2020年3月17日火曜日

ブログ小説 縁切徹 第二話 ぼるけいの(4)

【ブログ小説】
R.M.E.R. 2nd chapter3
縁切徹

ぼるけいの(4)



――――――――(1)――――――――



「おう、そこだ、囲め囲め!
もう逃げられねぇぜ――、へへへ」
「小娘ェ、観念しやがれ!」
「お頭の手を煩わさせるまでもねえ。
皆、やっちまえ!」
怒りと怨嗟に満ちた声が辺りに満ちてゆく。
小高い丘の上、木々に囲まれた中で、空き家が一軒、ぽつりと建つ広間は、娘を追う者達で溢れ返ろうとしていた。
追手達が追い詰めた筈の銀の髪の娘は、座ったまま不敵な笑みを崩さず、じっと座っている。
どのような罵声を浴びせようとも、まるで臆した様子が無い。
一体どれ程の数、そしてどのような威迫の言葉で追い込めば、この娘の肝胆を、寒からしめんとする事が出来るのだろうか。
包囲を縮め、いよいよもって、自分達に対する礼儀を教えてやらんと身構えた時、若い男が声を上げる。
「止めろ。
無駄に被害が出るだけだ」
彼の一言で、騒ぐ追手達の怒声が、ぴたりと止まり。
そして、整った顔立ちの青年が、追手達を押し退けて、前に出て来た。

―――――――ようやっと お出まし頂けやしたようで

待ち兼ねていた眉目秀麗な男が現れ、進み出るのを見て、くすりと笑ったエルヴンの女が朱塗り鞘を手に、漸く立ち上がる。
彼女は髪をかき上げ、さらりと風に流し、左手を朱塗りの鞘に軽く添わせた。
そして彼の歩む先へと、合わせるかの様に歩き出す――。
二人は示し合わせたかの様に、お互いの手が届く範囲まで歩み寄ると、冷ややかに視線を交わし合う。


この男が、顎髭を蓄えた巨漢の話していた、彼等の頭領の筈。
話に聞いた通り、容姿の方は、端麗と言っても差し支えない程の、眉目好い青年であった。
短く切り揃えたあでやかな髪に、見目よい耳目が当然の如く備わり、美妙な輪郭を一際美しいものに仕立て上げている。
繊麗な顔付きの下には、乱れの無い均整な体躯――前を開けた襯衣の下から、肌着が覗き、そこから均整のとれた、美しい体格を浮き立たせ、その男らしさに、思わず眩暈がする程の若々しい鮮麗さが加わり、華美で際立つ妙な色気を醸し出す。
誰が見ても美しいと感じる、その身形から溢れ出るような流麗な仕草は、見る者を惹き付けるには、過分というものであった。
唯一つ、惜しむらくは、優々たる目付きと婉美優艶な唇が、忌々し気に吊り上がっている事であろうか。

激しい怒りに包まれたその切れ長の瞳は、銀の髪の娘を冷たく見下ろす。
幼少の頃より、早くから自身の美貌に気付いていた彼は、その立場を甘んじ、存分に利用していた。
彼にとって女とは、向こうから擦り寄る都合の良い者。
己の容姿目当てに傅き、命ずれば金を持って来る、潜り込ませて調べさせ裏切らせる、立て付いた者に宛てがい寝首を掻かせる等、単なる便利な道具、という認識でしかない。
女達は彼の怒りを避けようと、常に懸命であった。
どれもこれも女なんてものは皆同じ――。
この女もどうせ、ひと睨みでそうなるに決まっている。
己にとって取るに足らぬ、女というものが邪魔になるような行為を行う事を、彼は何よりも許せない性質であった。

