2020年3月5日木曜日

ブログ小説 縁切徹 第二話 ぼるけいの(3)

【ブログ小説】
R.M.E.R. 2nd chapter3
縁切徹

ぼるけいの(3)



――――――――(1)――――――――



妙な女が突然やって来て、刃物を振り回しているとの報せを受け、用心棒達は店の奥から入口へと急ぐ。
この町で歯向かう輩も少なくなり、閑職に回されていた所であった。
拠点が荒らされるという事は、良くは無い事だが。
とんでもない奴が現れたぞ、と口々に言いながらも、丁度良い暇潰しが出来たと、内心彼等は喜んでいる。
彼等が入り口に着くと話の通り、女が刃を手に、狼藉を働いた形跡が一目にも知れた。
驚いた客が早足に店を出、店番が呆けたように立ち尽くす。

昨日、顔は見たが名を知らぬ、先に向かった用心棒幾人かが、やや広めの玄関口に鮮血を溢れさせ、打ち斃されている。
土間の地に倒れ伏す者の下から流れ出る、赤黒いものが、じわりじわりとその範囲を広げていた。
あんなに血を流してしまっては、後で店の者の掃除が大変だろう。
もしかすれば、片付けを手伝わされるのは自分達かもしれない。
どうせ死ぬなら、迷惑を掛けない場所で、死んで欲しいものだと、彼等はうんざりした面持ちになる。
彼等の仲間意識は、所詮その程度のものだ。
斃れた者を一瞥すると、一番大きく目立つ男が、用心棒達を掻き分けて進む。

女相手に不甲斐ない奴等だ、と言わんばかりに、金棒を携えた力自慢の大男が、銀の髪の娘の前に立ち塞がる。
ここは俺に任せておけと、前に進み、名乗りを上げようとして、彼ははたと立ち止まった。
見れば、掌を上に、胸の高さに掲げた銀の髪の娘の左手、その指先が、ちろちろと前後に動く。
笠を目深に被り、その様相は伺い知る事は出来なかったが、右手の刃を下ろしたその様はまるで、先に打って来い、と云わんばかりの態度である。
この家業に就いて以来、男はその恵まれた体躯と怪力を武器に、全くの負け知らずであった。
俺を誰だと思っているんだ、この女は!?
力自慢の彼は、女のその不遜な態度に激昂し、即座に獲物を振るう。

こんな小娘、一撃で勝負を付けてやる。
「娘、覚悟しろ!
うりゃあああぁぁぁぁ!」
己の腕の一部の様に扱える金棒を、頭上で勢い良く回した後に意気込んで腰を落とし、小娘の持つ刃目掛けて振り抜く。

大して姿勢を変えもせず、娘は右手を少し動かしたように見えた。
だが、もう――遅い。
幾人もの敵を討ったこの鉄棒、そう簡単に受けられはせんぞ!
「きゃあっ!?」
金棒と刃がかちりと触れ合うや否や、銀の髪の娘の手から刀が弾け飛ぶ。
それはくるくると回り、白い壁へと突き刺さった。
勢い余った女は、よろめいて地に伏せると同時に、はらりと笠が外れ、彼女のその美しい横顔が露わになり、力自慢の彼は、黙って倒れた娘の下へと歩む。
「あ……、あ……」
足を挫いたのか、近づく彼に慌て、足首と交互に見比べると、娘は顔を青くする。
直ぐ傍らにて屈み込む大男に、表情を固くし、ぎゅっと目を閉じ――。
途端、ふわりと体が浮いた、気がした。
恐る恐る目を開くと、男に抱きかかえられ、運ばれている己の姿を感じ、更に慌てる。
「娘、足が痛むのか?
何故このような事をしたかは知らんが、俺と勝負した事で、実力は知れただろう。
今、手当をしてやるから、それが終えたらもう帰るが良い」
酷い事をされぬと悟った娘は、安堵の視線を浮かべ、大人しくなった。
そして、彼女は彼の腕の中で、はにかみながら問う。
「あ、あの。
もし宜しければ、お名前を……」
耳元で囁くような熱い吐息、そして熱に浮かされたような潤んだ瞳。
心なしか、その頬には、薄く朱が差しているように見えた。
娘の言葉に屈託なく笑う、力自慢の大男は、漸く名乗りを上げる――?



