2021年1月2日土曜日

ブログ小説 アンシエンラント創世記 4話 封じられし者 3章.焔

アンシエンラント創世記 4話

―――――封じられし者―――――

3章.焔



頼りなげな灯火に照らされ、揺れる影。
時折風が吹く以外は、物音のしない静かな通路に、足音がひとつ、響いている。

その場所だけであったのか、過去を写し取ったという技による幻影も、あれから現れる事は無かった。
道中怪しい者は居らず、また罠や隠している通路、見慣れぬ物も無く。
黙々と後を着いて来るリムの方も、何かを伝えようとしている様子はない。
遺構には、彼女しか見えない物もあるようだが、今はそれすらも無いのだろう。
奈落の闇に架けられた橋を渡り、細い通路を抜け、長い石段を登る。
時折霞の如く灯り、また夢幻の如く消える、微かな光を目当てに、迷宮を彷徨う――或る時は右に、そしてまた或る時は左に。
或る時は下り道を進み、そして或る時は袋小路を引き返し、新たな道を探った。

分かれ道、どちらから来たのかの印を、壁に入れる。
がりり、と僅かな音を立て、ひび割れたチョーク白墨の欠片が、ふわりと石床に舞う。
しかし元来た道を辿って帰る筈が、大変な遠回りをする事になったものだ。
その為に、つぶさに印を付けて来た、というのに。
今、脱出の為にこまごまと努力してきた、準備行為のほぼ全てが、無と化している。
その事に気が付いたハザは、軽く溜息を吐いた。
だが、これも旅の流れに沿った結果故、致し方ない事。
想定していたよりも、敵の数が多かったのは誤算ではある――まさか古の神とやらに、これ程まで群がる奴等が多かったとは。
確かにリムは怪しげな技を使い、剣で斬っても死なず、いや滅びないのかもしれないが、力も無く、また早くもない。
近づいてしまえば、その強さ以上に簡単に斃せるのだ。
そして、ひと度興味が失せれば、あっという間に雲隠れし、その者の前には2度と出て来ないだろう。
信じられない事に、勝ち負けにこれ程拘らない存在が、今まで居ただろうか。
勝つための道を模索してきた己とは、その姿勢はまるで正反対。
大胆な発想と言えば聞こえは良いが、突飛な内容も多く、この様子を鑑みるに、古の民達も、さぞや大変な苦労をしたに違いない。
そこまで考えた青年は、極度に磨り減り、そこいらに転がる小石と比べ、左程見掛けの変わらなくなったチョーク白墨を投げ捨てると、再び歩き出す。
複雑に絡み合っている様にも見えるが、古の民が試練と呼んでいたからには、入って抜け出せる様に、造られている筈なのだ。
少し道に迷った程度で、失望する事などありはしない。
たった今、多少難儀したとしても、地上に出て暫く時が経てば、そう言えばそんな事もあったと、笑い飛ばしている事だろう。
時折小休止を挟みながらも、2人は地表を目指し、進み続ける。

やがて、幅がやや広い通路に出、立ち止まったハザは、辺りを見渡す。
次の階層に繋がる、階段が近いのかもしれない。
正面は、何処まで続いているのか分からない、真っ直ぐな通路。
後ろへ振り返ると、通路の幅こそ変わらないものの、幾つかの脇道が見えた。
風向きから、地上へ向かう道はどちらになるか、感じ取ろうとしていると突然、リムの制止する声が、ハザの耳朶に届く。
「ハザ。
この先に、先程争った者達と、同じ様な恰好をした者が居ますね」
彼女は、脇道の無い方を指すと、青年にこの先には敵が居る、という事を告げる。
キイキイと微かに揺れる、壊れたランタン角灯から漂う、覚束ない輝きでは、遠くまで見通す事は出来ない。
何故察知出来たのかまでは、全く分からないが、本当に居るのならば、迎え撃たねばならないだろう。
「そうか――ありがとう。
俺が行って、片付けて来る。
リムは、脇道の多いここで隠れていろ」
礼を言って、ハザは背中の長剣の柄に触れ、その感触を確かめた。
この女の突拍子も無い言動や、はたまた立て続けに起こる、不可思議な事柄には、少々驚きっぱなしではあるのだが、調子は悪くない。
相手が何人居ようが、この俺が叩き切ってやる。

