2020年2月29日土曜日

ブログ小説 縁切徹 第二話 ぼるけいの(2)

【ブログ小説】
R.M.E.R. 2nd chapter3
縁切徹

ぼるけいの(2)



――――――――(1)――――――――



軽く対話を挟み、すっかり意気投合した気になった巨漢の彼は、銀の髪の娘を自らの根城へと誘う。
道すがらに話を聞けば聞く程、この娘が自分達と同じく、荒事を探し求めているのが理解できる。
自分達が知る限りの、女という生き物にしては、少々物騒だが――。
見た目からは到底感じる事の出来ない、その勇ましい性格は、今回に限っては好都合だ。
そして、あの奇妙な技。
巨漢の男は、己の勘が冴えている事を祈りつつ、娘の先導を務める。


目抜き通りから外れた、少し寂れた通りに、その店はあった。
「おお、ここが俺の根城だ。
汚い所だが、まあ入ってくれ」
「おい、俺の店だぞ。
嫌なら――」
どうやら、店の持ち主に聴こえていたらしい。
広間の清掃をしていた、店主らしき中年の男が、不機嫌そうに返す。
「うるせェ。
奥のいつもの部屋、借りンぞ。
それと、このお嬢さんへの飯だ、早くしろ」
店主は娘を見て驚き、そして不満そうに口を尖らせたその表情を、あふれんばかりの笑顔へと変える。
かなり横柄な態度で接されたが、それでも、巨漢の彼は特別な客なのか、掃除用具を放ったまま、厨房へと向かう。
巨漢と小柄な娘という、奇妙な組み合わせの二人は、店の更に奥へと足を踏み入れた。

「おう、帰ったぞ。
集まってるかあ?」
「遅えな、やっと帰って来や――。
お、女かぁ?
どういう風の吹き回しだ」
「おう、俺の客で、エルヴンのお嬢さんだ。
褒めても良いが、けなすなよ。
後が怖ええぞ」
「おおっと、へへっ。
すまねえな」
誰に対してすまない、と言ったのか分からなかったが。
背後から、娘の腰に腕を回そうとしていた男の一人が、その手を素早く引っ込めた。

通された部屋の中には、大きな丸い机が一つ。
それを囲む様に、幾つかの椅子が置いてあり、巨漢を除いた男達が五人、腰掛けている。
「男六人の所帯で悪りぃが。
俺達ゃ何時もコレでやっているんでな」
何処でも良いから座って待ってくれと、巨漢に言われ、男達に軽く会釈すると、エルヴンの女は空いている席に、何食わぬ顔で座った。
男達を恐れたり、怯える様な仕草は何一つ無い。
少しはそういう反応がある(と嬉しい)かも、と期待した男達は、肩透かしを食らった気分に陥る。

程なく食事を持ってきた店主が、小鍋の上にかけてある布を取り払う。
器の中に薄茶色に濁った汁、そして中には千切った麦餅が幾つも浸してある。
他にこれを食す為の取り皿であろうか、小さな深皿も幾つか置いてゆく。
「お前等、俺の店で妙な事をやらかすんじゃあないぞ。
娘さん、何かあったら大声を上げて下さいよ。
すぐに警備兵を呼びますからね」
男達ににらみを利かせようと、鋭い視線でねめつけ、その直後に彼は声色を変えて、満面の笑顔で娘に警告を発する。
いきなり警備兵とは行き過ぎな気もするが、先程、巨漢に嫌味を言われた仕返し、という意味もあるのだろう。
娘は全く動じずに、店主の男に微笑を向けた。