―――――――

何を言おうとしたのか、口を開こうとする娘の頬を、右手で掴み、力づくで上を向かせ、鋭く睨む。
近くでこうして見れば娘も、彼に負けず劣らず、美しい容姿を保っているのが良く分かる。
反目し合う形でなく、隣合えば誰もが羨む良人と成れたであろうに。
何故故にこのような出会いとなったのか、この場に事情を知らぬ者が居れば、恐らく運命と言うものを呪ったに違いない。
「黙れッ!
このスベタがぁッ!
いらん手間を取らせるんじゃねえ。
お前みたいな行き遅れるハズレ女にも、わざわざこの俺が声を掛けてやっているんだ!
それを有難く思えないとか、どういう育ち方をしているんだ!?」
整った顔立ちの青年は、多数に囲まれても、不敵な笑みを崩さぬ娘に、痛烈な罵倒を浴びせる。
彼の怒りが伝わったのか、大きく息を飲んで震え、身を固く縮こまらせる銀の髪の娘。
唇は青ざめ、わなわなと震え、笑みが収まり、表情は徐々に凍り付き――瞳は明らかに恐慌と戸惑いの色を映し出し、大きく見開かれていた。
それは狼狽えるように、左右に揺れ動く。
やがて、沈痛な面持ちで口の両端を下げ、暗澹たる眼差しで虚空を見詰める。

茫洋茫然とした両の紅い瞳が、怒りに満ちた男の顔を写す。
見れば、娘はその肩を小刻みに震わせ、見開かれ潤んだ眸は、目尻に涙を溜めている様にも見えた。
その頬が震える感触が、右手を通して伝わり、留飲を下げる。
フン、やっと大人しくなったか。
幾ら強いと言っても所詮は女、俺にかかれば、こんなものだ。
罰として、この場で責任を取らせても良し、連れ帰って仕込めば、それなりに使えるようには――ッ?



そこで、思考が途切れた。
いや、途切れさせられたのか――、次に彼が見たのは、彼女の双眸。
それは深い哀惜に満ちた彩りを見せてはいたが、男の言葉に打ち据えられた様子など微塵も無い。
彼は雷に打たれたかのように背筋を伸ばし、次の一瞬にて、端麗な容姿が突き抜ける倒懸の形相へと歪む。
気付くと、エルヴンの女の膝は、男の股間にめり込んでいた。

股に両手を宛がう様に伸ばし、声も無く思わず屈む彼の、鼻筋を下から突き上げるように、彼女の底掌が振り抜かれる。
ぺちり、と微笑ましい程の軽い音が生じ――その音から計り知れないほどの勢いで、彼の首は跳ね上がった。
こきりと小さな音が首筋から響き、一瞬その瞳には空が映ったであろう。
しかし前屈みになった体は、首を上に向けておくことを許さず――俯きに戻って来た所を更にもう一撃、ぺち、と軽そうな打撃音の底掌が、今度は端正な顔立ちの男のこめかみを貫き――先程より遥かに強い勢いで首が捻じ曲がる。
ごきゅりと、ひん曲がる首筋から嫌な音が響いた。
一度目は上を向いただけの様にみえたが、二度目が振り抜かれた後、向こう側へと捻じれる、整った顔の鼻から、飛び出る赤い筋が宙を舞う。
続けて首の捻じれに引きずられる様にして、肩が回り、腰を捩じり、足が宙に浮く。
そして、女より背の高い体躯は、何度もその体を空で捻りながら、勢い良く地べたへと叩きつけられた。
「あっ!?」
「いかん、お頭を守れ!」
一瞬ぽかんと呆れていた取巻き達が、男を守ろうと走る。

娘は抜く手も見せずに刃を抜き、駆け寄った取巻き達が、瞬く間に血飛沫を上げ倒れ伏す。
先ず一人目。
盾を持つ彼は、頭領である色男を庇う様に前に出た。
手にした盾で剣撃を防いだつもりであったが、何故か上手く行かない。
その腕で、防いだ手応えを確かに感じたのだが、微かな音を立てて、胸当てがゆっくりと二つに割れてゆく。
ぶ厚い鉄で作られた胸当てが裂け、左肩から右腰にかけて、真っ直ぐに鮮血が噴出し。
彼は頬を涙で濡らし、苦痛に悶えながら横向きに倒れ、動かなくなった。
そして、二人目。
長剣を抜き、打ちかかろうとした彼は、両腕を落とされており、彼女に打ちかかる事は遂に叶う事無く。
肘から先に痺れるような痛みが走り、驚愕の視線で自らの両腕の先を見たが、それが彼の最後の表情となる。
がら空きとなった眉間に、銀の髪の娘の刃が突き立てられていたからだ。
がああぁ、と一声呻くと地に膝を着くと、そのまま後ろへと倒れ、空を仰ぎ意識を二度と戻れぬ暗闇の中へと喪う。
三人目は踏鞴を踏んで立ち止まろうとした――、が、既に遅く。
彼女の銀閃が耀き、喉元、腹、そして足を断つように駆け抜けていた。
片足を失い、何かに躓いた様な姿勢で体がふわりと浮き。
勢い余って娘の隣を通り過ぎ、顔から地に滑り込む。
そのままびくり、びくり、と二度程大きく痙攣し、苦悶の呻きを上げる事も無く、彼はその人生を終えた。