……尻餅をついた姿勢で、男は我に返った。
一体何が起こったのだろうか。
先程から娘は微動だにしていないようにも思える。
金棒はすぐ脇に転がり、男の両腕は深い痺れを感じていた。
いつ手放したというのだ、娘が構えた刃に確かに当たった、いや、当てた筈。
敵がへたり込み、追撃の好機だというのに、不思議と女は何もしてこない。
取るに足らぬと油断しているのか――いや、恐らくは、彼が立ち上がるのを待っているのだろう。
力自慢の彼はやおら立ち上がると、痺れる腕を何度も擦りつつ、地に転がり、手から離れた金棒を持ち上げた。
向き合う大男のその瞳から、闘志が失せていない事を確かめた銀の髪の娘。
再び、胸の高さまで上げられた左手、その人差し指が前後に動く。
意味は先程と同じく、受け切ってやるから、先にかかってこいという意思表示だろう。
先程と変わらぬ、威風堂々としたエルヴンの女の姿勢に、力自慢の大男は激昂した。

こんな小娘、今度こそ一撃で吹き飛ばしてやる。
「小娘、覚悟しろォ!
どりゃあああぁぁぁぁ!」
微かに残る腕の痺れを物ともせず、ずしりと重い金棒を、頭上で勢い良く回した後に、意気込んで腰を落とし、女の脇腹目掛けて振り抜いた。

それを追うように銀の髪の娘は向きを変え、手元を動かす。
刃で受けるつもりだろうが、もう遅い。
そもそもそんな細い物で、渾身の力で振り抜く俺の金棒が受け切れるものかッ!
瞬く間も無く、女の胴は拉げるように曲がる。
そして、苦痛の呻きを上げる事も無く吹き飛び、転がり、壁へと激突する。
大きな揺れが収まった後、女は壊れた人形の様に手足を放り出し、倒れていた。
おお、と客や店番、そして遊女たちが感嘆の溜息を漏らす。
幾人も用心棒を斃した敵を、一撃の元に屠り去る、その思わず見惚れる程の腕前に、小さく手を打つ音が始まり、やがてそれは大きな拍手のうねりとなって、力自慢の大男を包み込んでゆく。
これで勝負あったな。
美人のようだったから、少々勿体ない事をしてしまった気がするが、俺を怒らせたんだ、これぐらいは――?



……再び、尻餅をついた姿勢で、男は我に返った。
まただ、一体何が起こったのだろうか。
先程から娘は微動だにしていないようにも思える。
只、彼女は軽く刃を動かし、唸りを上げて迫り来る金棒へと、刃を向けただけであった。
それなのに、腕にはまるで巨大な壁を叩いたような感触が伝わり。
軽く、僅かに鉄棒と刃が触れ合う音を感じそして、その直後。
弾き返された様に、金棒は振り抜く方向と逆に吹き飛び、がらんと大きな音を立てて地に転がった。
そして捩じ切れんばかりに、男の腕は逆へ廻り、振り上げた位置へと戻り。
更に、その向こうへと勢い良く腕が運ばれ、ぐるりと一周廻って姿勢を崩した男は踏鞴を踏み、先程と同じく尻餅をつく。

