2020年12月31日木曜日

ブログ小説 アンシエンラント創世記 4話 封じられし者 2章.過去の残滓

 アンシエンラント創世記 4話

―――――封じられし者―――――

2章.過去の残滓



青年は風の音だけが響く大広間に独り、立ち尽くしていた。
橋の向こうへとリムを待たせ、ハザ独りで大広間へと向かう。
全て片付けてから、誰も居なくなった所を通せば良い――そのように考えていたが、すぐにその目論見が甘かった事を知る。

矢張り、橋を渡りきったところで彼女が1人、倒れていた。
触れれば感触もある――これは、夢ではない。
また、死んだのか。
浮くだけで他に動く方法がまるで無いのは、ある意味死活問題のように感じられた。
せめて、歩くか走るかしてくれれば良いのだが、何故かリムはそれをしない。
後で歩かせる練習でもさせるべきか、とハザは強く思う。
深い溜息を吐き、右手で頭を掻きむしると、そっと辺りへと視線を這わせる。
闇の中に、ぽつんと浮いている様にも見える大広間。
そこには誰も居なかった。
忽然と人が消え、ただ緩やかに風が吹くだけの、だだっ広い空間と化している。
振り向けば彼女の遺体が見える――確かに斃されたという事は、敵が居たという証左に他ならないのだが。
不思議と、あれ程いた筈の者達の、今はその影すら見当たらない。

中央へ向かい、影を、そこに居た筈の誰かが立っていた痕跡を探す。
しかし、そこいらには砂埃が薄く積もっているだけで、それも風で吹き慣らされ跡形と言えるものは無く、何者かがそこに居た様子は、まるで見られなかった。
確かにいた筈なのだが、彼等は何処へ行ってしまったのだろうか。
これでは、手の出しようが無い。
全て叩き切る心積りで、揚々と意気込んで来たものの、姿が見えないとは肩透かしも良い所だ。
試しに奴等が居た、と思しき中央辺りで長剣を幾度か振ったが、まるで手応えは無く、すぐに諦める羽目になる。
そして、暗闇の上の橋の上を、とぼとぼと引き返すハザ。

この迷宮が、いや満たされる呪い、魔の力とやらの矛先が、彼女を逃がさない為のものだとしたら。
当たり前だが狙いは俺でなく、あの女という事か。
きっと俺がリムと共に橋を渡ったから、奴等は出て来たに違いない。
どんな技を使ったかは知らんが、広間に奴等は居て、隠れて様子を窺っていたのだろう。
あの女が宙に浮いたり、見付からずに近寄れる程なのだ。
そのような者を捕え、幽閉したという古の民も、同じ様な事なら平然と行いそうな気がする。
薄明かりで足元を照らす、乏しい光をじっと見ながら、彼は物思いに耽りつつも、橋の袂で待つ娘の所へと戻ったが、変わらず壁や床をしげしげと眺めるリム。
何をしているのか、とその様子に訝しみつつも、ハザは声を掛けた。
「先には、何故か誰も居なかった。
お前が居ないと、奴等は隠れて、姿を現さないのかもしれん。
流石に見えん奴等は、俺にはどうにも出来んからな。
すまんが、また着いて来てくれ。
戦いになる、……離れるなよ」
そう言ってキイキイと軋み、今にも取れ落ちてしまいそうな、ランタン角灯の取っ手を差し出す。
リムは辛うじて原型を留めているそれを、静かに受け取る。



そして今度は2人で、もう1人倒れている彼女の遺体を踏み越え、大広間と繋がる橋の袂へと向かい、橋の上から広間の方を、慎重に観察を行う。
先程と同じく、中央に屯する人影。
身動ぎ一つせず、橋に立つ彼等の方をじっと眺めている様に見えた。
ハザは橋の中央から1歩隣へと歩む。
すると、影が脇に引き、次に壊れたランタンの光が、彼等の真正面へと向かい、大広間の中央が少しだけ見易くなった。
大股で100歩は進んだ辺りに、彼等は佇んでいる。
ここからもう少し足を踏み入れれば、先程と同じく奴等が立ち所に、こちらへと向かってくるに違いない。
橋の袂から、円状の広場に足を踏み入れると、突如として何者かが何かを叫び、屯した者共が一斉に動き出した――背後に控える彼女の方へと向かって。
その様子を察するや否や、弾かれた様に、彼は駆け出した。

