2020年12月25日金曜日

ブログ小説 アンシエンラント創世記 3話 再生 4章.休息―rest3―

エルディラント創世記 3話

―――――再生―――――

4章.休息―rest3―



心地よい微睡から目覚める。
――自分は誰か、――ここは何処か。
後ろ髪引かれる暖かい温もりから、意識を離す様にして、ゆっくりと、全てを思い出す。
辺りに満ちている、びゅうびゅうと吹き荒ぶ風の駆け抜ける音が、その助けとなった。

彼女の案内に従い、先へ進むとやがて、ひとつの細い通路へと辿り着く。
強い風の吹き抜ける、天井の高い、細く長い通路を、腰を落として慎重に進む。
暗いが、この上には、空が広がっているのだろうか。
だが、荒く削られた壁のような崖は、とても風が強く例え道具があっても、到底登れるような高さではない。

舗装した意思の見える古い通路――彼女の話では、ここは谷底である、と言う話だが――に吹き荒ぶ冷たく強い風は、容赦無く体の熱を奪う――。
これは、確かに寒い。
通路を進めば、カチカチと歯を打ち鳴らす、微かな音が耳に聴こえて来る。
最初は、自身が寒さに負け、放つ音かと思っていたが、違う。
それは後ろから聴こえ、そこに居る娘が、小さく顎を打ち鳴らし、僅かに震えているのが見て取れた。
少し位の間なら、歩いて行く内に寒さに慣れ、振るえも止まるだろう、そう思っていたのだが。
歩いているハザは兎も角、リムは全く歩いていない事を思い出す。
動いて体を温めていないのだ、このままでは何時か完全に凍えてしまい、その前に何処かで休息をしなければ、立ち行かなくなるだろう。
先程より大きく歯を小刻みに打ち鳴らし、ぶるぶると震え浮く、彼女の手を掴むと引き寄せる。
その手は、すっかり冷え切っていた――。

途中にあった風避けに丁度良い、大きな亀裂の中に入り、湯を沸かす。
寒かろうと思い、折角沸かしたにも関わらず、飲む事をにべも無く断られてしまう。
信じられない事に、この娘、まさか水や湯が飲めないとは。
「何ィ?
これが飲めん、だとォ!?」
予想だにしなかった事態に、思わずハザは叫ぶ。
旅先では容易に補充の効かぬ、貴重な燃料を消費し、湯を沸かしたにも関わらず、彼女は口にする事を頑なに拒む。
味でも付ければと思い、これまた更に貴重な茶葉も使用したのだが、それも無駄になってしまう。
そう言った類は、リムにとっては正に、余計な世話であったようだ。
ハザは何が飲めるのかを、何度も尋ねたが――人の飲めるものでは無い、との1点張りで、取り付く島も無く、全く埒が明かない。
仕方なく、胡坐をかいた上に無理やり座らせ、鞄から毛布を引っ張り出し、それにくるまらせて暖を取った。
始めこそ嫌がって、何度か抜け出そうとしたものの。
体格や力の差で、抑え込まれてしまえば離れられない事を悟り、やがて諦めたのか、今はハザの腕の中で、彼女は大人しく座っている。



そして目が覚めた後、ハザは茶葉を浮かべた、まだ温かい湯を注いだ器に手を伸ばす。
すると、彼女も目が覚めたのだろうか、リムが薄らと目を開け、数度瞬きを行う。
気にせず、彼は器に手を伸ばし、色の着いた液体を口に含む。
爽やかな香りと、苦味を含む渋い風味が鼻腔を擽り、蜜の様な甘さを僅かに舌先に感じる。
売られていた小袋を、適当に掴んだ物だが、保存が良かったのか、上質な茶葉が入っていた様だ。
若しくは、久々の茶に舌が感激し、美味いと認識しているのか。
青年は、ぼんやりとその様子を窺う娘に、再び問う。
「本当に、要らないのか?」
「申し訳ないのですが。
お伝えした通り、それは我等の口には合いません」
爽やかかつ、聴き応えのある澄んだ声が、彼の前髪を微かに揺らす。
もう、何度目かになるのだろうか、そのようなやり取りを済ませた後、変わらぬ返答を聞き、ハザは諦めた様に溜息を吐いた。
これからは何かしら、この女の食べられる物を、探し出さねばなるまい。
水と茶も駄目、となると――。
「まさか、生き血を啜るのか?」
「違います。
その様なものも、我等の口には合いません」
即座に否定された予想を聞き、青年は安堵する。
夜な夜な徘徊し、出会った生き血を啜りに行く、人に似た生き物など、生まれてこの方聞いた事が無い――もし、そんな話があったとするなら、それは何処の国の御伽噺だろうか。
我ながら、馬鹿馬鹿しい事を考えてしまったものだ。

