫り込まれた大きな史跡――、に見せかけた岩に視線を這わせ、小さな明かりでは、全く見る事の叶わなかった、その全容を見上げた。
大小様々な大きさの皹、部分的に意図せず、不自然に曲げられたかに見える意匠。
矢張り全体として、大きく歪んでいるのが分かる。
造られてから時が経ち、当初は思いもよらなかった変化が、生じてしまったのだろう。
そして、上から沁み出た水の跡が、その姿を古めかしく見せている、原因のひとつの様だった。
つと視線を下ろすと、先程と変わらぬ若い娘の風貌。
艶やかな髪へと、光が当たると7色の耀きを反し、一層彼女の神秘性を、深いものとしている。
その内側も、青から紫の諧調がある様に見えた。
果たして、あれは髪色なのか、それとも外套の裏地であるのか。
目が合っても、その茫洋とした澄まし顔に、何らの変化は感じられない。
彼女も何も言わず、ただ静かに、じっとこちらを見ていた。
初めから、そこに立っていた様な感覚。
こちらが何か行うまで、緩やかな風に吹かれたまま、そうしているのだろう――その佇まいは、不思議とそんな事を思わせる。
何故明るくなったのかを、彼は問おうとして、止めた。
どうせ聞いても、自身の知識では、到底理解出来ないだろう。
辺りが明るくなって、帰り道が楽になったと、ハザは思う事にした。
まじまじと道や岩、天井、そして娘の方へ何度も視線を投げかけ、溜息を吐く。
悔やんでも仕方ないが、降りて来る時も、これ位明るければ、面倒が少なかったに違いなく、遺構の中を、もし明るくする方法があるなら、その仕掛けを聞くのも悪くない。
そう思いつつ、暫く観察していたが、風の音で我に返る。
分からない事だらけではあるが、悩む暇は無さそうだ。
やる事はただひとつ――上を目指し、神とやらを送り届けねば。
先に進み、この女を地表まで連れ出せば、自ずと答えが分かるに違いない。
そう思った彼は、くい、と先を顎で指し示し、歩き始める。
あっちに行くから、着いて来い、と言う意味を女に送ったのだろう。
いざ歩き始めるとなると、彼自身の他に足音はしない。
歩きつつも首を捻り、横目で確かめると、女は一定の距離を保ちつつも、ちゃんと着いて来ている様であった。
それから、暫し無言の旅が続く。
女からは話す事が無いのか、それとも物静かな性質なのか、あまり喋らず。
そしてハザの方も、その性分からして、口数が多い方ではない。
よって、道中に聴こえて来るものと言えば、彼の革靴が地底を踏み締める音、時折風が駆け回る音、その2つ程であった。
物静かな女と、共に歩を進め、やがて洞の道が途切れる所へと、辿り着こうとする頃。
風に乗って、微かな音が揺らぐ。
かちゃり かちゃり かちゃり
始めは気のせいかと思ったが、やがてはっきりと先から聞こえる物音に、ふと、足を止めた。
十分に視野が確保されている為、今度は目を凝らさずとも見える。
錆びている鎧兜を身に纏い、手に手に獲物を携えた、人の骸骨がゆっくりと、こちらへと向かってきていた。
かちゃり、かちゃりと、白い脚を踏み鳴らし、髑髏の群れはその黒い眼窩を彷徨わせ、只ひたすらに前へ前へと進む。
「これは……。
何時の間に」
異様な姿の集団を前にして、背中に吊るした長剣の柄に、右手を掛けつつ、驚いたような台詞を飛ばすが、その表情は愉しそうなハザ。
先程戦ったのは、奴等だったのかもしれない。
だが、こんな奴等は、ここを通り過ぎた時は、居なかった筈だ。
一体何処から沸いて来たというのだろう。
女と出会う前、謎の襲撃者達の、あまりにも軽い手応えを思い出しつつ、柄を軽く握り直す。
新たな戦いの予感に、彼は高揚していた。
そして半身を捻り、背後へ佇む娘へを声を掛ける。
「あれは、何だ。
お前に判るか?」
理解出来るような答えは、最早期待していない。
御伽話の様に、骸骨が動いている所など、ハザは生まれて初めて見るのだ。
彼女は異様な光景にも、全く驚いた様子は無く、変わり映えしない表情で、質問に淡々と答える。
「分かりません。
ですが、我等をここから出したくない、その様な意志が遺り、あれを動かしている様です」
「敵である事は、間違いないんだな。
それから、意志とは何だ。
俺達に敵意を持つ奴が、あれを動かしているとでも言うのか」
「それは――。
我等を、ここに幽閉した民達、の意志と言えば、伝わり易いでしょうか。
この地底には、それが縛られたまま、ずっと遺っている様です。
それには解法がある様なのですが、調べねばなりませんので、解くのに時間が掛かりますね」
この女、さっき何と言った……、分からん、だと――?