他の者は、未だに何が起きたのか、全く掴めていない。
呆けた表情で、蹲った頭領の色男と、その取巻き達を眺めている始末。
斃れた者達の向こうから、ぎらりと彼女の目が輝いた気がした。
普段なら浮かべているであろう、口元に余裕のある笑みは消え失せ、目尻と唇はやや吊り上がり、眉間には皺が寄り苦渋の表情が伺える。
何があったのだろうか。
頭領である色男がいつも通り、やんちゃで言う事を聞かない女に、話しかけ叱責しただけだ。
不思議と、あの男にあの様な言葉を掛けられ、挫折感を味わい意気消沈し、萎れない女を彼等は見た事が無い――この後、彼の言葉に打ちひしがれた女を連れて帰れば、仕事は終わる筈であった――それが、何時もの事であるならば。
萎縮し、悄然としているようだが、何故か無気力に陥いってはいない女、頽れて伏せる色男、今迄とは明らかに違う進行に、追手達は困惑の色を隠しきれない。
撒かれた血潮の色を見て誰かが叫び、それに反応した彼等は、漸く動き始める。
何か、何処かで違えてしまったのだ。
それは一体何であったのか――違和感だけを残し、その場の勢いに任せたまま、雪崩る様に追手達はエルヴンの女に戦いを挑んでゆく。



――――――――(2)――――――――



一体何が起きたのか。
何だろう、誰かが声を掛けている、そんな気がする。
時には近くで、そして時には遠くで。
今、自身がどうなっているのか分らない――果たして上を向いているのか、下を向いているのか。
しかし、突如襲った衝撃に打ち抜かれた彼は、それどころでは無かった。

その身が悶えている事は、はっきりと判る――先程から止まらない酷い耳鳴りと、頭痛。

助けて。
助けて。
痛い、辛い、苦しい。
何度も何かの音が響き、幾度も誰かが声を掛けて来る様な。
自身の意志を無視するその騒ぎっぷり、これはどういう事なのか。
やめろ、五月蠅い、五月蠅い、五月蠅い、五月蠅い、五月蠅い。
騒がないでくれ、俺は今苦しいんだ!
頼むから声を掛けないでくれ。
そんな事、どうでもいい、放っておいてくれ――助けるなら、助かるなら、今、この痛みを何とかして欲しい。

痛い 痛い 痛い 痛い 痛い――。

痛い。
そうとしか表現できぬ強烈な衝撃が男の全身を貫く。
助けを求める事も思い出せぬ程の激痛が、満身余す事無く、縦横無尽に駆け巡る。
あまりの苦痛に声が出ない――いや、出せないと言った方が良いか。
体が思うように動かせぬ、稲妻が走る様な鋭い痛みと、火傷の様に後を引く、じわじわと刺すような鈍い苦痛。
ただ大きく口を開け、息を止めて永遠に動けぬ彫像の如く、沁み出るその痛覚を舐めるように味わう。
思わず両手を当てたそこでは、手触りの先に雲や霞を思わせる様な、不確かなぬめりを掴む様な感触を覚え、どろりと爆ぜ割れた二つの男の証だったものが、その奥底から痛い痛いと悲鳴を上げて、染み入る様な深い熱を湛え、全身に訴え続けている。
それはもう二度と元に戻らぬかもしれぬという、確かな予感を信じさせるに足るものであった。