背後には大勢の影が連なる。
何を言っているのか、聴き取れぬ異国の言葉が、大広間を満たしてゆく。

走る青年に追いつける人影は居らず、今度は上手く行くかと思われたが、途中で追い付かれる。
ハザ1人だったなら、振り切れたかもしれないが、如何せんリムの反応が、1拍も2拍も遅く、同じ速さで付いて来れてはいない。
以前の様に、彼が飛び出し彼女の守りが空けば、いとも容易く討たれるだろう。
このままでは、橋の袂に斃れた、あの女と全く同じ存在が、もう1つ増えるだけだ。
仕方ないが、相手にするほかは無い様に思える。
地の底で出会った骨共と同じく、ハザを相手にしようとしない。
奴等は矢張り、この女狙いか。
なら、正面に立ち、足を止めて戦う方が良い――掛かって来る奴等から、打ち払って行けば良いのだから。

振り向くと、もう10歩程度の所へ、彼等は迫っている。
深く息を吐きつつ剣の柄に手を掛け、鋭い音と共に風を断ち、長剣を振るう。
手応えはあったのか、無かったのか。
長剣はするりと、その体を通り抜けたにも拘らず、身構えも怯えも恐れもせず、冷たい石床へと倒れ伏す人影。
それは――全くの無防備。
ハザの事はまるで眼中に無いのか、彼等は下層で出会った、動く骨共と同じくして、只ひたすらに娘の方へと向かうのみ、横からの攻撃を防ぐ事をしなかった。
振るった長剣で打ち倒した者達は、また違うけたたましい叫びを上げ、倒れ伏すと跡形も無く消え失せる。
何度も感じた事だが、その様子はまるで、最初から誰も居なかったかの様だ。
実に不思議だが、気に掛けている暇は無い。
ひと息つく暇も無く、続けて幾人かの影が駆け寄り、青年の方へは目もくれず、彼女の方へと再び接近を試みる。
さあ、次は何人――。
長剣を何度振れば、倒し切れるのかを予想する為、次に対峙する者達を、数えようとした時の事。
リムを討とうと、迫り来る者達の数は、その半数程である事に、ふと気が付いた。
最初に対峙した時の数と、明らかに違う。
人数が、減っているのだ。
広間の中央へと目をやると、明後日の方を向き、立ち尽くす者達が居る事が分かる。
他の者は現れてすぐ、こちらに向かって来ているというのに。
何故かは分からないが、気付き易い条件というものがあり、それから奴等だけが、外れているに違いない。
ならば、後もう少し、先に進めば――?
果たして、彼等の挙動に関係するのは、距離か、方角か。
長剣を大きく振りかぶり、薙ぎ払う。
次の瞬間、最初から居なかったかの如く、姿を消した人影。
そして、視界が開けた――今だ。
漸く訪れた好機に、青年は娘の手を引き、駆け出す。
今度は引き返すのではなく、彼等が背を向けている、その大広間の先へと。

リムの後に追い縋り、亡き者にしようとして、幾多の人影が続く。
その姿は既に死を迎え、見るからに幽幻に等しき者であると云うのに、彼等は律儀にその足で床を蹴り、走っていた。
だが彼等は、慟哭の様な叫びこそ発しているものの、どれ程激しく足を動かそうとも、物音ひとつ立てる事は無い。
明らかに、この世の者では無い印象が沸き起こり、不気味極まりない印象が胸中に満たされてゆく。
ブーツ長靴の底から石と皮が擦れる音を立て、振り返ったハザは、臆する事無く追手に長剣を振るう。
風を断つ鋭い音と共に、剣閃が走り抜けるが、さしたる手応えも無く、攻撃を防ぐ事すらしようとしない彼等は、倒れ込む様相のまま、あっさりと見えなくなった。
だが1人、残った者が追いすがって来る。
剣を振り翳し、迫る影と彼女との距離は、目と鼻の先。
ここからでは剣も、盾を持つ腕も届かない、防ぐにはもう1歩、踏み込まなくては――。

彼の者との間に辛うじて割り込み、左手を伸ばし娘を庇いつつ、反対の手でしっかりと柄を握り締めた長剣を、勢い良く振り抜く。
あわや、と思われるタイミング機会判断ではあったものの、間一髪、青年の剣の方が、相手に早く届いた。
そしてその姿は、祓われた幽亡の如く忽然と消え失せ、後には剣を振り終えた姿勢のハザだけが、その場に取り残される。
先程まであれ程居た筈の、彼等は何処へ行ってしまったのか。
振り向けば、リムは何時もと駆らわぬ様相でそこに立っており、倒された様子は無い。
それを確認したハザは、ひっそりと内心、胸を撫で下ろす。
次の1撃を振るう為の構えを解き、長剣を背負い直した彼が、大広間の中央へと視線を動かすと、何をしているというのだろうか、微動だにせぬ者達が集い、2人が渡ってきた橋の方角を、じっと眺めていた。
長剣を背に直すと、青年は僅かに鼻を鳴らし、眉を顰めた後足元の小石を拾う。
そして、中央に集う彼等の方へと投げつける。