その様に意を固め、いざ敵を討たん、と駆け出そうとする青年を、リムが呼び止めた。
「この先を塞ぐ様にして、並んでいるみたいですよ――。
ハザ。
貴方が向かうよりは、早く事が進むかと存じます。
どうかここは、我等にお任せください」
彼女はそうは言うが、手から火を出すのは、もう使えない筈。
あれも、炎を出す前に近付いていた――という事は、火が出る前に倒してしまえば、何も起きないのではないだろうか。
気付かれずに飛んでいた事もあったが、あれもまた近付いていたのだ。
もし察知されてしまえば、集団なら誰か1人位はそれに気付き、何時か彼女を討つかもしれない。
「何を言っているんだ。
身を護る術を得てからにしろ。
お前は武器を持った奴に近付けば、すぐに殺されるだけだ、止めておけ。
毎度の事だが、何度も続くと流石に後味が悪い」
そう、連れ出すべき存在が、何度も斃れていては、今後の意気にも関わるだろう――主に自身の。
青年は娘の提案に大きく反対する。
だが、彼女はハザを正面から見据え、そうではないと口を開く。
「近付きはしません――。
此処から、彼の者達の相手を致しますので。
準備は、済ませておきました。
すぐに終わりますから」
という事は、リム――彼女は接敵せずに済む怪しげな技を、使うつもりの様だ。
お互いに察する事が出来ていない位置の、此処から攻撃が出来るというなら、完全な奇襲が可能だろう。
本当に、それが出来るのならば、だが。
意表さえ突けば、剣より早く斃せる、ならば試す価値はある。
「そんなに手間がかからんのなら、良いんじゃないか」
そう言うと、彼女に道を譲る様にして脇へ退き、石壁にもたれ掛かって待つハザ。

だが何も、起こらない。

もう終わったのだろうか?
だとすれば、この女もなかなかの早業を持っている。
そう思いつつリムと、通路の先を見比べていると、徐に振り向き、歩いて来た向こうを指差した彼女が、ぽつりと言った。
「あの。
向こうへ行って下さらないと、危ないですよ」
唐突の駄目出しに、呆気にとられた青年は、ゆっくりと歩き、彼女の方から離れる。
そして100歩程歩いた時、その背にリムの声が届く。
「ええ――。
その辺りで結構です。
出来れば後ろを向いて、目を閉じて下さいね。
もしこれで傷を負ってしまった場合、治すのは少々面倒ですので」
黙って聞いていれば、なかなかに物騒な話だ。
何をするつもりかは知らないが、大きな事をするつもりらしい。
彼女の指示に従い、脇道の影に入ると、背を向けて目を閉じ、手をその上に重ねて、待つ。
程なくして訪れたそれは、瞬く間の出来事であった。
何かが、輝いたのだろうか。
聞こえる様な音はしなかったが、続いて、熱い風が背中から吹き抜け、シャツ襯衣の内側が忽ち、吹き出す汗で濡れてゆく。
瞼の上から手で覆っている筈だが、それでも視野が白く染まった気がした。
閉じている目が、少し痛い。

やがて、キイキイと軋む音が、空気の揺らぎと共に、ゆっくりと近づく。
緩やかに響く、もう良いですよ、との声に目を開くとそこには、見知らぬ影が立っていた――目頭を抑え、壁に手を着く自らの影が。
すぐ横には、リムが立っている。
壊れたランタン角灯から映し出される、青年の動きを真似る影は、変わらず床の上にあった。
しかし、それとは別に、もうひとつ。
見た事の無い、不可解な現象を目の当たりにしたハザは、言葉を失い、動かぬ影を前に2、3歩後退る。
「何をしたんだ……」
「陽の肌に吹き荒れる、炎の帯と言っても、ハザ。
貴方には、恐らく分からないでしょう」
彼の口から思わず転び出たひと言に、そう言ったきり、彼女は何も応えてはくれなかった。



むせ返る様な熱気、肌に焼け付く風とそして、衣服の下を、湧き水の様に流れる汗。
緩やかな風が、そっとそよぎ触れてゆくだけでも、顔が、手が、ひりつく。
進もうとしていた通路は、紅く輝き、物凄い熱を放っていた。
涼し気なのは、茫洋とした澄まし顔のリムだけだが、今は当の彼女も、かなりの汗を滴らせている。
刃が欠け、使い物にならなくなった古いナイフ小刀を、試しに輝く床へと投げてみたが、それは床に触れようとすると、じゅうと嫌な音を立てて、張り付いてしまう。
とてもじゃないが、歩ける様な状態ではない。
他に道は無いか、その辺りを歩き回ったが、何処も上へと通じてはいなかった。
仕方無しに、焼けた石床の見える所で、只ひたすらに待った――時折風が運ぶ熱気に、汗を拭きながら。
あまりの暑さの為、胴鎧の他ジャケット外衣シャツ襯衣を脱ぎ捨てると、熱風を避ける為に脇道へと入り、座り込むハザ。
「これは?」
ずっと浮いていた彼女が、鍛え上げられた体を拭く彼の隣へ、何かに押されるかの如くふわりとやって来ると、ハザの体に刻まれた、戦傷の痕を指しつつ言う。
不思議そうな様子では無いが、リムこんなものに興味があるのか。
傷痕なんぞ、戦う者なら誰でも1つや2つは持っている、大して珍しいものでもない。
逆にこれが無ければ例え、戦う者を名乗ったとしても1人前とも見做されず、良い笑い者になるだけだろう。
「これか、これはな、古傷だ。
何時出来たかは、忘れた」
若干雑な回答に返事は無く、ハザの腕にある、癒えていない生傷に、彼女は手を伸ばす。
腕に付いた生傷の端に、ほんのりと輝く指先が触れた。