苦しい 苦しい 苦しい 苦しい 苦しい――。

際限なく沸き起こる痛みに押し潰されてから暫くの事。
漸く、か弱く、か細い泣き声が出せた。
と、同時に、大きく見開かれたその瞳からも大粒の涙が、ぼろりと転げ落ち。
男は治まらぬ激痛に、自慢の顔を醜く歪ませ、喘ぎ、呻く。
いや、いずれ痛みというものは治まるのかもしれないが、新たな苦しみが男の胸中を満たし始めている。
その声は、徐々に大きくなってゆく――痛みに悲しみを乗せて。
初めは絞り出されるようだったそれは、やがて大きな波となり大河となり、喉から張り裂けんばかりの大声となって零れ出す。
男は蹲った姿勢のまま、全身を小刻みにゆすり、激しく泣いた。
まるで、湯が沸くが如き勢いて、ぐらぐらと身内より吹き出るその苦しみを、体の外に逃がすかのように。



つい先刻までと違い、空き家の建つ広間には幾多の者が呻き、這い蹲っている。
多くの手下で埋め尽くしていた広場での死闘、その勝敗は既に決していた。
雑木林の奥から響き渡る、ばつり、ばつりと肉を断つ音。
そして、続く断末魔の叫び。
一瞬遅れて、生い茂る木々の奥から響いたそれは、左程遠くない場所から発せられたようであった。
膝で蹴り上げられた後、蹲る男の取り巻きたる手下達を斬り、更に恐れをなして逃げる者を追ったカヤは、銀の髪を翻し、木々の間から姿を現す。
その手には、傾いた陽光に鈍く煌めく鋼の刃が握られている。
切先からは――、ぽたり、ぽたりと赤い雫が滴り落ち、地に染み込んでゆく。
広場に戻る傍らに、伏して呻く者、地を這う者へと、容赦なく冷たい鋼を振い、その活動に終止符を打つ。
何故このような結果を残す事となったのか、最後まで彼等は理解出来ていない様子が伺えた。
残るはけだものの様な叫びを、小高い丘の雑木林へごうごうと轟かせ、己が苦悩を訴え続けている、頭領の男のみ。
獲物を手に近づく敵、そして守る者はおらず動けぬ輩。
試合であれば、待ったか勝負ありの声が飛び、止めに入る者が現れ、男は助かったに違いないのだが。
しかし今、彼を護る者は、全て斃され地に伏している。
この状態では赤子の手を捻るように、容易く討てるのは想像に難くない事であり、これより先は最早戦いと呼べるものでは無い。
見るも情けなく、地べたに這い蹲る男の息の根を止めるべく、銀の毛並みを持つ美しい獣がにじり寄る。

くすくす くすくす くすくす

そして、しずしずと、蹲る彼の下へと歩み寄り、彼女はひっそりと笑う。
まるでその姿は呻き苦しむ彼を嘲るかの様であった。
やがて、呻き悶える彼の容態を鑑みたのか、エルヴンの女の言葉が向けられる。
彼が望んだ筈の、彼への媚態を示すかの如く、丁寧に。
しかし、その面持ちは、言葉程の折り目正しさを、これっぽっちも含んではいない。
口元こそ一応の笑みを模ってはいるが、その眼差しは何処までも冷たいものであった。

―――――――嗚呼 こいつぁまた みっともねえ声を上げちまって
―――――ッふふ そんなお顔をなさっちまっちゃあ 折角の色男が台無しですぜえ

吐き捨てられたカヤの声は、煮えたぎる釜から吹き付ける、荒々しい熱風を思わせる。
その可憐な身から出たとは到底信じがたい、低くおどろおどろしい声色。
もしその場で聴く者が居れば、自らの耳をきっと疑うに違いない。
だが、辛辣な皮肉を投げかけられた彼は――彼女の言葉を聞く余裕がない程、痛みと後悔を刻み込まれ、只々その顔が端正であった事を想像出来ぬがまでに、苦痛にその表情を歪ませ、見る者を情けなくさせる程の大粒の涙を零し、畜生の如くおんおんと泣き散らかしていた。
この様子では、最早再び立ち上がる闘志も、娘を罵る気力も失せ、ただそこに這い蹲るだけであろう。