―――――――とんでもねえ あっしみてえな流れ者にゃ これで十分でさ

「さあさあ。
マズイ癖にやけに値が張る飯だが、量だけはたっぷりあるんだ。
遠慮なく食ってくれ」
「オイ、俺の店の味が気に入らねぇんなら、明日から別の店で食ってもらって良いんだぞ。
大体だな――」
我が物顔で振舞う巨漢に対し、面と向かって言われた店主が苦情を挟む。
回りの男達は、そら始まったと言わんばかりの面差しで、楽しそうに眺めている。
「うるせェ。
飯を置いたら早く掃除に戻れよ」
巨漢の彼は、苦虫を噛み潰したような様相に戻った店主を押し、部屋から追い出す。
ぱたりと戸を閉めつつ、ぱんぱんと打ち合わせて手を払う彼の背に、仲間からの軽口が飛ぶ。
「やけに食わせたがるなァ。
もしかして、飯に薬でも盛ってんのかあ、ハハハ」
「オイ、俺の客だぜえ。
もしかして、そう言ったのが聴こえなかったのかあ!?」
やっかみのつもりか、誰かが笑いながら巨漢の彼へと声を掛けたが――逆に、射殺さんばかりの視線で返され、茶茶を入れた男は黙り込まされてしまう。
どうやら本気で客として迎えるつもりのようだ。
金の為に(不正を行っていても)強きを助け、(正しく清廉潔白であっても)弱きを挫く彼、いや、男達の一行。
顎髭を蓄えた巨漢がここまで腰を低くし、若いエルヴンの娘を出迎えている。
そのような行いで客を遇する彼を、彼等はついぞ見た事が無い。
これは、何かある、と五人の男達は一様に思った。

一緒に来た娘は、気を悪くした風も無く、涼し気な笑顔で、男達のそのやりとりを眺めつつ、匙を手に取り食事を進める。
その視野は、茫洋と部屋を見渡している様に思えた。
味についてどう思っているのかを、菅笠を目深に被り、唯一見えている口元からは、窺い知る事は出来ない。
匙を進める速度に鈍さや陰りが無い事から、不味いとは思ってはいないのだろう。
荒くれ男達が集う酒場にあっても、その佇まいには変わりが無い事を思わせる、何とも不思議な娘だ。
小鍋から深皿に麦餅の浮いた汁を掬い取り、深皿から小さな匙で口まで運ぶ。
麦餅を食べ終え匙を置くと、小さな深皿を両手で支え、愛らしい小さな口元でそれを傾ける。
その度に白い喉がこくりと動き、その様子を横目でこっそりと伺う男達は、何度も生唾を飲んだ。
「この女、任せて大丈夫なのかあ?」
小鍋から直接、むしゃぶり尽くすかのように食べている、自分達等とは明らかに違う、荒事など全く縁が無さそうな食事の作法に、不安を覚えたのか、丸顔の男が小声で巨漢に伺うと、彼はがはがはと笑いながらその背を叩く。
そしてこっそり微笑みながら、同じく小声で返す。
「安心しろぃ。
このお嬢さんはな、大アタリだぜえ」



彼女の食事が終え、一同も落ち着きを取り戻した。
ごほんと一つ、恭しく咳払いをすると、顎髭を蓄えた巨漢が話を始める。
「さぁて、綺麗どころも居る事だし。
――普通ならここいらで、挨拶と洒落込みてえ所だがな。
ちょっとばかり立て込んだ話だ、まあ、名前なんて別に良いだろう。
明日にゃ、俺達もどうなってるか分からない間柄だしなあ。
俺達ゃ、名さえ聞かれなきゃ、お嬢さんの名も聞かずに済む。
お嬢さんも、お前達も、それでいいか?」
それを聞いて、エルヴンの女も、他の男達と同じく頷く。
金のやりとりさえしっかりして貰えれば、名前等何でも良い。
これから話し合う事は、顔見知りや友達同士では関われない内容。
お互い名も知らぬ間柄の方が、何かと好都合――。
つまりは、そういう事なのだ。
おくびにも出さずに頷いた銀の髪の娘を見て、顎髭をしごきながら巨漢は言う。

