2021年1月27日水曜日

ブログ小説 アンシエンラント創世記 5話 始まりの物語 4章.光差す庭

我等が進むべき途は 今や絶えて久しい
微かな 刻の狭間に揺られ 逃がれてゆく
我等をこの地へ縛る鎖は既に消え失せた
見上げれば 光差す箱の庭
我等の望みで 遍く輝きは満たされる
しかし幾つ重ねようとも 我等の想い叶わず
やがて 人はまた 忘れ去るのだ
だが 掴まねばならぬ この空がどれ程広くとも
再び 失う事は許されぬ 其を
かつて逸した遥か彼方に我等は 何時の日か世の礎となるだろう



アンシエンラント創世記 5話

―――――はじまりの物語―――――

4章.光差す庭



小さな光源ひとつを掲げ、通路を進むが、満ちている圧倒的な暗闇を押し返すには、この程度の煌めきでは些か頼り無い。
先程まで乗っていた輝く床は、時間が経つにつれ徐々に狭くなり、小さくなっていった。
まだ随分と余裕はあるが、完全に消えてしまう前に、降りる事とする。

どこでも良い、手頃な場所で止めてくれと言うと、つい、と床は昇る事を止め、最も近い黒い石床の前へと、ぴたりと制止した。
2人が降りると、きらきらと流れ星の様な、煌めきの涙を溢しながら――それは天を目指すかの如く、緩やかに――上へ上へと昇ってゆく。
磨り減って小さく萎み消えたのか、それとも、見えなくなる程高い位置へと昇ったのか、宙に浮き上昇を続ける輝きは、やがて見えなくなる。
ひと時とは言えど世話になった、光る床板がその後、どうなったのかを、彼は終ぞ知る事は無かった。



誰が登る様に造られたと言うのか、背伸びをし、手を伸ばしてようやく届く程の、高く大きな石段が、幾つも続く。
あれは、今の時刻の空の色なのだろうか。
内側に巻き上がる螺旋の淵から顔を上げると、頭上には明るく薄い星がひとつ見えた。
時折、渦巻く乾いた風が音を立てて吹き、外の香りを運び込む。
外の世界はきっと、もうすぐなのだろう。
辺りは未だ夜に満たされているのか、先はまだ薄暗い。
しかし、徐々に明るくなる兆しが、視界が白く明るく広がる事で表れている。
黒い石床の色と形が、時が過ぎ行くにつれ、はっきりと感じ取れるようになり、その分だけ、ランタン角灯に灯る輝きの頼りなさが、いや増してゆく。
今は、光が、世界に満ちてゆく最中なのだ。
じきに、陽がその姿を現し、その身を沈めるまでの僅かな間だけ、夜闇を世の隅へと追い払うだろう。



やがて、ぽつんとした白い光点が、視線の先に姿を現す。

地上だ――。



朝を迎え、陽が輝きを取り戻そうとする世に、幾つもの草木が揺れている。
地下の湿っぽくない、木々の映える香りの良い、乾いた風。
その足跡が、波の様に森の木々を揺らし、一帯を駆け抜けてゆく様が、上からの視点で良く分かった。
地の底の饐えた臭いから、やっと解放され、胸一杯に新鮮な朝の薫りを吸い込む。
黒い石床の正面には、真っ直ぐに下まで伸びてゆく、人が使うに丁度良い設えの階段が見える。
ここを降れば、眼下に見える森に辿り着ける様だ。
今居る所は、石を積んで作った、細い搭の様に見える、やや高い場所。
古の地にある、何の為に拵えられたのか、まるで分かっていない建造物のひとつが、森の中に聳えている。
森の他には、右手側を見渡すと、そちらの方にも、石造りの建物が幾つか見えた。
中にぽつんとひとつだけ、見覚えのある建造物がおぼろげに映る、あの辺りから地下に降りて行ったのだろう。
そして、正面に顔を上げると、目の前の空の向こうには、陽の光を発する球体が浮かぶ。
久々の外の景色を眺め、感慨に至っていると、背後から声が聴こえた。
「ハザ――」
リムの呼び声に振り向けば、彼女は巨大な石段の縁へと、両手を前に掴まり、じっとこちらを見ている。
肩より下が全く見えぬその姿は、石段を登っている事を伺わせるには、十分過ぎる姿勢。
このままでは、登る事も降りる事も、この女の力では叶わない筈。
放っておけばその内にでも力尽き、滑り落ちて怪我をしてしまうだろう。
こうして眺めている間にも、彼女はずるすると手が滑り、下に落ちようとしている。
浮けば良い話ではないか、とも思ったが、時折下から吹き抜ける風が強く、浮いていると、飛ばされてしまうのだそうだ。
宙に浮き、歩かずに済むというのは楽に見えて、実の所は意外と不便なのかもしれない。
彼女の言っていた、浮くだけで進む為には、何かの力を借りねばならない、という言葉は、嘘偽り無い本当の事である事を、ハザは今更ながらに理解する。
そして、今、目の前で女は滑り落ちようとしていた。
彼は駆け寄り、屈み込むと手を伸ばそうとする、石にしがみ付くのが辛いのか、二の腕をぶるぶると震わせる、不安定な姿勢の娘の脇へと手を伸ばす。
滑らかな柔らかい肌に、その手がしっかりと触れた瞬間、まるで重さが失われたが如く、リムの身は軽々しく抱え上げられる。