くすくす くすくす くすくす

男を見おろし、口元を手の甲で覆う、銀の髪の娘が発する含んだ笑いが、再び辺りへと満ち満ちてゆく。
頽れた彼が、これ程までに苦しんでいるというのに、彼女は助ける気などさらさら無さそうである。
最後の最後まで、生と死の間境を越えてしまった事に、気が付く事は無かった。
彼がこの苦しみから逃れ得る事は、安息を得る事は、もう叶わない――。
楽し気にねめつける、禍々しい程の、冷ややかな視線が男の背に降り注ぐ。
苦しもうと苦しむまいと――死は等しく、誰にでも訪れるのだ。
それはカヤも例外では無いのだが、この時偶々、彼にとっての死を、彼女――エルヴンの女が運んで来ただけ、に過ぎないのかもしれない。
ただ只、何かを間違えなければ、もう少し安らかな訪れ方をしていた様にも思える。
一頻り笑うとカヤは苦しみ、泣き叫ぶ男に吊り上げた冷たい視線で声を掛けた。

―――――――御苦しいですかい それじゃあ あっしが楽にして差し上げやしょう

膝を曲げ、地に伏せるように蹲り、股を両手で押さえた男。
生きてはいるが返事をせず、泣き叫ぶのみの身となったその頚部に、銀の髪の娘は手にした刃を躊躇なく、ずぶりと潜らせる。
天に轟けとばかりに響かせていた泣き声が、ぴたりと止んだ。
次に、まるで捲られる様にぐるりと瞳が上を向き、ごぼりと口から赤い泡が噴き出す。
男がぐうう、と喉の奥から絞り出すような喘ぎを発した後、彼女はもう一刺し、とばかりに、刃先を沈める。
くぐもった呻きを男は止め、突如その体は大きく跳ねた。
静かになった後も、ぶるぶると微かな揺れが刃先から手に伝わり、その震えが止まった丁度の頃を見計らうと、カヤは刃を抜く。
直後、先刻までは燃え盛っていた筈の魂が、すっかり消え失せた男の体は、生きる為の熱を失いそして、寒さを纏う外気に硬く冷やされ始める。

……そして、場は完全なる静寂を取り戻す。
丁度、陽が地に沈む頃合いに差し掛かろうとしていた。

陽が沈み、辺りが暗くなってからも、菅笠を片手で少し上げ、斃れた男を忌々しそうな視線を投げかけるエルヴンの女。
暫く刃先から滴る血をそのままに、屍と化した男へと、厳しい視線を送っていたが、やがて懐紙で刃を拭うと、長脇差を鞘に納める。
血糊の付いた紙が風に吹かれ、何処かへと飛び去った。
満たされ始めた死臭の中で、自らを落ち着かせるように、深い呼吸を一つ行う。
その後も暫くぶつぶつと何かを呟いていたが、やがてその声も小さくなり、小さな溜息をつく。
何か言いたげな、得心が行かぬ面持ちで辺りを見渡し、荷が置かれた処まで戻ると、風呂敷包みを背負い菅笠を被る。

そしてもう一度、深い溜息をつくと、険しい表情で再びぶつくさと何かを呟きながら、カヤは何処かへと立ち去るのだった。



――――――――(3)――――――――



町は片田舎というには大き過ぎ、大都市かと言われると、そうでもない。
商人が行き交う街道に、面してはいるが、隣り合う町までは、やや遠い中継点。
そして大金を携えての移動は、危険が伴う。
比較的安全な移動手段を確保するだけでも、それなりの出費が必要であった。
出費を考えると、目的の無い物見遊山や、娯楽の為だけに隣の町まで出向くというのは、この町に住む者にしては、少々突飛な話である。
そこを狙っての事だったのか、奴等一家は娯楽を牛耳り、価格を跳ね上げてしまう。
居残り組の冒険者や、町の者達は、楽しみたければ相場より遥か高い、金額を支払う事となった。
高騰する価格に付いて行けず、若い者や、腕に自信のある者は、既にこの町を出、他所の町を拠点とした話も聞く。
他の町へ行くあてが在ったのなら、それも良いだろう。