「じゃあ、話すぞ。
とは言っても、勿体ぶる内容じゃねえがな。
大した話じゃねえから、がっかりしねえでくれ。

今から少し前にな、男がこの町に来たんだ。
奴は顔がちっとばかし良いからって、色街を瞬く間に牛耳っちまってなあ。
そのまま一党一家を興して、とんでもねえ値段を、吹っ掛けて来やがる様になったんだ。
まあ女共にゃあ縁の無い、俺達の楽しみを奪っちまった訳だよ。
そこで俺達は反発した。
反発した気になっちゃあいたんだが、なあ。
しかし奴等は女共に貢がせた金もあるし、この町で営む一党一家にしちゃ人手も多い。
追い出したくても、なかなか人手が集められなくてな、手をこまねいていたんだ。
こいつを、どうにかしたい、ってぇ訳だ。

俺達の界隈じゃあ、良くある話さ。
どう見ても男の事情、お嬢さんに頼む筋じゃあねえのは、判っちゃいるんだがな。
他にもう伝手が無え。
俺が見立てた、お嬢さんの腕を見込んでの話だ。
どうか、この気持ち汲んでくれねえか」

顎髭を蓄えた巨漢が語り終えると、ひっそりと愛想笑いを浮かべて、彼女は言った。
散りゆく木の葉を舞い上げる、風のような声が、男達を包み込む。

―――――――成程 そいつぁどうやら あっし向きの仕事の様で へい
―――――申しその色男が お邪魔でございやしたら あっしが斬って差し上げやしょう

「おお、やってくれるか!」
喜ぶ巨漢に、にこやかな笑顔を崩さず、続けて娘は問う。

―――――――ところで お前様方 纏まった銭はお持ちで?

矢張り、と言うか。
厄介な仕事を頼むのだから当然だが、彼女の言葉が含む意味は、仕事料を要求しているのだ。
歓待する男達の笑顔の裏で、緊張が走る。



――――――――(2)――――――――



来た。
来た来た、来やがったぜえ。
あんな事が出来るんだ、それに見た目と違って、酒場の空気に慣れていやがる、危険な仕事を無償で受けている筈が無え。
顎髭を蓄えた巨漢は、自身の読みが正しかった事を確認できた気がした。
「それはいったい……。
い、幾らなんだ?」
生唾を飲み、緊張した面持ちで、巨漢が低く唸る。
エルヴンの女は変わらず、涼し気な表情を浮かべて言う。

―――――――そうですねえ 男衆の取巻き共も含めやして
―――――あっしらの銭で 締めて 金 捌拾両程頂きやしょうか
―――手付として 先ず半金程頂きやすが 宜しゅうございやすかい?

「あの、すみません。
エルヴン貨は持ってないので。
出来れば、帝国貨でお願いしたいんですが」
小柄で垂れ目の男がすかさず答える。
一行は、この男に交渉を仕切らせていた。

―――――――其れでございやしたら 帝国金貨 肆佰程頂きやしょうか

「き、、きき金貨で、よ、よんひゃくゥ?
その相場じゃ高過ぎる!」
思わす驚き、声を荒げる丸顔の男。
「おい、静かにしねえか」
顎髭を蓄えた巨漢は目を細めて、仲間を叱責する。
エルヴンの女は相場を知っていて、話を持ってきた一行に、恐らく交渉を迫っているのだ。
この場合――うろたえる所を見せる事は、依頼料の取り決めに大きな不利を強いられる事にもなりかねない。
帝国金貨とエルヴン金貨の換金する際の相場は――平時には三本、高騰している時でも四本程。
五本は、随分と吹っ掛けた価格である事は確かだろう。
娘の腹積もりとしては、断られても良し、値切られても良し、そのまま払えば尚良し、といった所か。
恐らく何か注文が増える度に、金額が跳ね上がっていくに違いない。

「そうさなァ、オイ」
顎髭をしごきつつ、小声で巨漢が目配せをする。
すると、ぐるりと回って二つ席隣に座った、小柄で垂れ目の男が話し始めた。
「ええと、おっしゃってる相場はちょっと高いので……。
二百五十本では如何でしょうか?」

―――――――のこのこ出掛けた挙句 聞いた仕事と話が違げぇや ってえ事も
―――――この界隈じゃあ ちぃっとも 珍しくねえ話でございやしてねぇ
―――おいそれと 安い銭じゃあ受けられねえんでさ