解法が察知出来て、そこまで答えられる、それを分かっていると、世間では言うと思うんだがな。
渋顔を呆れた面持ちへと変えつつ、ハザは続ける。
「念の為だ、その解法とやらを試してくれないか」
物は試し、やってみて損は無い。
先は長いのだ、面倒な事は避けたいが、そうも言っていられない時も、当然ながらあるだろう。
女が言う話の全容など、良くわかっていない、が、今がその時ではないか、とも思い、思い切って訊いてみる。
だが、娘の返答は、彼にとっては芳しくないものであった。
「はい――。
それは構わないのですが。
今から実施したのでは、彼の者達の遭遇までには恐らく、間に合わないでしょう」
「――そうか。
間に合わなければ、あれは俺が、片付ける。
これを、持ってくれ」
戦った事がある相手なら、勝機はかなり上がる筈。
勝算を得たのか、ハザは手にしていたランタンを、娘に差し出す。
彼女は何も言わず、それを受け取り――そして、彼の手にそっと触れた。
細く、しなやかな指で、軽く握った様にも思えたのだが、それもひと時の間。
手に残る、柔らかい感触が無ければ、夢でも見たのだ、と思い、一笑に付す所だろう。
「――?
心配はいらん、あの手の輩に後れは取らない」
そう答えはするが、目先の女は何も答えず、その面差しは、左程も変化が無い様に思える。
様子からすると、心配して手に触れた訳では無さそうだ。
意図して触れて来たのは、間違いない。
それは彼女の云う、某の解法とやらのひとつだろうか?
女の意図がさっぱり伝わった気がせず、表情に戸惑いの色を見せるハザ。
しかし、悩んでも仕方がない、その内自ずと分かるだろうと、彼は問い正したい思いを、断ち切る様に振り向く。
肉も無いのに、どのようにして動いているのか。
ハザの知識では、見た事のない異様な集団、としか形容出来る言葉が見当たらない。
幸いながらも、まだ距離はある――と、彼は考えた。
まず俺が飛び出し、機先を制すれば、幾らかの敵は引き付けられるだろう。
前回の戦いの経験からすると、あれらが同類の敵だとするならば、その数こそ多く見えるが、何よりも奴等のその動きは、非常に単純だ。
振りの速さ、技の巧みさ等を鑑みて、かなりの強敵ではあるが、あの数と言えども、考えて勝てない相手ではない。
先ずは――先制あるのみ。
意を決したのか、彼は鋭い相貌を輝かせ、髑髏の群れの方へと駆け寄った。
群れに駆け込み、柄に手を掛けたと同時に、武器を手にゆっくりと近づいて来る、髑髏の何体かが吹き飛ぶ。
留め具から解き放たれた鋼の刃は、まるで雷の如くに跳ね回る。
唸りを上げて、空気の流れを断つ音がひとつ、響き渡る度に、ひとつの骨格が砕け、へし折れたそれらは、降り注ぐ小雨の様に散乱してゆく。
何よりも、彼等が身に着けているその古い具足は、身の守りを固める役に立っているとは、到底言える物ではない。
髑髏たちが身に着けている、芯まで錆が回った武器や具足は、打てば割れ、斬れば断たれる、古さ故の脆さが、ハザの剣技をより一層、引き立てる役割と化す。
そうしている内にも、がしゃり、と1体頽れ、手足の様に長剣を自在に扱う青年は、次の獲物に狙いを定めた。
腰を落とし、再び彼が長剣を構える。
すると、次の瞬間、古びた鎧と手にした獲物が突然砕け、骸骨の1人が地底に斃れ伏す。
振り抜いた音は、後から空気を鋭く断ち割った。
剣を振り抜いた姿勢で、再び敵をひとつ、討ち果たした彼は、目を細めつつ、思案する。
暗がりで無ければ、こんなものか。
生きていた頃は、どれ程腕が立っていたのかは知らんが、獲物や鎧がこうではな。