そのまま青年は後ろに数歩下がると、くるりと踵を返し彼女をそっと下ろした。
ふわりと浮くのかと思っていたが、娘は両の足をしっかりと地に着けた後、脚を広げ、ぺたりと黒い石床に座り込む。
へたり込んだ、という方がより近いだろうか。
そうすると、何処からかからん、と音を立て壊れたランタン角灯が、前に転び出る。
周囲が明るくなってきた為か、その灯火は地下に居た時より目立たなくなっていた――もう使い物にならなくなったこんなもの、さっさと捨てれば良いものを。
「これはハザ、貴方から預かったものですよ。
お返しする刻が至るまで、失くす訳にはいきません」
思わず喉まで出かかった、ハザの考えに間髪入れず、説明を語り始めた彼女。
相変わらず、何がしたいのかは分からないが、妙な所でリムという女は律儀だった。
ますます呆れた顔を深くして、青年は投げ打つ様に言う。
「要らん、そんなもの。
俺は新しい物を買うから、欲しければくれてやる」
明るい中でよく見れば、取っ手が枠で辛うじて繋がっている、だたそれだけの代物。
暗いとはいえ、ぼんやりとした薄明かりが、何処かにあった地下では、無くても大丈夫な時も多かったが、矢張り明かりは手元に1つは無いと不便だ。
早い内に新しい物を、商う者から手に入れる必要があるだろう。

「それでは頂きますが、これは食べたくないですね。
錆びていて、美味しくはありませんので」
聞き捨てならない言葉を聞いた刹那、驚いた面持ちを浮かべかけたハザ。
が、この女のやる事にいちいち驚いていたのでは、それこそ身と心が持たない――持つ筈が無い。
そして、その美しい娘という容姿に絆されていたのだろう、今の今まで忘れていたが、この女は鉄喰らいであった。
まさかとは思うが、食う為に持ち歩いていたのではないだろうな。
俺の剣や、財布の中身を狙われては敵わん、反射的にそう思うと、引き継ぐ様に話を続けるリム。
「ハザの剣は――。
我等が食べるには大きすぎますよ。
もっと味が良くて、少し小さい物が良いですね。
まだあの時の袋の中の方が、食べ易いのでそちらを頂ければ、と」
「駄目だ。
財布の中身には手は出させん」
矢張り狙いは財布か、と考えながらも彼は鞄に手を掛け、警戒するように身構えた。
そして、財布の中身の話から気を散らそうと、素早く話題を切り替える。
「そう言えば、仲間とやらに会うのだろう。
これから居場所を探し、訪ね歩かねばならないな?」
そう、確か仲間と会う為に、地上を目指すとリムは言っていた。
本当に同じ者が居るのか、確かめては見たいが、戦いもせずわざわざ探すだけの事に、付いて行く気もしない。
悩み決めかねていると、リムの柔らかな唇は、その話がもう済んだ旨の言葉を紡ぐ。
「はい――。
もう終わりましたよ。
随分と長い間、我等を待ってくれていました。