大男は己の身に起き、目の当たりにした事を、未だ信じられずにいた。
だが、大男の目にした現実は、先程の想像と全く違っており、大きく腫れあがった腕は、痛みと疲労で髪の毛一筋程も動かす事が出来ず。
腕が痺れて、もう動かせない。
否応なくその事実が、じっとりと彼の意識を現実へと向けさせる。
それを察したエルヴンの女が、ゆっくりと近づいてきた。
恐らくは、とどめを刺す気、なのだろう――恐ろしい想像に、大男の背筋が凍り付く。
俺が――まさかここで?
夢を見ているかのような現実に、力自慢の大男は藻掻いた。
ちらり、と横手を見ると、愛用の獲物が、手に取られるのを今か今かと、待ち受けている様にも見える。
頼みの金棒は、すぐ傍に転がっているというのに。
ち、畜生、動け、動け、動けッ、お願いだ、動いてくれよォ!
痺れが取れず、彼は尻餅をついた姿勢のまま、身動き一つ取れなかった。
眼前に迫る死の恐怖に恐れ戦き、顔が強張り血の気が失せてゆくのが分かる。
銀の髪の娘は、黙ってへたり込んだ力自慢の男の下へと歩む。
「あ……、あ……」
喉の奥から絞り出される、戸惑いの声を上げていた事に、彼は気が付いたかどうか。
逃げようと立ち上がろうにも、足が竦んで上手く動かす事が出来ない。
そして、鈍く煌めく鋼が、力自慢の彼へと向けられ。
何が起きたのか分からない、何故こんな事になったのかも分からない、と言った風貌を崩せず、目尻に涙を浮かべた男は念じる。
こんなの、俺が思ってた成り行きとちがぅょぉ――。

ゆらり。
と、音も無く静かに、揺らめく切っ先が視界に入り、それが力自慢の大男、彼の最後の記憶となった。
無情にも、命の灯火が完全に消え失せた男の眉間から、刃を引き抜くエルヴンの女。
大きな体が頽れ、どう、と地を揺らす。
しいん、と店内が静まり返っていた。

―――――――試し斬りにしても ちょぃと物足りねえ腕前でございやしたねえ

銀の髪の娘は踵を返し、再三、胸の高さまで上げられた左手、その人差し指が前後に動く。
次の相手に、すぐにでも打って来いという意志を込めて。
それは、新たに集まって来た、店の用心棒達に向けられている。
緊迫した形相でエルヴンの女を囲む彼等に対し、彼女のその口元は、楽しそうな笑みの形を浮かべていたのだった。



――――――――(2)――――――――



店の守りを任せていた筈の用心棒が斬られ、一家は大騒ぎとなる。
聞けば雇った者達が全て斃された、という。
その時、拠点の防備を任されていた男は、大急ぎで拠点の店へと駆け戻り、検分を済ませた所だ。
ここ数日、何も起きず暇が続いたので、退屈凌ぎとばかりに妾の女の所へと、出向いていた矢先の事である。
自身の居ぬ間に、何て事が起きてしまったのだろうか。
大失態を演じた彼は、一家で責任を追及される事になるに違いない。
実に由々しき事態だ――男がここまで上り詰めて来た年月と苦労を思い、顔の膚色を悪くする。

己の事は棚に上げ、敵を取り逃がした手下を大喝し、殴りつけてその怒りを示す。
出る時とは明らかに違う惨状を目の当たりにし、騒ぐ手下達を大声で喚き立て、まごつく者に激を飛ばし。
目標も計画も無く、兎に角探せ、何としてでも探し出せ、と。
一人残らず、その場から追い出すように手下共を走らせた後、苦虫を噛み潰したような血相で天を仰いだ時――女の声が、耳朶を通り抜けた。

―――――――申し 其処の御方様 あっしは何処を探しゃぁ宜しいので?

夕暮れ時の木陰を戦ぐ、静かな風を思わせる声。
何時の間に、そこに居たのだろうか――。
増援に来てくれた、誰かの手下らしい女が、男の傍に控えていた。
「うっ?
あ、ああ、助かる。
お前は向こうを探せ!」
男は矢継ぎ早に指示を出す。
こんな奴居たか?――と一瞬考えたが、恐らく拠点の惨事を見兼ねた同僚か手下が、自分の下へと派遣したのだろう、と思う。
人手が足りないのだ、時間も惜しい。
今は、一人でも多い方が良いに決まっている。
男の脳裏は、一家内での己の立場を守る為、身の保身に走る事で精一杯であった。