しかしながら、巨漢達一行は、この町の外でやっていける程の、実力や才覚、腕前が無い事を自覚していた。
それから、他所の土地に移り住んででも再起を賭けるには、彼等は少々、歳を取り過ぎていると言わざるを得ない。
何より、他の町でも、受け入れて貰えるのかどうか。
彼等は自信が無持てず、今更ながらにも移り住む覚悟を、持つ事が出来ずにいた――ならば、この町に元からあった居場所を、確保するべきだろう。
一家と徹底的に争い、生まれ育ったこの町を出るか、一家を実力で廃し自分達が居座るか。
そのどちらかを選ぶ事を、一行は迫られていた。
しかし、勢いづいていた一家を打倒するには、戦力も金も、巨漢一行には全く足りていない。
その為どうするか、と考えたが有効打が打てず、攻めあぐねていた毎日――。

だが、切欠となる彼女が訪れ、彼等は手に入れてしまった。
金さえ払えば、奴等を如何様にも出来る戦力というものを。

幸い、一番目当てである女遊びという娯楽を奪われた為、金は余っており、この町で暮らしていくには、食う寝るだけでは、金銭は大して使い道が無く。
普段なら、あのような大金があれば、自分達が各々好きに使っていたに違いない。
飽きもせず湯水の如く湧き出る荒事を片付け、食うと寝るにはやや多い銭を貰い、安宿を塒に定め、飯を食って寝るだけの毎日。
日に日に余る、使い道のない銭は、彼等をその気にさせるには充分であった。



恨み辛みを彼女に話し、払えるだけの金を払って、果報を待つ。
吉報を携え、興奮した面持ちの、丸顔の男が駆け込んで来てから7日が経過していた。
そのすぐ後から、憎っくき奴等の一家が、その日の内に瓦解したという噂が飛び交い――顎髭を蓄えた巨漢の一行は、直ぐにあの女、銀の髪の娘の仕業だと知る。
「へへへへ。
他の冒険者の奴等は兎も角、――町の人間は誰が黒幕なのか分かってねえ」
丸顔の彼の話を聞く限りでは、あのエルヴンの女が巧くやってくれたらしい。
あの時の光景を、今も語り草の様に、酒呑み話として何度も口にしていた。
拠点の店だけでなく、町外れの空き家の近くでも一家の奴等の死体が発見された事。
町中の噂はその事で持ちきりである。
奴等一家で町に居残った者は、ほぼ散開していると言っても過言ではない。
後は、自分達一行でも容易に対処できる範囲だ。
知らぬ内に街を離れるか、他所の一家に吸収される位はするだろう。
鬱陶しいまでに、目の上のたんこぶであった彼奴等は、どちらにせよ、もう既に取るに足らぬ存在である。

エルヴンの女、銀の髪の娘の姿は、この町の何処を探しても、杳として知れなかった。
まあ、こちらも内密な仕事を頼んだ手前、律儀にも感謝の念を伝えに、のこのこ会いに行く訳には行かないのだが。
事案の発生した後日より、警備兵が巡回する頻度をかなり増やしてきている。
後は俺達が、酔った勢いで余計な事を、喋り過ぎなければ良い。
余程の事が無い限り、向こうから顔を合わせに来る、という事も無いだろう。
金は既に払ったし、仕事は終わった――。
彼女はもう既に街を出、大金を手にのんびりした旅の続き、と、洒落込んで居るに違いない。
ふらふらと街道を歩くあの女の姿が、目に浮かぶ。