そして――、金で参佰伍拾は欲しいと切り出してくる。
娘は吹っ掛けた自覚があるのか、いきなり削って来た。
この様子なら三百本前後、その辺りまでは落とせるかもしれんなあ。
話が高い買い物か安い買い物か、ならそりゃあ安い方が良いに決まってる。
聞いた話を難しそうに考えるふりをして腕を組み、とんとんと指で僅かな音を鳴らす。
ちらりと視線を交わせた小柄で垂れ目の男が、にこやかに銀の髪の娘に持ち掛けた。
「おお、値引き感謝します。
仰る事もごもっとも、何せ私達には内容を示せる物が無いので。
ええとですね、それでも、三百五十本は相場よりまだだいぶ高い。
二百八十本では、如何でしょうか」

―――――――あっしみてえな小娘でも 一応乍ら この身を張っておりやして
―――――其処に赴かせたけりゃ 金 参佰弐拾伍程は 頂きてえ ってもんです
―――それなりの 用意ってもんが 要りやすんでねえ

愛想笑いを崩さず、エルヴンの女の顔色は、先程から全く変わらない。
この女、何考えてるのかさっぱり掴めねえ。
だいぶ削っては来たが――、もう少しは下げられそうだな?
しかあし、それなりの用意ねえ。
何が要るのか確かめてぇが、もしそれを聴いちまうと、あるかないか分からんモノに、金を払わされるかもしれん。
この女にとって必要だが、俺達には不必要なものを余計に買わされる、って事もあるかもだ。
余計な事は突っ込まないに限るぜ、と腹を据えた巨漢は顎髭をしごくのを止め、耳垢を小指でほじくり出すふりをして、小男に合図する。
「ふーむ。
私達も、そんなに裕福ではありませんし。
二百九十本辺りで、手を打って下さると助かるのですが……」
垂れ目の男は、さも困った風に頭を掻き、顔を顰めて返事を返す。

―――――――とは仰られやすがねぇ これがあっしの家業で御座いやすから
―――――申し訳ねえんですが 金 参佰弐拾 それ以下じゃぁ受けられねえ

急に削り方が渋くなった。
こちらも相場よりだいぶ高い額だが――無理をすれば払えない訳ではない。
それにしても、家業、と来たか。
見た目は若くて可愛らしい娘なにのよォ、性根の方は、やっぱり俺達と同じ冒険者だったんだな。
物騒なこのご時世に、女だてらの一人旅だ、一癖や二癖あっても不思議じゃねえ。
巧くしてやられている感はあるが、もう一押しして様子見でも構わねぇだろう。
そう思いつつも、顎髭を蓄えた巨漢が大きな欠伸を見せ付けつつ、小柄な男に指示を出す。
彼は頭を掻き、暫く唸った後、絞り出すように告げる。
「あ、あの、三百本ではどうでしょう?
それ位なら、何とか用立て致しますので」
指示通りのわざと弱気な姿勢。
悩んだ末に根負けし、仕方ないといった風体が、これ以上なく上手く出ていた。
さあて――、このエルヴンの女はどう出るか。
巨漢は所在なげに鼻毛を抜くふりをして、内心ほくそ笑む。

―――――――其れですと 申し訳ねえ 前金で頂きてえんでございやすが へい

条件が前金になったが、銀の髪の娘は更に二十本減らす。
そうれ見ろ、これ以上は負けられないと言いつつ、その値で受けれるって事ぁ、やっぱり吹っ掛けて来てたんじゃねえか、と話を聞きながら顎髭を蓄えた巨漢は思った。
誘われるがまま個室に飛び込み、荒くれ男六人の中でも物怖じせず、しれっと相場より増額してくる辺り、娘の肝は相当座っているように思える。
実を言うならば、もう少し値切りたかったのだが。
小柄で垂れ目の男と話している最中も、彼女の視線はずっと、こっちの方を向いて外れる事が無い。
どうやら己の指図を、察している様子だ。
それに、前金を切り出してきた、という事は、これ以上下げると、交渉を打ち切り立ち去る心積り、と踏んだ方が良いだろう。
まさかとは思うが、全額前払いが目当てだったのかもしれん。
だとすると、相場よりやや高ぇ分俺等は不利、価格交渉は負けと言って良いが、即、金を払えば仕事を引き受けらざるを得ない分、払ってしまいさえすれば、俺達が有利って事か。
……成程成程、微妙な所に立たされちまったようだな。