―――――――へい 承知いたしやした あすこの方は あっしにお任せくだせえ

頼もしく、威勢の良い返事と共に、目深に菅笠を被る銀の髪の娘が、男の指差した向こうへと駆けてゆく。
なかなかに良い動きだ、誰が派遣してくれたかは知らないが、あれは優秀そうだな。
すぐにでも、期待以上のいい結果を出す奴に違いない。
後で、派遣してくれた奴を探して、礼位は伝える事にしようか。
これで先ずは一安心、さあ次は手下の誰に、責を負わせるかひと思案せねばと、思ってから間を置かずに、向こうから険しい形相で駆けて来た、同僚の一人が男を叱責した。
「お、おい。
お前何やってるんだ!?
俺達が探していたのは、あの女じゃないのかよ?」
「……えっ?」
一泊も二泊も遅れ、その言葉に驚き思わず目線で追う、女の後ろ姿。
手下共から何度も取沙汰されていた、朱塗りの鞘がその腰で揺れている。
追う者の人相を知らぬ男を、謀る心積りであったのか。
何故かは不明だが追わねばならぬ者が、知らぬ間にひょっこりと、紛れ込んでいたのだ。
振り返り、その後姿を見て男は、しまった、という形相へと変化してゆく。

あれか、あの女か――確かに、調べに聞いた通りの姿をしている。
何故気付けなかったのだろう?
声を掛けられたあの時、もっと良く見ていれば――。
今更ながらにそんな事を思っている合間にも、その後姿が、どんどんと小さくなる。
そして、あろう事か、手下の居ない方向を指し示してしまった――このままでは、誰の目にも明らかな己の失態で、店を襲撃した女に逃げられてしまう、という焦燥に駆られ思わず叫ぶ。
「お、おい待てえ!
おーい!
皆、あっちだ、あの女だ!
早く追いかけろ!」
血相を変えつつ、身勝手な指図を叫ぶ男の声を背に、彼女が駆け去りながら、後ろを確かめるように首を振り向ける。
その表情は、何処か愉し気であった。



追手はすぐに編成され、朱塗り鞘を腰に差すという、エルヴンの女を探す。
女は左程時間が掛からず、直ぐに見付かったとの報せが入った。
方々を探し回り、諦めかけて帰ってきたちょうどその時。
すぐ近くの目抜き通りに、追っている容姿とそっくりの女が居るのを見付けた――それはまるで隠れる気が無い、としか思えぬ程堂々と、道の真ん中で追手達の来る方を眺めている。
それは、追手達が到着するのを、今か今かと待ち構えている様でもあった。

そして追うと姿を消し、他所見をしている追手に、他人のふりをしてこっそりと近づき、隙を見て勢い良くぶつかり去る。
姿を見たと慌てて駆けて追う者に、ひょっこりと脇道から突然現れ、足を引っかけて転ばせ。
子供や町人に幾許かの金を渡し、追手達に腐った食べ物や木の実を投げつけさせたり等。
この女は一体何がしたいのか、町をぐるぐると回りながら、追手に嫌がらせの様な悪戯を繰り返す。
ある者は、呼ばれて振り返ると、洗った程度では落ちぬ塗料で、顔に落書きを書かれ。
ある者は、奪われた財布の中身を、あちこちにばら撒かれ。
ある者は、親切に探すのを手伝ってくれ、気が付けば居なくなっていたと言い。
ある者は、知らぬ間に足を縄で木に繋がれ、女を追おうとして盛大に蹴躓き。
ある者は、臭気ぷんぷんたる、どぶ川に蹴り落された挙句、含み笑いを残して去られた。

……やがて、娘は一通り町中を巡り終えると、寂れた通りより郊外へと向かう。
怒り心頭の追手達が、血相を変えつつも、悪夢のような悪戯に警戒し、後に続く。
エルヴンの女は、山に向かう街道に沿って歩いているようだ。
あの高い山に逃げ込まれでもしたら、追うのがもっと大変になるに違いない。
幸いながらあの山まではまだ距離がある。
是が非ともこの街道で追い付き、決着を付けねばならないだろう。
何処かで追いつけ、雌雄を決する筈――追手達は、女の後を見失わない様、慎重に追い続ける。
女の脚だ、すぐに追いつけると考えていた事を、追手達は後悔し始めていた。