そして、喜ばしい事は、それだけでは無かった。
巨漢の一行と奴等一家、仲が悪いのはこの界隈で、広く知れ渡っていたらしい。
そして、一家に味方する冒険者も多く居たが、一行を密やかに応援している冒険者も、相当な数に上る。
行動に移った事を知った、一家に恨みを持つ他の冒険者が、有志を募って金を集め、一行に贈ってくれたのだ。
集まった金の量は、エルヴンの女に頼んだ依頼料の三倍は優に超えており、これだけの金を集められた、という事は、皆、奴等の行いには、相当腹に据えかねていたのだろう。
一家に反発する町の冒険者だけでなく、件の一家に取り入っている者も、金を出してくれた、という話も聞く。
そう言った意味では、実に彼女は料金以上の仕事をしてくれた、とも言える。
全く持ってありがたい事だ、あの時声を掛けていなければ、今頃はまだやけ酒でも煽りながら、酒場で燻っていたに違いない。
顎髭を蓄えた巨漢の一行は笑いが止まらない毎日であった。

「そう言えばどうして、お前はあの女が、アタリだって分かったんだ?」
小柄で垂れ目の男が、ふとした拍子に尋ねた。
エルヴン族の渡世人を含む冒険者、その雇用価格はばらばらで、決まった価格などまるで無いに等しい。
面倒だが一人づつ話を聞き、腕前と性格、善悪の噂が無いか、等を加味して当人の希望価格とすり合わせる事が殆どだ。
互いが希望する報酬価格と比べ、腕前が釣り合う者などは――ほぼ無いと言っても良く。
そして、己の強さを自覚している者は、概ね高額になる傾向が強い。
あの女は、仕事に見合う金を受け取れる、稀有な存在だろう。
初めは半信半疑だった彼等も、今や巨漢の目を疑う者は誰も居なくなった。
「フフン!
一目見た時に――、ぴぃんとキたんでなあ、がはがは。
これだ、と思った時、気が付いたら追いかけてたんだ。
腕前や稼ぎに差はあれどな、あのお嬢さんと、この俺様はなァ、何を隠そう根っこが等しい同族なのよ。
キチンと話し合えば、お互い通ずる所があるってぇ事だあ!」
巨漢が顎髭をしごきながら、大きな声で笑う。
大きな賭けに勝った時、いつもこんな調子ではあるが、そう言えばこの大男が、負ける側に立っていた事など、ここ暫くは見た事が無かった。
何も負けそうになれば、裏切って来たわけではない――いや、今迄全く裏切った事が無いと言えば、嘘になるが。
どれ程弱そうに見えても勝てる方を、ほぼ確実に選び抜き、そちらに就いていた気がする。
より強い方、より優れた方を嗅ぎ分ける嗅覚は、誰にも容易に出来る事では無く、優れていると言わざるを得ない。
そう言った意味では、彼等はこの巨漢に何度も助けられている、と言う事が出来よう。
見た目に反し驚くべき慧眼と、知恵の回る頭を持つ巨漢に対して、小柄で垂れ目の男は内心舌を巻く。

「思ってたよりも、沢山入ったなあ。
あの女に払った分より遥かに多い。
さあ、皆で分けようぜ。
今日は飲むぞォ!」
丸顔の男は満面の笑顔で、積み上げられた金に手を伸ばす。
すると、顎髭を蓄えた巨漢は、机の上に積み上げられた全ての金を、手元へと一息でかき集めてしまう。
不思議な色味を放つ魔法の貨幣が、じゃらじゃらと個気味良い音を立てて、逞しい腕の内側へと集められる。
こうなってしまっては、ちょっとそっとの事では、手が出せそうにない。
その様はまるで、難攻不落の堅牢な城塞の様であった。
「何言ってんだ。
この金で仲間を集めて、もっとでかい組織を作るんだよ。

分かんねェかなあ、――潮目だよ。
潮目ってもんが、なァ、俺達の方に来ているのさ。

俺達が今後、この量の大金を目の前に出来る事ってのぁ、中々無ェぜえ。
この好機はなァ、そう簡単に逃せるもんじゃねえんだよ!
がはがは、楽しくなってくるぜえ!」
もしかしたらこの町で一番になれるかもしれんぞ、そうなったら他所の町へ進出も出来るかもだ――、と夢のある皮算用を行う彼は大いに笑い、肩を揺する。
そして、お零れに有り付けない丸顔の男は、残念そうに肩を落とし、巨漢の笑いが酒場に響き続けるのだった。