そしてびりり、と何か引き裂くような音が、聞こえた気がする。
っ!?」
じっと見ているだけだと思っていたが、娘が触れた事に気が付き青年は、思わず声を上げた。
生傷の上に張り付いている、瘡蓋を毟しったのだろう。
その傷が出来た時と、全く同じような痛みが、体の中を駆け巡る。
何をする、と言いかけて、黙る――彼女がまたしても、妙な事を始めたらしい。
リムの指で摘ままれているのは、傷。
傷そのものが、繊細そうな親指と人差し指との間で、ぷらんとぶら下がっていた。
腕を見るとそこには、傷痕が無い。
治るのにもう暫く掛かると思っていた、深い傷だったと思う。
だが、その傷は娘の手にあり、ハザの腕にはもう見当たらないのだ。
跡形も無く、綺麗に治ってしまったのだろう、そこは傷付く前の肌に戻っている。

何だ、傷を治す技か――。
元よりその傷はほぼ治りかけ、痛みなど無かったとはいえ、きっと見兼ねて、治してくれたのだろう。
礼を言わねばなるまい、と気を取り直し、ありがとう、と口に上らせようとした、その時だった。
更に手を伸ばしてきたリムが、肩の傷痕にそっと触れる。
そしてぺりり、と印象的な音が耳朶を打つ。
「ぐぅっ!」
すると、苦痛に呻くハザの声が、辺りに強く響く。
この痛みで思い出した。
戦場で味方であった同じ隊の者が、夜闇に紛れ突然自身へと向かって、剣を振るう。
それを、何とか避けようとした時の――。
あの時に斬られた痛みが、再び脳裏に蘇り、すぐに消える。

傷痕が再び華奢な指に挟まれ、もうひとつの掌の上に乗せられると、今度はリムの手が脇腹へと伸びてゆく。
そこは、避け損なって敵の長剣が、半ばまで食い込んだ――。
触れられるまでも無く、当時の苦痛は、今でも思い出す事が出来る。
「も、もういい!
そこは治っているッ、他もだ!」
脇腹の傷痕へと、躊躇も逡巡も無く手を伸ばそうとするリムに、慌てて声を掛けるハザ。
だが、帰って来た返事は、何の情緒も含まれぬ、冷徹なものであった。
「ハザ――。
貴方は、我等に身を護る方法を得ろ、と言いました。
これがあれば、幾許かは手法が出来て、楽になりますので。
どうか、我等にこれを分けて欲しいのです」
「な、何だと?」
どういう事だ、傷痕を剥がし集めて、何に使うと言うのか。
リムの態度から、想像していたものと、遥かに差があったという事、それだけは察する事が出来る――それも、傷を癒す技で無い事だけは、しっかりと。
用途がまるで見えて来ず、底と得体の知れぬ未知の技に、ハザの顔が恐怖に引き攣る。
そこへ生じた僅かな隙を突き、古傷を庇おうとする彼の手を潜り抜けた、彼女の手が古傷へと到達し――。
「ぐああーーーッ!!」
軽く触れたのを感じた直後、傷が剥がれる際のぴりり、という軽い音を掻き消すかの如く、地下の通路に、苦悶の叫びが木霊した。