だとすると、何だろう。
人の食べないもの、いや、食べられない物か?
地底の遺跡にずっと居たとしたならば、土や石くれでも食べて過ごして来た、位しか思いつかないが、幾ら何でもそれは、考え過ぎかもしれない。
そう考えた時、畑の中に棲む土喰い蟲が、彼の脳裏を過ぎった。
「そうですね――。
貴方が考えている様な、蟲と言うものでは無いですが。
それに近いと思いますよ」
すると、また何かを察したのか、彼女の方から口を開く。
考えている事を、ぴたりと指摘されたような気がして、軽く心の臓が跳ねる。
これは心が読めるに違いない、ならひとつひとつ尋ねるより、こちらが早そうだ――、と彼は考えを切り替えると、鞄に入っている物を思い浮かべた。
「俺が持っている物で、リムが食べられそうな物は、あるのか?」
「ありますよ。
ですが恐らく、分けて頂けないと思いますので」
元より返す言葉が決まっていたのか、リムの返事は早い。
どうぞ気にしないでください、と続ける彼女に、そういう訳にもいかん、と言って、鞄の中を出して見せるハザ。
鞄の中にあった毛布は今、使っている。
他には、皮を剥く時に使う小さなナイフ小刀、食糧の入った小袋、稼いだ財を蓄えておく財布、汗を拭く時に使う手拭い、飲む物を入れておく水筒、酒の入った小瓶――。
まさか、手拭いを食べる、などという事はあるまいが。
今は、何も予想が付けられない、どれを選ばれても、驚かない様、気をしっかりと保つしかないだろう。
「食べられる物を取り出してくれ。
何なら、食べて貰って構わん」
「分かりました。
では、コレを頂きますね」
青年が勧めるとリムは、迷わず財布に手を伸ばし――。
よりによって財布か、と思っていると、中から小さな小さな、金の欠片をしなやかな指先で、そっと摘まんで取り出した。
止める暇も無く、それを口に含むと口元に手を当て、彼女はこくり、と喉を鳴らす。
それを手にするには、それなりの苦労があった――命がけで手にした希少な対価を、あっさりと目の前で奪われ、青年は絶句する。
やがて、目の前で起きた出来事を鑑みハザは察した、彼女が何を食すのかを。

……財布の中には鉄だってある、銅や銀では、駄目なのか。
「それでも構いませんよ。
ですが、これが1番美味でしたので」
リムが再び、思考に呼応するかの如く、話を続ける。
何も言わずに考えていたハザは、口を開いた。
「リム、お前は察しが良いな。
人の心が、読めているんじゃないのか」
「――?
読めているなら、我等が此処に、幽閉される筈がありません。
彼の者達の目論みを、看過出来ていた筈ですから」
否定はするが、リムの話す事柄は、話していない考えに、自然に応対し会話として成り立つ程。
心を読み、空を飛び、火を吐き、鉄を喰らう――。
子供のみならず大人まで、尋ねれば誰でも、この話を諳んじられる程には、広く伝わっている、御伽噺だ。
彼自身、大昔にその様な魔物が居た、と信心深い年寄り連中から、何度も聞かされたのを覚えている。
ある国では、心を読む生き物が王や臣を助け、またある村では、鉄を喰らい火を噴く魔物が現れ、またある財の多い家は、ひと晩の宿を所望する空を飛ぶ生き物を泊めると、蓄えた家の財全てが齧られ消え失せた、と聞く。
上ではこんな話が伝わっている、と掻い摘んで話を語って聴かせるハザ。
「鉄喰らいの魔物とは、伝説の生き物じゃないか。
どこの国の御伽噺から出て来たんだ、お前は?」
「そんな話が――。
恐らく、それらの幾つかは、我等を見たもの……。
と、云いたいのでしょうか。
人は、変に話を伝えるのが好きですね」
言い伝えを聞いても、リムの方は、茫洋とした澄まし顔を何ひとつ変える事無く、それについての意見を述べる。
確かに言い伝えはそういう事がある、と思っていたハザは、何も言い返せない。