纏わり付く羽虫を追い払う位なら、簡単に出来るだろうが、手入れのされた真剣と打ち合えば、瞬く間にこの有様だ。
長剣を振るうだけで、面白い様に当たり、簡単に打ち倒せる。
大した事は無い。
大した事は無い、筈なのだが――。
そこには、拭い難い大きな違和感があった。
先に行く道を、塞ぐように現れた髑髏達は、剣を振るハザに幾ら打たれても、それをまるで相手にしない。
そもそもの戦う意志が無い、としか思えぬ程、簡単に打ち倒せる。
風を断つ様に勢い良く、長剣が駆け抜ける度に、1体、また1体と斃れ、動かなくなってゆく。
だが、どれ程痛烈な強打を浴びせようとも、彼等はハザのを方を向かなかった。
次に狙われた者を守ろうともせず、彼の横を過ぎ去り、只ひたすら歩む。
初めから、そのつもりだったのだろうか?
それが分かってしまえば、実にやり難い事、この上ない。
大きな誤算に気が付いた時は、既に遅かった。
通り抜けた髑髏達は、全ての足取りを、同行者の女の方へと向け、歩を進めている。
漸く、目の前の敵全てを、打ち払ったハザ。
振り返り、骸骨の群れを追おうと、脱兎の如く駆け出す。
だが、残った髑髏達は、背から斬られていても、女へと向けた歩みを、止める事は無かった。
やがて、異様な姿の者達に囲まれ、足が竦んだのか、彼女はその場に立ち尽くす。
心の中で舌打ちをしたハザは、慌てて駆け寄ろうとした。
戦いに慣れていないのか。
いや、女は近づいて来る髑髏達を見ても、顔色を変えず、身動ぎひとつしない。
明らかに狙われている、というのにも拘らず、どういう訳か逃げる素振りを、全く見せないのだ。
慣れていない、と言うには、明らかな違和感が付き纏う。
やがて、1人の骸骨が目の前に立ち、手にした槍の狙いを定める――。
それでも動かなかった――この状態にあっても、女は見せない、避ける素振りすらも。
彼女は変わらず、茫洋とした澄まし顔で、敵をじっと見ているように思えた。
危機が目前に迫る中、何の心積りでそうしているのか、ハザには全く理解出来ない。
「おい! 何してるッ!?
避けろ――」
彼が叫ぼうとした瞬間、骸骨が手にしていた、古びた槍が娘の胸を貫く。
――何故、という思いが、ハザの脳裏を通り過ぎ――。
僅かに肉を貫く音が、耳元を駆け抜けた。
そして女は、穂先で高く抱え上げられ、槍が勢い良く振られる。
ぶうん、と重い物が宙を舞う音。
地に叩き付けるつもり、だったのかもしれないが、古びた槍は途中で折れ砕け、その役目を終えた。
勢いに任せ飛んで行く女の身は、緩やかな弧を描き、点在する岩のひとつに、叩き付けられて漸く止まる。
持たせたランタンが、静かならば、荘厳であったろうその雰囲気に、全く似つかわしくない、派手な音を立て、砕け散った。
やがて、力なく垂れ下がる腕――手にした灯火は、その女の魂の如く消え失せ、ゆっくりと落ちてゆく。
あれではもう、助からない。
ひと目で致命傷なのが、遠目にも分かる。
髑髏達は、ゆっくりと向きを変え、女が叩き付けられた、岩の方へと歩き出す。
更に長剣を振るい、骨を砕いても、彼等の多くはハザを全く相手にせず、彼女の後を追った。
まるで最初から、剣を振るう青年など居なかった、とでも言う様に。
あの時とは全く違う戦局に、大きく戸惑いつつ、目の前から立ち去りつつある、髑髏達の後を、剣を振り翳して彼は追う。
完全に読み違えた――まさか、全ての敵があの女狙いだとは。
正面から躍り込めば、多少は注意が引ける――その筈だと考えていたのだが。