この大地は、やがて我等の願いで、満たされてゆくでしょう」
「今、誰かと会ったようには見えんな。
良く分からん奴だ」
石の壁にもたれ、彼女の方を向くと、彼はそう話す。
先程から姿勢を変えず、リムは石の上に座り、青年の方へとじっと視線を向けたまま、であった。
そして、陽光に照らされた形の良い唇が、ゆっくりと動く。
「我等が意思の疎通を行うのに、位置や距離は関係ありません」
「そんなものか――満足したならそれでいい。
遺構の封印の解く話とやらは、どうなった。
大した力になれるとは思えんが、俺も手伝おうか」
確かにこれは、大した力にはなれそうも無いだろう。
精々が物を運んでやる程度だ、そんなもので良いなら、飽きるまでの少しの間位は、手伝っても構わないが。
ハザの申し出に、珍しく僅かな間逡巡した後、リムはきっぱりと断りを入れる。
「いいえ――。
魔の力が扱えぬハザでは、大変な困難が、待ち受けている筈ですから。
我等が、内外から紐解けば、数千と数百年程度もあれば、封は解かれます。
お気持ちだけで、十分ですよ」
「ハッ。
相変わらず気の長い話だ。
途方も無さ過ぎて、俺には想像も付かん」
何時になるか分からない膨大な時間を示され、彼は苦笑を浮かべた。
当初の目的は果たし、地上へと連れ出した――この女をどうするするかは、もう考えなくても良い。
王の触れにより、訪れる者が増え始めた、遺構の迷宮に居るよりは、古の地を離れる方が余程安全である。
裏切り者の元凶も始末したし、神の後を追うという宝珠も確と叩き割った、後はこの地を離れる事さえ出来れば、厄介事をわざわざ背負い込まない限りは、追われる事も無く、安全に旅が出来るし、どこか別の土地に隠れ棲む事も出来る筈だ。
そうなればこれ以上、リムのお守りをする必要は無いだろう。

やがてハザは崩れた石壁にもたれかかると、再び朝の日の光を見る。

「生き残りが居ないなら、俺の名の噂も飛ばないな。
全く、今回の旅は大損だ」
朝の輝きに眩しそうに目を細め、彼は独り言ちた。
彼女を教団へ送り届け、報いを受け取る手筈の目論みが、失せてしまった以上、青年は、また流浪の民の、戦う者に戻る心積りを固めている。
戦約は違えられ、報いは受けられず、名を馳せる事も無い――。
だが、収穫はあった。
より強くなる為の標を、得た事である。
戦う者としての役目をこなしながら、あの夢を追って、旅をしても良いかもしれない。
自身を打ち負かす程の技を持った、戦う者を何時の日か探し出し、師として仰ぐという夢を。
「夢ですか――。
もう1度言いますが。
貴方より剣を速く振れる者を、我等は知りません。
既に貴方の剣は、身を護る物すら意味を為さない様に思えます。
ハザ、貴方はそれ以上、何を求めているのでしょうか?」
そこで、物思いに耽る青年の想いを読み取ったのか、リムがぽつりと溢す様に言った。
大きな価値観の隔たりに眉を顰めたが、彼は口を開く。
「疑問に思うのは尤もだが、戦う者の目指す所など、そんなものだろう。
元より分かって欲しい、などとは言わんが、な。
欲を言うなら、この盾や鎧も放り捨て、剣だけで渡り合いたい位だ。
これを身に着けている間は、どれ程剣の腕に自信があっても、未熟だと思う事にしている。

それにアレも、何時でも出来ると云う訳じゃあないからな。
もっと鍛錬して、上手く行く方法を確かめねばならんし、そもそも俺が出来る位なんだ、他に出来る奴が居たって、ちっともおかしくはない。
もし、師となってくれる者が見付かれば、きっとそう思うだろう」
身に着けた胴鎧と、そして盾を、身振り手振りで指差しつつ、胸中を語りながらも、リムの顔を見つめ、ハザは更に思いを馳せる。
お前に比べれば、俺など死を恐れる、只の人に過ぎん。
それが今回の旅で、身に染みて良く分かったよ。
迫る攻撃を、全く避けないのには参ったが。
それでも幾多の者、己より確かに力の強い者を前にして、お前は1歩も退こうとはしなかった。
黙って倒される姿は、決して勇ましくは無いものだったが、リム、お前の様な者こそ、真に死を恐れぬ者、とでも呼ぶべきだろうな。
死を恐れずに向かい合う、とは、どういう事なのか、俺の方こそが教わった気がする。
少しは避けろと思っていたが、あれは、そう思うのは、俺が、俺自身が死を恐れているに、他ならないからだ。
何だ、あれか、ああいうのか?
これを何と言えば良いか、さっぱり分からんが、ああいうものが、これから俺が更に強くなる為には、まるで足りていないのかもしれないな。
しかし、あんな事はそう簡単に、真似出来そうもない。
だが――。