そして、ふと会話が途切れた後、ぽつりと彼女は言った。
「ここ暫くは、誰も降りて来ていませんね……。
ハザ、彼の者達は、外は今、どうなっているのですか?」
「古の地は遺構、遺跡だらけで、住んでる者は誰も居ない。
王の令が広く伝えられ、人が差し向けられたのも、ごく最近の話になる。
だから、古の民とやらの事は知らん」
青年は知る限りの事を話すが、それ位しか分かる事が無く、返答に困る。
そもそも、古の民が居たという事も、リムに出会ってから初めて聞く。
遺跡がある位だから、確かに人は居たのだろうが、その者達が何をしていたのか、という話となると、どれ程人を訪ね歩いても、誰も何も知らず、語りもしない。
旅立つ前に立ち寄った、昔の事に詳しい知恵者ですら、古の地でどんな者達が住んでいたのかを、どんな暮らしをしていたのかを、まるで知らなかったのだ。
黙したハザの様子を窺い、手助けする為だろうか、彼女は静かにひと言を口に上らせる。
「地表の事は判りませんが。
彼の者達は我等を幽閉した後、何かの折に、あの場所まで訪れていました」

語られたリムの言葉に、左程の驚きは無い。
成程、予想した通り、遺構の住人は幾度も出入りしていたようだ。
しかし、何の為に――疑問は尽きず、そう考えている間にも、彼女の話は続く。
「最初の内は――。
我等もきちんと、話を聞いていたのですが。
しかし、訪れる者達は、我等の幽閉を解かず、要求ばかりを繰り返しますので。
何時の日か我等も相手を見て、返事を返す様になりました。
彼の者達があの場所を訪れても、黙っていれば、いずれ諦めて帰ってくれますから」
どうやら嫌気が差して、古の民を避けるようになった、と言っているのだろう。
話を聞く限りでは、古の民達は、彼女に纏わる御伽噺を創り上げ、利用していたらしい。
彼女の言う事を、真剣に考えていた青年はやがて、じっと彼の顔を眺めている娘に、ゆっくりと新たな疑問を口に上らせた。
「俺が、古の民とやらでないと、何故思った?」
「それは――。
試練を潜り抜けたのだから、伝承の通り願いを叶えろ、と。
降りて来る彼の者達で、特に多かったのは、その様な用件を云いに来る事。
ハザは試練を越えた者に、願いを叶えろと等と、仰いませんでしたから」
古の地の伝承とやらを知らなかったから、あの時リムは声を出し、姿を現したと言っているのだろう。
暗がりで戦った、骨となっても動く者共も、試練の末に、あのような姿となったのだろうか。
あの時、微かに歌声も聞こえていた気がしたが、それはハザを呼んでいたのか、それとも――。
「もし俺が、願いを口にしたら、どうなった?」
「特に何も。
我等から話し掛けずに、貴方が飽きて帰るまで、そっとしておきましたよ」
更に浮かび上がった疑念を訪ねたが、その答えは非常に簡素な内容であった。
過去、そして今、古の地に旅立った他の者は、この伝承とやらを知っていたのだろうか。
それは、単に運が良かったのか、それとも単なる偶然であったのか、今となってはもう、知る由も無い。
リムの言葉を聞いたハザは、思わず笑みを浮かべつつ、言った。
「――ッ、――、ッフフ。
面白い奴だな……、お前は。
いいぞ、そんな奴は初めてだ、リム。

……確か、地上の事が、訊きたいんだったな?
世の中は広い、俺が知っている事など、たかが知れているが。
それでも良いなら、少し長くなるが、話してやろう」
そして、彼は更に話し始めた――今の地上がどんなものかを。
先ずは役儀の事で良いな?
俺が説明できるのは、3つ程になるか。
ひとつは、さっき言った知恵者、次に、商う者――そして、戦う者だ。
他にもあるにはあるが、大方その3つ程識ってさえいれば、世の中を渡って行くのに困る事は無い。
どの者も、王や執政者等にも、顔が効く様になれば、話は別だが。
そうなると、面倒だが覚えなければならん事も、数多くなるだろう、な。
始めに、知恵者とはな、知恵が回る者の事だ。
よく考える事が出来、文字を書く事が出来、そしてよく話す事が出来る。
その3つ――どれかひとつだけでも、なれなくはないが、2つ程は才が無ければ、身を立てるのは難しいだろうな。
とりあえず、学の無い俺にはなれん。
次は――商う者は、食い物、物や道具を売り歩く者達の事。
商う者達が、金や銀等の欠片と引き換えに、訪れた者の欲しい物と交換する、それ以上の事を俺は知らん。
話が出来る事と、物と金や銀の価値を勘案する事が出来れば、独り身なら何とかやっていける筈だ。
それと、お前がさっき食った欠片だがな、他のは良いが、金はもうやらんぞ。
あれを手に入れるのに、俺が、どれだけの戦いをこなしたと思っている。