果たして、引けぬ処迄誘い込まれたのは、何方の方であったのだろう――。
決断に迷ったらしい交渉役の、小柄で垂れ目の男が、ちらちらとこちらを見ている。
一行が出せる提案で、これ以上この女を引き留められそうな、魅力的な要素を持つものは、無いに等しい。
ここいらが潮時なのだろう、巨漢は顎髭をしごきつつ、破顔して言った。
「おう、それで良いぜえ!」



皆が持ち寄った筒や袋が次々に傾けられ、中からじゃらじゃらと美しく輝く細い棒が吐き出される。
精巧に創られ、赫々たる輝きを放つそれは、様々な眩い色を反しながら、机の上に折り重なってゆく。
小高く積み上げられた帝国金貨が、エルヴンの女の前に押し出された。
「よし、じゃあ頼んだぜえ!」
娘が手早く数え終えると、巨漢の大声におお、と一行が意気込み、お願いします、頼む、との声を、彼女が片手を上げて遮ってしまう。
何かあったのか、と静かになる男達――。
それを尻目に、積み上げられた金を受け取らず、カヤはしみじみと語った。

―――――――吹っ掛けたあっしが 云えた義理じゃございやせんが
―――――この金で 遊女でもお漁りになった方が 宜しいんじゃねえんですかい?

「えっ?」
「あっ!」
「う、くっ!?」
積み上げられた目の前の金を見て、思い出したかのように唸る男達。
思えば、確かにその通りだ。
この銀の髪の娘は金を受け取る前に、依頼して悔いが無いのかどうか。
それを問うているのだろう。
吹っ掛けていた事が明らかな額に、まだ受け取られていない積まれた金、それは未だ依頼が成立していない事を示す。
目の前に指し示された未来の選択。
こんな事に金を払わなくても、拠点を別の町に移す等の、何か別の解決策は無いのだろうか。
もし、戸惑いや躊躇が大きく勝ってしまったり、たった一言、金が惜しいと言えば――、このエルヴンの女はうず高く積まれた帝国金貨をそのままに、何事も無かったように黙って立ち去ってくれるに違いない。
彼女は神妙な面差しで、ただ静かに、彼等の返答を待っている。

しかし、沈痛な表情を湛えて固まった男達一行には、引けぬ理由があった。



――――――――(3)――――――――



あぶれ者の男達一行、その涙ながらに語られた決意の程を聞くと、目を閉じたエルヴンの女が頷く。
そして、眼下に積み上げられた、品のある艶やかな棒を、がさがさと無造作に、袋の中へと放り込んだ。

―――――――縁切り料 確と頂戴致しやしたぜ
―――――お前様方と 件の色男の縁 断ち斬って参ぇりやしょう

席を立つエルヴンの女に、顎髭を蓄えた巨漢が慌てて声を掛ける。
「おお、おい、酒は?
手打ちに酒でなくても、何か飲んで行けよ」

―――――――恐れ入りやすが 陽加減が丁度良いんで これから行って参ぇりやす
―――――遅くても 陽が暮れっちまう前に 片が付くと思いやすぜ
―――後の事は あっしに任せておくんなせえ

「えっ!?
さ、早速かあ?
い、いや、仕事は早えェ方が良いけどよ」

そこで話を終え、口元がさも自信ありげな笑みを形作ると、菅笠を片手で上げて目を合わせ、彼女はふらりと出て行った。
「……オイ」
巨漢が言うと、丸顔の男が頷き、直ぐに席を立つ。
疑う訳ではないが、仕事をこなすかどうか、確かめても構わないだろう。
騒ぎになれば、何かあった位は察する事が出来る筈だ。
少なくとも、奴らの溜まり場に向かうかどうか、だけでも確かめねばならない。