一体、どの位追いかけたのだろう、そろそろ陽が傾こうかという頃の事。
追手達の前でまた、姿が消える。
見晴らしは悪くない通りで、何故見失うのであろうか。
探せばすぐ近くに居る事はもう判っている――またかよ、と言った面持ちで追手達は散会した。
銀の髪の娘の、追手達一行に対する悪戯は、悪化の一途を辿っており、よくよく注意して見回らないと、突拍子も無い所から現れ、うんざりする様なこっ酷い悪巫山戯が炸裂する。
かといって、女を先に見つけてしまえば、離れている所からすぐに逃げ去ってしまう。
しかし姿が見えなければ、何処に居るのかを探し出さねばならぬ為、至極面倒極まりない。
女はちょっかいを出し終え、駆け去ったかと思えば、少し離れた所で待ち受けているし、追うのに疲れ小休止を挟めば、何時の間にか見える場所で、同じ様に休んでいた。

追えば、姿を消し――。
迷えば、姿を現す――。

女の後ろ姿は、まるで追手達を揶揄う幻の如く、虚ろで不確かな存在であった。
自分達は、何を追っているのだろう。
追手達の中には疑問を呈するものも居たが、一家の敵を見失えば、その後の活動に大きな支障が出る。
誰一人として、捜索の手を緩めさせる訳にはいかない。
追手の一人が気付くと、小高い丘の細い道を登る女の後ろ姿が見える。
「こっちだ!」
「遅れるな、早くしろ」
小道を一列になり、慎重に後を尾ける追手達。
女は消えたり現れたりはするが、突如悪質な手出しはして来なくはなったが、油断は出来ず。
仮に急いで追えば、姿を消し煙に巻くに決まっているのだ。
その結果、忌々しい気持ちが募り、怒りが頂点に達し、怪我人が増えるだけに違いない。
実にもどかしい追跡劇である。
そしてまた、唐突に後ろ姿が見えなくなり、追手達は今日何度目かになるのであろう、慌てぶりを見せた。
「ま、またかっ」
「くそっ!
探せ、今まで通り近くに居る筈だ」
「あの女ァ……、捕まえたら只じゃ置かんぞッ!」
追っていた女は何処へ消えたのか――辿り着いたのは、やや広めの切り開かれた空間とそして、一件の空き家。
この辺りで間違いない筈なのだが、もっと先へ行ってしまったのだろうか?
姿が見えぬと言って、手をこまねいている訳にもいかず、焦燥と焦りが、追手達の脚を駆り立てていた。

くすくす くすくす くすくす

そこを通り過ぎようとした時、何かを含んだ様な女の笑いが響き、追手達は足を止める。
今回もまた性懲りも無く、俺達を苛立たせる為の、挑発じみた真似をしてくる筈に違いない――今度は何処から、どんな風に飛び出て来るのやら。
追手達は、戦々恐々と辺りを見渡す。



――――――――(3)――――――――



くすくすと、若い娘の含んだ笑い声。
エルヴンの女を追う追手達は、足を止めざるを得なかった。
木々の間にぽつりと空いた広場に、空き家が一軒。
それ以外に、見渡しても目立つ物は一つもない。
仲間を斃した敵が、ここに居るかも知れないのだ――放置は論外、可及的速やかに処分しなくては、今後の沽券に係わる。
自分達の根城で好き勝手してくれた輩には、それ相応の報いを与えねば。
黙っておめおめと引き下がる訳にはいかない理由が、彼等にはあった。
娘の笑い声は、何処から聞こえてきているのだろう、先程まで後ろ姿が見えていた筈なのだ、だからこの近くにまだいる筈。
追手達は、目で合図し合うと、目の前で忽然と消えた、娘の後を追おうとする。