退かずに戦う――戦い抜く。
その様な事が、己が体術や剣の技だけで、果たして可能なのか。

だが、いずれその道を、極めてみたい。
己が技の鍛錬に、行き詰まりを感じていたハザの胸中には、彼女の習性からある種の光明が、行く先を照らし始めている気がした。
しかしその漸く見えて来た、長年の夢へと辿れる道筋が、耳朶を打つリムの声に、暗雲となって垂れ込めた挙句、淡い霞となって消えしまう。
「では、これからもそうしましょう。
我等もその方が、何かとやり易いですから」
またしても心を読んだらしく、その発言の内容は、青年の思考の対話の続き、と言わんばかりであった。
大した事は知っていないし、考えても居ない、読まれた程度で困る事は無い。
無いが、その意図を理解したハザは、彼女の方へと上半身を振り向け、大きな声で叫ぶ。
「や め ろ ッ !
同道者が討たれるのは、見ていて気持ちの良いものではない」
何故かは分らないが、昔から、同じ隊の者や連れ合いが斃れるのを見ると、背筋が冷え込む様な思いを感じるのだ。
故に、青年は大した付き合いが無くても、無謀な事をされたり、手遅れにならない限りは、意図せずとも時として、手を差し伸べてしまう。
戦う者としては実に甘い、損な性分ではある事は、十分に理解している。
しかし、そんな思いを受けてもどこ吹く風の、茫洋とした澄まし顔が、彼を出迎えた。
涼し気な面持ちが、実に小憎らしい。
「そうぽんぽん死なれちゃ、気が休まらん。
お前も少しは気にして貰えると、非常に助かるんだがな?」
「被害が最小限となる様、我等は我等で、きちんと選択していますので。
魂をひとつしか持たぬ者とは、元より戦い方が違うのですよ、ハザ」
それとはなしに嫌味を含めつつ、少しは合わせてくれ、と苦し紛れにひと言返しはしたが、合わせる必要など無い、と言わんばかりに、彼女はきっぱりとした回答を返す。
変わりないリムの態度と声に、対抗すべく策が見当たらず、手の打ちようのない彼は、苦虫を噛み潰したような様相を浮かべ、軽く舌を打つ。
そして全く通じていない嫌味に溜息を吐き、わしわしと自身の頭を掻いた。

諦めにも似た境地に陥る心に落ち着け、己は何か、と念じながら深い呼吸を行う。
そう、俺は剣を手に戦う者。
故に挑み、勝たねばならん戦いは、論戦や舌戦では無い。
論じあうのが好きな、知恵者にでも任せておけばいい、そんなものは。
内心の装い新たにそう思い直すと、不思議と軽く笑いが込み上げてくる――何故言い合い如きで熱くなっていたのか、と。
「――フ。
思いの外、口の減らん奴だな、お前は。
さあ、茶番はここまでにしようか。
俺はそろそろ行く」
程なくして、平常心を取り戻したハザがそう告げつつ、物静かな外面にそぐわぬ、妙に弁の立つ女から視線を反らし、石塔を降りる階段へと足を向けた。
何時の間にか、隠れる様に大地の向こうから、恥ずかし気に顔を覗かせていた日は、もう既にその姿を現わしている。
歩き始めるには、そろそろ頃合いの時間だろう。
「はい。
ハザ、貴方はこれから、どうされるのでしょうか」
この女が、自身の様に争いの場を渡り歩くとは、到底思えない為、ここいらでお別れする事となりそうだ。
何かあれば、また巡り合う事もある、かもしれん。
しかし、もし次に会う時が来たならば、それは何時の事になるのやら。
学の無い自身とは違い、頭は回るようだから、知恵者としてなら左程の苦労も無く、生きていける筈だ。
御伽噺に出てきそうな美姫に、甲斐甲斐しく付き従う者でもあるまいし、いちいち付いて回る必要も皆無。
かと言って冷たく突き放す事も無く、彼女が望むなら、安全で治安の良さそうな、大きな街まで連れて行ってやっても良い。
どうしたいのかは、聞いてはいないが――珍妙な性分を持つこの女は、必要があれば臆せず言って来るだろう。
後は、リムには目的があるようだし、好きに生きて行けばいいのだ。
何をしたいのかは知らんが、邪魔をする気など毛頭無い。
願いとやらを満たしたければ、思う存分やってくれ。