投げた小石は彼等を擦り抜け、広間の床に当たり、かつん、ころころと音を立てた。
その身を擦り抜けてゆく小石にも、響き渡る音にも、不思議な事に彼等は全く応ずる事がない。
「見ろ。
こっちからじゃ、奴等は動かない。
何の事は無い、そこを走り抜けて、放っておけば良かったんだ」
呆れた様な面持ちを浮かべ、ハザは吐き捨てる様に言う。
事実その通り、走り抜けた後には、決まった方向を向いて、立ち尽くすだけの彼等が、大広間の中央に集うだけである。
襲い来る者はもう居ない。
敵だった者達は、すぐそこに居ると云うのに。
当の彼等は微動だにせず、ハザたちが渡ってきた橋の方を向き、大広間の中央辺りに立ち尽くしている。
何がしたいのかはさっぱりだが、これを見れば分かる通りだ、ただの人ではない、おかしな奴等である事は、間違いないだろう。
こう言う明らかに妙な事は、リムの方が詳しい筈。
だが、返事が無い。
反応を待つ間、手持無沙汰になった青年は、もうひとつ足元の小石を拾うと、彼等に投げつけた。
すり抜けた小石は、広間の床に当たり、再びかちりと小さな音を立てて転がる。
その音は、ごく僅かな小さい音であったが、大広間の暗がりに鳴り渡り、やがて残響が広がってゆく。
だが、その様子を見ても、当のリムは口元に手を当て、考え込む素振りを見せるだけであった。
「何だ、らしくない。
言いたい事があるなら、話せ」
彼はやや様子が変わっている娘へ、態度に疑問を抱きつつ、その真意を問う。
そうだ、何があったのかは知らないが、この女はさっきから、ひと言も喋っていない。

ハザの言葉に珍しく逡巡した後、彼女は漸く口を開く。
「はい、そうですね。
これらの術は、向こうからしか応じないものです」
何故か暫くぶりに、声を聴いた気がする。
そこに何があると言うのか、床を指差しながらリムは言った。
しかし、俯き彼女の指先を見るハザの目には、何も映りはしていない。
少なくとも、只の石床にしか見えず、どう反応したものか、と思案に暮れる。
それよりも何よりも、奴等と方角との関係――何故それを先に言わなかったのか。
「知っているなら、何故……」
疑問を言い終える前に、娘の柔らかな声が飛ぶ。
彼女の方は相も変わらず、他人の心を察するのは速いままの様だ。
途中で話の腰を折られた青年は、徐々に声を小さくし、リムが言葉を終えるのを待つ。
「ハザ。
貴方は我等に静かにしろと、仰いました」
理由を聞いて、僅かに得心が行く。
だから返事など無く、黙ったままだったのか。
放っておいても好き勝手、とまではいかないが、割と言いたい事を言う娘だと思う。
それが静か過ぎるものだから、何とは無しに妙だとは思っていたが、どうにもそんな理由であったらしい。

違う、そうじゃ無い、そうじゃ無いんだ――青年はわしわしと自身の頭を掻くと、大きく溜息を吐いた。
「あのな……リム。
ずっと黙っていろ、と言う意味じゃない。
心を読んで、急に話し始めると驚くから止めろ、と言っているんだ。
必要があれば、幾らでも喋り、話してくれて構わん。
俺の方がお前の心を、読めんからな」
「はあ。
その様な意味でしたか……、留意しておきます」
青年の言葉に、伝えたい内心を分ったのか、分からなかったのか、抑揚も無く返される生返事。
掴み処が無い女だ――ハザは彼女のその面持ちから、心中を探ろうとしたが、あまり替わり映えしない、茫洋とした澄まし顔からは、何も窺い知る事は出来なかった。
そして、再び頭を掻き、背を向ける青年に、リムは声を掛ける。
「お待ちください――。
ひとつ、確かめたい事があります。
我等が見えている物が、貴方には見えていないのではないでしょうか。
どうにも、そんな気がします。
お手数ですが、少々お付き合いください」
言葉を投げかけた後、彼女は振り返る青年の正面に屈み込む。
そしてリムのしなやかな声が、再び広間に響く。
「ハザ。
これが、貴方に見えますか?」
何をしているのかと思えば、細くしなやかな指を床に這わせ、大きな模様をなぞり描いているようだ。
が、その軌跡は石床の上には残らず、何も描かれた様子は無い。
眉間に皺を寄せた顔付きで、問い返すハザ。
「俺をからかっている――訳では無い、のか。
何もない、ただの石床に見える。
分からん……、そこに、何があるんだ?」
「これは、見えない者が、数多く居る事は判っております、ご安心ください。
貴方には見えないご様子で」