するとその時、透き通った風の様な声が、夕暮れに揺蕩う。

―――――――お前様方 そんなに慌てて どなたかお探しでございやすかい?
―――――あっしで宜しけりゃあ お手伝いいたしやすぜ

追って来た追手達は、確かにその声を聴いた。
そして、くすくすと何かを含んだ様な笑いが、何処からともなく響いて来る。
木々の間を伺いながら、男が怒鳴り、手にした獲物を、そこらの木へと振りかざす。
「どこだっ!
そこかぁッ!?
出て来やがれ!」
本人は格好良く、木ごとばっさり斬って、威嚇するつもりだったのだろう。
しかし硬い木の皮に刃は弾かれ、ごつんと鈍い音が、響き渡る含んだ笑いに重なっただけであった。
腕が痺れ、思わず剣を取り落としそうになる。
「あ、痛ぁッ!」
木々の間を擦り抜けるようにして、情けない悲鳴が響く。
痛そうに腕を抑えた男は、羞恥を隠すような怒りに形相を引き攣らせ、辺りをねめつけるが、それを見ていたのかの様に、娘の含んだ笑いは高まりこそすれど、一向に収まる気配が無い。

―――――――お前様方 此処ですぜ お判りですかい?

先程叫んだ男の視線が、明後日の方を向いていたのだろうか。
エルヴンの女らしきものの声は、視線の方向へは居ない事を意味している。
そう簡単に教えるつもりは無いのか、辺りに女の笑いが更に強く響く。
含みを持つ笑いには、折角手伝っているのだから、どうにかして探して見せろという、際疾いまでの挑戦の意志が込められていた。
「ぐうっ、見ていやがれ!
すぐ捕まえて、泣きっ面を拝んでやる」
追手達は、薄っぺらな矜持を刺激するような、含んだ笑いに苛立つ。
これだけ声がはっきり聞こえるのだ。
簡単に見つけだせるに違いない、という予想は、大きく外れる事となる。
どういう事か、娘の含んだ笑いが、あちこちから響き渡っている様に感じられ、ある者は森の中から、ある者は家の裏から、そしてある者は家の中から、いや外に違いないのだと言う。
漠然と声の位置を特定できぬまま、悪戯に時間だけが過ぎ去ってゆく。
女は居る筈なのだ、この近くに。
確かに声はする、それだけは間違いない、その一念だけを胸に、追手達は木々の間を、空き家の周りを駆けた。
「ど、どこだっ!」
「隠れてねえで姿を見せやがれえ!」
次々に怒声を張り上げ威嚇するが、声色が臆した様子はまるで見られない。
くすくすと笑う声が、まるで嘲笑うかのようにより一層高くなり、追手達は狼狽える。
どうしたら良いというのだ。
一体何処から、その声は聞こえてきているというのだろう。
手がかりが一向に掴む事が出来ない、追手達の一抹の不安に応えるかの様に、再び風のような声が戦ぐ。

―――――――あっしは隠れておりやせんぜ ほうら もっと良くご覧なせえ

響く声に誘われ、彼等は家の周囲を何度も回る。
隠れていないというにも拘らず、見つけ出せない追手達は、何処かに隠れているに違いない、という思いを募らせ、戸口を破り空き家の中まで探したが、若い娘の笑い声が響くばかりで、未だにその姿を捉える事が出来ない。
脅そうが、怒鳴ろうが、暴れようが、相も変わらず、ぐるぐると回り続けているような笑い声は止まず。
エルヴンの女は魔法でも使っているのだろうか?
追手達は何かに化かされているのかの如く、気付けば同じ処を何度も何度も駆け巡っている。
いったいどれ程の回数、空き家の周囲を回ったのだろう。
時折顔を合わせ、幾ら意見を交わし合っても、笑い声の聞こえる方角で、意志の統一が全く図れず、各々の判断と方法に任せるしかない、といった状態が続き、木々の間を、傷だらけになりながら駆ける者、空き家の埃に咳き込み、畜生出て来いと怒声を上げる者、泥にまみれ、這い蹲って床下を探った者までいた。
しかし、声はすれども娘の姿は全く伺えず、各々が思うがままに潜り、走り、駆け、同じ場所を何度も探り、悪戯に疲労してゆく。
纏まりの無い探し方をしても、見付かる筈も無い。
途方に暮れ、探し回るのに疲れ果て、もっと数を揃えて一斉に掛るべきか、という話になった頃であった。