丸顔の彼が、エルヴンの女を追ってから暫くして。
ふらふら歩く娘が、もうすぐ奴等の拠点に差し掛かろうという時。
カヤの姿が、突然消えた。
「あっ?」
小声で驚く丸顔の男。
尾行が察知されていたのだろうか。
か、かか金だけ持って逃げられちまう!
ひやりとした感覚が背筋を流れ、慌てて娘の居た所まで、小走りで駆け寄る。
すると、ぐい、と何かに腕を引かれた。
己の武骨な手を小さく、暖かく、柔らかい感触が包み込む。
久々に感じる、その柔らかく心地よい感触に、彼の頭はぼんやりと熱を帯び始めている。

―――――――申し お前様 少々お目立ちでごぜぇやすよ

追っていた娘の声が聞こえた。
手は先程から、暖かい感触に包まれ、その感覚が思考を奪う。
「うぉっ」
その声に、遅れてくぐもった声が喉から吐き出される。
目立つ?
目立つって、何のことだ?
突然の出来事に、浮ついたような気分で、考え込む丸顔の彼。
そこへ、もう一度銀の髪の娘の、小さな囁く声が届く。

―――――――ほうら 御覧なせえ

幾人かの足音が近づいてくる。
「畜生――、見失った。
丸顔のアイツ、何処に行きやがった!
この辺で消えたんだが」
「くそっ、今度見かけたら只じゃおかねえぞ」
奴等は、彼の面が割れている様な反応を見せていたのだが、しかし、彼は顔が青ざめる事も無く、小さな温もりへと意識を集中させている様であった。
「あっちかも知れん、追うぞ!」
丸顔の彼を追っていた者達は、道の向こうへと駆け去ってゆく。
その様子を感じ、未だ状況が理解出来ない、朧げになった頭で、ぼんやりと物思いに耽る。
実は、危ない所だったのか?
やがて、駆ける音が遠く聞こえなくなると、暖かい娘の掌が男の手を放し、囁いた。

―――――――これから あすこへ行って参ぇりやすんで へい
―――――あっしが出てきて 静かになったら お前様はもうお戻りなせえ

「あ、ああ」
茫洋とした面持ちで、丸顔の男が生返事を返す。
感触が薄れるにつれ段々と、意識がはっきりとしてきた気がする。
気付くと、何時の間にか建物の間の小道、その暗がりへと引き込まれていたようだ。
小さな温もりが離れた後、手に触れる微かに揺れ動く風が、妙に肌寒いが。
掌には、しっとりとした娘の手の感触が、尾を引く様に残っていた。

ふと見ると、その後ろ姿が、憎き奴等の巣へと向かう。
あそこは店の形式を取っているから、先程の己の様に、怪しまれていなければ、誰でも入れるはずなのだが。
どうする心積りなのかと物陰から見ていると、何もせず、あっさりと戸口を潜ってしまった。
手袋を外しておくべきだったと、ささやかな後悔が寒風と共に身に染み入り、まだ温かい感触が残る手を、まるで慈しむ様にさすりながら、彼は呟く。
「あいつ、本当に入っちまいやがったよ」

暫くすると、俄か店への出入りが多くなる。
何かが始まったのだろう。
物陰に隠れたまま丸顔の男は、その様子を固唾を飲んで見守った。
客や、使用人らしき者、多くの女が店を出、店勤めの荒くれが、獲物を手に何人も入ってゆく。
やがて、刀身を抜き身のまま出て来た、エルヴンの女。
酒場の時とは違い、妙に甲高い声で笑うと、そのまま歩いて行ってしまった。
道行く者達の、訝しみと好奇の視線が、立ち去る娘のその背に突き刺さる。