この女が無欲だと思い、やってしまったものは仕方が無いが、少しは注意して渡すべきだった。
うんざりした面持ちを浮かべ、ハザは後悔と共に大きな溜息を吐く。
そして彼は、岸壁に立てかけている長剣を、手元に引き寄せて、続きを話し始める。
最後に――、戦う者。
俺は、特に仕える国を持たん、流浪の民の、戦う者だ。
仕えると面倒事が増えるからな、俺はそうしているが、勿論、国仕えの戦う者の方が、性に合う者と言うも、当然だが居るだろう。
狩れない者、守れぬ者、戦えん者、殺せない者達の代わりに、武器を手にして振るう者達の事になる。
頼まれた仕事が終われば、対価として銀や銅、鉄などの欠片を貰う。
労に報わぬ者は殺して良い決まりだ、相手を倒せるものならばな。
当然だが、死ねばそれまで――報いも受けられんし、負った怪我と、全く割に合わん時もある。
だが、俺からすれば、気楽で好い役儀だ。
話せなくとも、知恵が回らずとも、武器さえ上手く扱えれば、それで成り立つ。

そこまで話すと、再び茶の入った器に手を伸ばすハザ。
長い話に付き合わされ、すっかり冷めきってしまった茶を、ひと息で飲み干す。
こんなに長く喋った事はあっただろうか、それを思い出せない程久方ぶりに長く話し、火照った体を落ち着かせる様に、冷たい茶が心地良く喉を通り抜ける。
美味い茶だった、茶葉は乾かせばまだ出るだろう。
ここで捨てていくには惜しい――。
濡れた葉を2、3度振り、水気を払うと小袋に戻し、器と共に鞄へと入れた。
2人共暫く黙っていたが、やがてハザの方から声を掛ける。
「さあ、これで大体どんな世の中かは、理解できた筈だ。
俺の話はもう良いか?
お前の事は――そうだな、また機会があれば聞く。
温まっただろう。
そろそろ支度をして、出発するぞ」
話は終わりだとばかりに、ハザが立ち上がったが、リムはそのまま、ぱたりと俯せとなり、そして、ぐでりと潰れた様に寝転がったまま、娘は澄んだ声で、やや面倒そうな声色を放ち、ひと息に言う。
「我等はもう少しここで休んでいきます。
すぐに追い着きますので、先へ行ってください」
「何を言っているんだ。
おい、起きろ」
この期に及んで、何を言っている、と眉間に皺を寄せた彼は、厳しい声を掛ける。

静かにしていれば、確かに安全だろうが、肝心の目的が達成できない。
ハザは、彼女を地の底の遺構より連れ出し、リムは、地の底の遺構より脱出するという――その目的が。
「我等は疲れました。
交代したいのです」
再び、リムは摩訶不思議な話を、口に上らせる。
一瞬この娘の休憩に付き合うべきか、と考えたが、交代と言う言葉が、脳裏を過ぎった。
独りでは無いと言っていたが、その事と関係があるのかもしれない。
とは言え、その様な事が、どんなものであるのか、全く想像する事が出来ないのだが。
「そう言や、少し前もそんな訳の分からん事を、言っていたな。
何で今、交代しないんだ」
出来るなら今すぐにでも、代われば済む話じゃないか、と彼は思う。
ハザの言葉に、珍しく目を細めた娘は、僅かに唇を尖らせながら言った。
「理由ですか――。
交代する所を人が目にしたら、大変に驚くのです。
これは、我等から、貴方に対する、気遣いの様なもの、ですから」
最後はひと言ひと言、区切る様に言い伝えるリム。
要は、交代する様子とやらを、他人に見られたくない、という事らしいが。
背取ってでも運ぼうか、と考えていたハザは、それを聞いて、すんなりと諦める事にする。
経験上この様な状況となれば、彼がこの摩訶不思議な娘に、してやれた事は何もない。
思い起こせば今まで何度か、不本意ながらも置き去りにして来たが、どのような手段を用いたのか、彼女は幾度も追い着いて来ているのだ。

手早く旅支度を終えると、被らせていた毛布を、岩肌に寝転がるリムの上に掛け直し、彼は言う。
「正直な所、かなり不安だが、先に行く。
その毛布は後で持って来てくれ」
返事のつもりか、娘はちらりと青年の方を一瞥する。
そして、静かに目を閉じたリム。
眠ったのだろうか、彼女は身動ぎひとつしない。
岩の裂け目から、風の吹き荒ぶ通路へと出る直前、1度だけハザは振り返ると、その場を後にした。



ブログ小説 アンシエンラント創世記 3話4章挿絵

【寒風の中で】