―――――――お前様方は 一体ぇ何処をご覧なんだか こちらでございやすよ

尚も、明後日の方角を探していますよ、とでも云う様に。
周囲に響くような笑いが突然収まり、やれやれ仕方ない、といった風に、静まってはいるが、不甲斐なさに呆れたような声が追手達に届く。
それは、ある方向から導かれ、吹いてきた風の様であった。
夕陽に戦ぐ声に導かれ、一同がその方向へと視線を向け、暫く目を凝らして、きょろきょろと首を回しつつ、声の主を探す。
時間が経ち、本当に声がしたのは、この方角で合っているだろうか、と誰しもが疑問に思い始めた頃。
「あ、ああっ!?
あ、あそこだっ」
一人が漸く探し当て、驚愕の叫びが飛び、そして、声の主へと視線を向け、指先で指し示す。
残りの者達も追うかの様に、そちらに顔を向ける。
「ううっ?
い、何時の間に!」
何処にいるのか、全く見当もつかなかった彼等。
流れてきた声の方を向き、よくよく目を凝らすと、先程から何度も見渡し探した筈の、家の一角。
黄色く傾いた、夕の陽射しが木々を照らす。
その伸びて来た木々の陰に隠れるように、ひっそりと彼女は座っていたのだった。

長い間笑い声に惑わされ、徒労に塗れた追手達は、それを冷静に判断できる程、心中穏やかでは無い。
動いた様子も無く、声の調子からすると、本当に隠れていなかったのだろう。
思えば、影を注意深く見るだけ、という至極簡単な事で済んだのかもしれないが。
こんな所に隠れていたのなら、もっと早く、簡単に見つけられていた筈だ。
そのような思いが、追手の胸中を去来する。
初めからそこに座ったまま、目の前で狼狽え、明後日の方角を駆けずり回る追手達を眺めて、彼女は思う様楽しんでいたに違いない。
更に、揶揄うような笑みを深く口元に浮かべ、エルヴンの女が再び声を発する。
口元に手を当ててくすりと笑うその姿は、やけに楽しそうであった。

―――――――ふふ 探している御方は 見付かりやしたかい?

銀の髪に尖った耳、道中合羽、裾に葉の模様を誂えた着流し、そして朱塗りの鞘。
抜刀したまま大通りを歩くエルヴンの女を見かけた、と言う町の者に聞いた話と、ほぼ相違ない。
白昼さながらに拠点の店を襲撃するという、大それた事を為出かしたのは、間違いなくこの女だ。
「居た!
お、おおい!
いた、いた、居たぞォ!
こっち、こっちだあッ!」
散々焦らされた苛立ちを、何かにぶつけるかのように、追手の一人が呼び子を鳴らし、仲間を呼ぶ。
高く遠くへと届く、この音に気付いた仲間が、直ぐに駆けつけてくる筈。
遠くで音に気が付いた者が、次々に呼び子を鳴らす。
もうじきに、この空き家の周りは、続々とやってくる追手が集うに違いない。
「へへっ。
オイ女ァ!
旅芸人の腕がどんなものかは知らんが、とんだ事をしてくれたツケは払ってもらうぜ。
へへ、仲間が揃っちまえばなァ、もうお前にゃ引けを取らねえんだよ。
もう逃げられねえぜ、覚悟しな!」
追手の内、一人の男が漸く見つかったカヤの方を向き、意気揚々と叫ぶ。

そのお仲間が頼り無いからこそ、今、こういう事態になっていると言うのに、この男は。
覚悟とは、果たして何方がするものなのだろうか。
彼女が姿を現したという事は、隠れん坊に飽きたという事だ。
それを聞いた銀の髪の娘は、先程から浮かべている笑みを、更に深くする。
尻尾を巻いて逃げる心積りなら、最初から声なんぞ掛けはしない、とでも言いたげに。