一体何があったんだ。
丸顔の男は、店の中で何があったのか興味が湧く。
なあに、この騒ぎの後だ、バレやしねえ。
確かめたくなった彼は、素知らぬ顔つきで構うものかと、何の気無しに店に来た客のふりをして、入り口を潜る。



しんと静まり返っていると思われた店の中は、静かな泣き声で満たされていた。
その場に座り込んだ女達が、しくしくと密かに涙を流す。
丸顔の男、彼のすぐ足元には、使用人らしき男が倒れている。
見ればこれはどうやら、目を回しているだけのようだ。
運の良い奴なのかもしれない、放っておけばじきに目を覚ますだろう。

そして、その向こうに目を向けると、武器を手にした者達が、大勢倒れている。
程度に差はあれど獲物に具足と、しっかり身に着けているであろう荒くれ者、そのどれもが、息をしていないのが一目で分かった。
「ひっ?」
丸顔の男は尻餅をつく。
目だけを動かし周りを見ると、破損した店の机や壁、飾りが目端に写る。
何をしたら、あんな所に傷が入るのだろうか。
彼は、銀の髪の娘がどういう風に立ち回ったのか、想像する事が出来ず、暫し考えこんでしまう。
獲物の長さでは決して届かないであろう、天井の装飾に、大きな切れ目が刻まれ、弓矢でも無ければ届かないと思われる高所にも、刀傷と思しき跡が残されていた。
そして、床に着いた手に、ぬるりとした感触。
見なくても分かる、触れ慣れた感触ではあったが。
脇下に目を忍ばせると、赤黒い液体が、手に纏わり付いていた。
床には夥しい量の鮮血が、丸顔の彼の周りで波紋を揺り起こしている。
「うわ、うわ、うわわわああ!」
彼は尻餅をついた姿勢で、前方に築かれた屍を指差し、大きな声を絞り出す。
確かに、信じられない物を目の当たりにした驚きもあった。
だが、今はあの女、やりやがった、という感情の振れ幅の方が大きい。

やりやがった、あの女、やりやがった。
あの女、たった独りで、ここまでやりやがった!
巨漢の言った通り、あの女はアタリだ。
それも、かなり大きな。

突如として立ち上がり、踵を返すと丸顔の男が、入口へ向けて駆けだす。
戸口に体を当て、勢いで転び出る。
「うっ、うゎあああっ!
ひいいっ!」
わあわあと、周囲の視線を集めるような大声を上げ、駆けてゆく。
かなり頭に血が上っているのを感じているのだが――極度の興奮状態を自覚しているにも関わらず、驚く程頭の回転が早く、体も上手く動いているのを感じる。
半分は演技だが、もう半分は本気だ。
これなら店に入った客が惨状を見て、騒ぎながら出て行ったように見えるだろう。
多少の誤魔化しは効いている筈。
これだけの事が出来るのだ、あの娘に頼んだ仕事も、きっと上手くいく。
全部綺麗さっぱり、後腐れも無いように、片付けてくれるに違いない。
それよりも、此処に留まる必要がもうない――一刻も早く離れ、無関係を装う必要があった。

やりやがった。
やりやがった。
やりやがった。
やりやがった。
あの女がやりやがったァ。

丸顔の男は、尻と足、それと手に着いた血糊をそのままに、仲間の待つ酒場へと一目散に駆け戻る。
道行く者に何度もぶつかり、奇異な視線を一身に浴びる彼の脳裏を、やりやがったという単語が埋め尽くす。
もうこそこそする必要なんて無え、バレても構うもんか、あそこはもう終わりだ。
あの腕には大枚を叩いた価値がある!
見た、俺は確かにこの目で見たぞ!
俺達が勝てる!生き残れる!他所に移らずに済む!
やりやがった、あの女が、やりやがった――。
それを、一刻も早く仲間へ伝えねば。
縺れる足で何度もつんのめり、転びつつも必死に駆け、仲間の下へと急いだ。
彼の胸中には様々な思いが交錯し、仲間に何をどの順番で伝えるか、分からなくなる程に高揚している事は間違いない。
落ち着くまでは、もう暫くはかかる事だろう。