何が悪かったのか、狙い所が完璧なまでに外れ、全てが不首尾に終わった、という思いと共に胸中を、冷たい風が吹き抜けた気がする。
向こうから岩ごと骨肉を打ち、貫き、断ち切ろうとする音が、しばらく続く。
そして、唐突に物音が止み、戦いが終わりを告げた。
ハザが女の所へ追いすがった頃には、髑髏達は全て、糸が切れた様に倒れ伏している。
わざわざ追いかけてまで、手を下した訳ではない。
彼が打ち倒した分は、その内の幾つか。
他の髑髏達は、自らの役目は終わったとばかりに、勝手に頽れ、地に散逸したのだ。
抵抗が皆無の彼女の上に嫌という程、手にした剣や槍、斧を振り下ろし、やがて気が済んだのか、骸骨は自然とばらけて、足元に散乱している。
どうしたというのだろうか、それ以来、立ち上がる事も無ければ、動く事も無い。
散らばる骨を、踏み締める度に、ぺきり、と軽い音が響いた。
古くなった武器や骨を、躊躇無く踏み砕き、血で染まった岩へと辿り着く。
岩を見上げた彼は、思わず息を飲む。
……女は、既に息をしていなかった。
背筋は奇妙な方向へと捻じれ、手足は壊れた人形の様に折れ曲がり、人の形をもはや留めてはおらず、血塗れの長い髪を視線で辿るが、頭は何処にあるのか、皆目見当が付かない。
先程見た筈の、剣が刺さり干乾びた古い死体ですら、ここまで酷くは無かったように思う。
彼等の目的が何であったのか、これを見れば、一目瞭然という物だ。
一応ながらにも、声を掛けてはみたものの、予想通り返事は無く、動かぬ娘の体は、これで生きている方が不思議だ、と言える程に打ち据えられ、遺体の損壊が激しい。
見る限り、自身とは明らかに違う、主義信条での戦い方。
いや、殺し方と言っても良いだろう。
ハザも戦いの末、人を殺める事はあるが、大抵は決着がついた時点で、それ以上の追撃はしないようにしている。
何故なら、無駄に剣を振れば、その分の体力を消耗するし、隠れている敵が、次に疲れ切った自身を狙ってくる、かもしれないからだ。
戦いに勝利し、高揚して調子に乗り、死体を切り刻んでいる間に、背後から討たれた者を幾度となく見た上に、彼自身もその様な好機を逃さず、討って来た身としては、致命傷を与えた者に対し、必要以上に剣を振る習慣は身に付かない様、自身を制している――勿論、必要とあらば、躊躇する事無く急所を貫き、止めを刺す事も忘れてはいないが。
この散らばった髑髏達の戦い方は、執拗なまでに相手を破壊しようと、迫っていた事が判る。
かつて居たというこの地の民は、そこまでしてこの女を、この地の底へと、留めておきたかったのだろうか?
その者達にとって、娘の力は、まごう事無き本物であったのだろう――それらを示す確かな証であった、散らばる武具と具足、そして人の骸骨。
先程までは確かに、動いていた筈の襲撃者達は、何も答えてはくれなかった。
――分からない。
緩やかな風が、ハザの髪をそっと、撫でてゆく。
死人が口を開く事は無い――。
話が聞けなくなってしまった以上、答えを得られる事も無いだろう。
逃げる素振りすら見せなかった女の、不可解な行動と、それに伴う死について、彼は、それ以上の事は分らなかった。
どちらにせよ、この遺体はもう、この地の底で誰にも知られずに、朽ちていくのみ。
多くの謎が残されたまま、何もかもが分からず仕舞いではあったが、これ以上出来る事は無い。
手にした長剣を、背中の留め具へと差し戻す。
やがて大きな溜息を吐くと、ハザは風で乱れた髪を撫でつけ、踵を返すと、ゆっくりと歩き始めた。
【新たなる戦いの予感】