やがて、彼等は冷えて輝きの収まった、石造りの通路を進む。
何だろう、熱い風が未だに、頬に張り付いている様な、そんな気がする。
「……」
あれから、黙って歩んではいるものの、リムへと向けるハザの視線は、とても厳しいものだ。
先程までかなりの熱を上げ、紅く輝いていた石造りの通路が、元の色へと戻るのに、かなりの時間が掛かった様に思う。
漸く冷えたから、その上を歩き出したものの、石床を歩くと不思議と波打っている感触を、ブーツ長靴の底から感じる。
途中に沢山の何かが、壁や床に張り付いたような跡があったが、元からそんなものがあった、のだろうか?
ふと見れば、そう錯覚する程の広さに渡って、床のみならず、壁や天井にも大きく、または小さく、砂浜に波が押し寄せたかの如き跡が付いていた。
それは、見るからに不規則な波模様、と言っても差し支えない。
「先程から、どうされたのですか」
微妙に歩き難くなった床を進む途中、やや後ろから、事の元凶である娘が、平然と声を掛けて来る。
それを聞いた彼は、更に視線を強くする――わざわざ声を聴かずとも、心を読めば良い、と言わんばかりに。
だが、その程度では非難の意図が、全く伝わらなかった様だ。
反応の無い娘に、それならば致し方なしと、意を決したハザはゆっくりと口を開く。
「これは、どう見てもやり過ぎだ。
他に手立ては無かったのか」
そうだ、浮いているこの女は、歩いていないから、奇妙に捻じ曲がってしまった、床の感触がきっと分からないに違いない。
彼女があの光る技を使わなければ、あの場で待つ事も無く、傷を剥がされる事も無かったであろう。
確かに不思議と傷痕は失せ、跡形も無く治ったのだが、当時の痛みを思い出させられる苦痛と共に、粗方引っぺがされてしまった。
そして、かき集めた傷痕を何に、どの様に使うのかを尋ねても、機会が来れば見せるの1点張り。
正直な所、怪我の上からわざと塩をまぶされ、塗り込まれた様な嫌な気分だけが残る。

万年雪が吹雪く山頂の如く、果てしなく高く積もりゆく、フラストレーション不満感
鋭い視線を交え、厳しい声色の言葉を投げかけても、リムの茫洋とした澄まし顔に、変化の兆しは訪れる様子は、まるで見られない。
彼女はこれ、の意味を少し考える素振りを見せた後、やがて何の為に言っているのか、その意図を全く理解出来ない、といった口調での返答が、彼を出迎えた。
「つい先程。
生焼けが嫌だと、仰っておりましたので」
威風堂々と、彼女の口が紡いだひと言には、謝意の欠片すら含まれておらず、ハザは落胆する。
少し位は、含んでいても良さそうなものだが、残念ながら、現実は違う。
つまりこれは、彼のオーダー注文通りだと――、彼女は言いたいのだ。
確かに――。
確かに、そう言った覚えはあるが、それは何時の事だったか?
少なくとも、つい先程、じゃあない事だけは確かだろう。
そんなものなど、通じない位には前の事の筈、すっとぼけたこの娘は、どのくらい前の事だと思って、いや、扱うつもりでいるのか。
何となく分かって来たが、焼き加減の意味を、改めて問い質したくなった。
しかし口論に持ち込んでも、想像よりも口の達者な彼女に、煙に巻かれるだけだろう。
この女の得意と思しき分野に、自ら足を踏み入れるのは、残念ながら愚かしい行為である、としか言いようが無い――。
そして、ハザの苦虫を噛み潰した様な、渋い顔を見て、つい、と視線を外すリム。
「良くお分かりで」
青年の胸中を悟ったのか、またそうでないのか、彼女は、抑揚の無い小声でぽつりと言った。



やがて、波打つ床が途切れ、石の板にぽっかりと空いた、門の様なものが見えて来る。
此処までは、脇道ひとつ無い、1本道。
熱気が届いた所は、まるで測ったかの様に、きっかりと真っ直ぐな境目が存在し――そこから先は何があったのかは、少し詳しいものが見れば、すぐに判別する事が出来るだろう――焦げ跡となって残されていた。
そんな捻くれた床を、余りにも長く歩いた所為だろうか。
ここはもう平たい床の上の筈だが、足の裏にはまだ、固まった波を踏み、そこだけが浮いている様な感触が、まだはっきりと残っている気がする。
2、3度足踏みをし、感覚を慣らそうとしたが、それは上手くいかなかった。
恐らく2人も並べば窮屈するだろう、狭い穴門の向こうを慎重に覗き込む。
そこには意外な事に、10人は手を繋いで立ち並ぶ事が出来そうな、幅広い通路が広がり、そこから遥か上に続く階段が、壊れたランタン角灯の淡い光に映し出される。
吹き下ろす風が、狭い入り口を大急ぎで駆け抜けようとして、びゅう、と鳴り響く。
上は何処まで続いているのか、此処から見通す事は出来ない。
暫く見上げた後、2人は足並みを揃えて、階段を上り始めるのだった。



ブログ小説 アンシエンラント創世記 4話3章挿絵

【熱い眼差しと何処吹く風】