リムの静かな問いかけに、そう考えると、彼は肩口に鼻を寄せ、少々大仰に臭いを嗅ぐ。
「俺か? そう――、そうだな。
差し当っての事になるが、服を洗いたい。
酷い臭いがするんでな」
それから、そう言って身に着けたジャケット外衣の襟を、両手の指で軽く摘まんでから放すと、ハザは静かに笑い、眼下に見える森の方へと向かって階段を降り始めるのだった。




ブログ小説 アンシエンラント創世記 5話4章挿絵

【光差す庭】



アンシエンラント創世記





















































古いが頑丈な石の段を、降りていく真っ最中。
普段、彼の後ろを滑って進む彼女にしては、珍しく、つい、と横に並んできた。
もう一緒に、行動する理由は無い筈なのだが、何か用でもあるのだろうか?
黙って様子を窺っていると、リムの方から、ハザへと語り掛けてくる。
「そう言えばハザ。
貴方は随分と持て囃されているのですね。
その位で、我等は諦めませんから」
「何だ、何の事だ?
この期に及んで、変な冗談は止せ」
何だろうか、嫌な予感――。
己の直感を信じ、話に付き合う気は無い、という意志を語気に乗せる青年。

「冗談では――。
我等は冗談など言いませんよ。
どうか、どうか、お約束願いたいのですが。
死を得た後のハザの魂、我等が貰い受けたいのです」
あの時丁重に断った筈の、死へのインヴィテイション招待状が、ハザの前に再び突き付けられる。
確かに、確かに――この女が冗談を口に上らせる所を、見た事が無い。
こんな事を感じるのは、果たして何時ぶりだろうか、ぞわりとした悪寒が背筋を駆け抜けてゆく。
「おい、それは間に合っていると、断っただろう。
死んでからもこき使われるなぞ、真っ平だ」
思わず頬を引きつらせ、彼は変わらぬ決意を語って聴かせた。

「こき使うなんて、とんでもない――。
当然乍ら待遇は、他と一線を画しましょう。
我等はそう、そうですね、ハザ、貴方は唄がお好きでしたね。
ならば、貴方の為に唄っても良いですよ。
他に願いがあるのなら、我等は聴き届けるでしょう。
それでどうか、ご再考くださいませんか」
「それも言った筈だ、俺の願いは、剣を扱えないお前には、叶えられん。
すまんが、他を当たってくれないか」
必死の形相、何時もより早口で、捲し立てる様にハザは言う。
リムの美しい歌声は、確かに魅力ではあるが、その程度で、夢を捨てる訳にはいかん。
そうだ、俺は死を得たいが為に旅をしているのではない、師を得たいのだ!
目的を再度認識し、決意を新たにした彼は、毅然と彼女を見返す。
だが、茫洋とした澄まし顔で、青年を見つめ返す面持ちに、期待したような変化は訪れない。
「もう、無理ですよ――。

それに、今すぐという訳ではありません。
貴方が生に飽きるまで、我等は待つ事が出来ます。
ハザ。
どうぞ、いえ、これでどうか、ご再考を」
何が無理と言うのか。
そもそもそんな条件で死ねとは、再考の余地などあろう筈が無い。
リムの言葉の真意は、例えるなら濃霧の中を彷徨うが如く、その意図を掴みかねる為理解に苦しむ。
珍妙な物言いに、漸く慣れて来たとは思った矢先、人というものを遥かに超えた、得体の知れないこの気の長さには、これからも苦労しそうだ。
前髪をかき上げ、大きな、大きな溜息を吐いたハザは、彼女に己の決意の説明を繰り返す。
これで諦めてくれ、頼むと言わんばかりの、精一杯の面持ちで。
「変な所で気の長い奴だ……。
リム、お前は何でそんなに――、そもそも――。
だから……、俺はだな……」



石段を降りてゆく2人の男女の姿と、そして声が、徐々に小さくなってゆく。
やがて、木々の間から、小さな小鳥達が飛び立つ。
爽やかな朝の光に満ちた世界の中、ざあっと緩やかな風が靡き、眼下に広がる森の葉や枝を、静かに揺らしていった。