何があるのかを尋ねると、詳しい説明を諦めたのか、簡素な答えを返し、彼女はすぐに立ち上がった。
どうやら調べるのはもう良い、という事らしい。
その意を察した青年は、静かに踵を返すと、奈落の闇に架かる橋を、ゆっくりと渡り始める。
音も無く、ハザが歩く後にリムが続き、ひとつの足音が大広間に響いてゆく。
「奴等は何だったんだ、結局」
「――、……。
そうですね――。
ざっと見た所、彼の者達は自らを贄として捧げ、此処にその姿を映した様です。
特定の方角からやって来る者を、留めようとしていたのでしょう。
先程の様に」
青年の問いに、何拍か遅れて応えるリム。
遥か昔から、その様な技法が在り、古の民は扱っていたのか。
しかし、そんな技法があれば、今の世に伝わるなどして、残っていてもおかしくは無い筈。
だが地上で、魔の力とやらを扱う術などを、訪ね歩いたとしても、その鱗片すら探し当てる事は出来ない。
古の民が、そんな力を振るっていた事、今の者達は誰も知らないのだ。
恐らく真実を知る者の血脈が、何処かで絶えたのだろう。
だが、万人に知られざる記憶の陰の向こうで、眼に映らぬ力を扱う事を、古の民に伝えた何者かが、居るに違いない。
そしてそれは、きっと――。
すると、視線を動かす前に、ハザの胸中を察したのか、彼女は話し始める。
「魔の力の扱い方を、彼の者達に伝えたのは確かに我等です。
ですが、この様な使い方をするとは、思いもよりませんでした」
胸中を全て話し終えたのか、リムが黙すと、大広間に辿り着いた緩やかな風が、するりと2人の間を駆け抜けてゆく。
そして、青年の足音を運ぶ風は、びょうびょうと切り裂く様な、微かな音色を奏でながら、闇が蠢く深淵の底へと舞い降りていった。

石橋を渡りながら、ハザは思う。
写し出された過去は、訪れる者が来る度、延々と同じ事を繰り返すのだろうか。
特定の方角から訪れた者を、通すまい逃がすまいと、一斉に喰らい付くのだ――それが終わると、再び微動だにせず、次の来訪者を待ち続ける。
彼等は、その為に捧げられた贄とは言え、与えられた終わりの無い使命に、幾許かの虚しさを感じた。
どれもこれも、リムを幽閉し、逃がさない為の罠のひとつ、なのだろうか?
人が行き来して、彼女が通れない道、そして、彼女が通れて、人が通れない道の存在。
かつて古の民達は、この迷宮に挑む事を、試練と呼んだようだが、その事から完全に通り道を塞ぐ意思は、まるで無かった事が伺える。
どれだけ厳重に閉じ込めたとしても、怪しげな技で、何処ぞの国の御伽噺の如く、この女はあっさりと抜け出してしまう、とでも言うのか。
だから、魔の力の扱いを教わった彼等は、その方法を真似て、当の本人を、騙すなり何なりして地底に連れ込み、神として祭り上げ神殿として拵えたあの場所へ、閉じ込めてしまう。
可哀想に、変に祀り上げられた女は――武器を振るう動く骨の所為で、出歩く事も叶わず――あの昏い場所で、日がな1日歌って過ごして来た、という訳だ。
これが1番近い、真相の様にも思えるが、その考えを聴けば、この女は何と答えるのだろうな。
もう少し先へ進む事が出来たら、休む前にでも、事の起こりを聞いてみるのも、良いかもしれない。
だが、彼女をそこまでして、古の地に縛らねばならない、その理由。
それを彼は、どれだけ思案を巡らせても、まるで思い付く事が出来なかった。
古の民は一体何を思い、何の為にこんな事を、と、問いたい思いが胸中に去来する――。
が、尋ねたとしても、彼等は恐らく、何も答えてはくれまい。
過ぎ去りし日々と対話出来る者は、残念ながらこの世には居ないのだ。
ハザ達2人が橋を渡り切り、大広間を出る直前。

振り向けば、彼等はまた大広間の中央に、佇んでいた――微動だにせず、ただただ静かにして。



ブログ小説 アンシエンラント創世記 4話1章挿絵

【囚われし闇】